ひっくり返る世界
自死直前だった私に突然起きた不思議な出来事。
私はおかしなコエに救われたのだろうか。コエのイメージからすると赤子のようなハゲ・・ハ!?ハゲ?・・いや、そんな事など気にならないほど、私を包むぬくもりはどこまでも深く、優しい陽だまりのようだった。
「ぇ、、愛されてる?」
『!・・面白い。これまで多くにやすらぎを伝えてきたが、その反応を見せたのはあなただけじゃ✨・・しかし驚いた。先刻の黒々とした無慈悲な顔はどこへやら』
「・・ひどい顔してたでしょうね💧」
『よくきくがいい。これは本当のジブンに向かうものにしか伝わらないかもしれない。まだプライドやステータスを崇高なモノとする御方もおられるからね。しかし、”あるがまま”は幼き子供だけではないよ。自然を認識するということに年齢は関係ない』
「え?・・は、はい」
『人生においてもっとも重要なのは掴んでいる観念に気づき手放すこと。外側をよく見れば、あなたがまだ赦せていないもの。それを掴んでいたことに気づくじゃろう。またも同じ言葉を繰り返すが、この世界はあなたの持つ観念通りの顔を見せる』
「観念、つまり世界の観方・・。もっと自由に観ていいってことなの?」
『キレイ事だけでは気づけぬ。目を背けていたものはいつか解放のために顕れる。気づき、手放してはじめて本当の自由を感じられるのじゃよ。もしあなたが教えているという思いがあるのであれば、教えていたというのは幻想であり、すべて学んでいたのである。誰かのために書いているというならば、それは自分のために起きていたのじゃ。それでも確かに誰かにとっては意味があった👍✨』
「ぼんやりとですが、わかる気がします」
『そう。”あ、まだワタシじゃないもの持ってた”と、気づくじゃろう』
「なるほど・・。何かを恐れ、逃げていただけなのかもしれません」
『実は最初からあなたはゼンブ持っている。しかし、開かれるのは対象のおかげ、という場合もある。それは友人であったり、異性であったり、トキには情報かもしれない。もう場が整っているというサインじゃな。ゲートはいつでもオープンであるのに、閉じたままにして境界を創り出していたのはあなただけとも云うのう』
「赤子のようなハゲから学ぶとは想定外でした💦自然に感謝ですね」
『わしも礼を云おう。まだ分離の観念を掴んでいたことを再認識できた。さすが、己の既成概念や観念が映し出される鏡の世である。直視せねば手放すべきものにも気づけない。お互い、半ば強制的に心地良い場所へ向かわされているような気さえするのう💚』
「それにしても、はやく解き放ちたいです💦」
『そう焦らずともよい。あなたには来世もあるのじゃから。時間はいくらでもある。本当のところ、実はこの愛の星を愛しておるのじゃろう?美しき奇跡の自然を』
「・・そうかもしれません」
『強く優しきあなたはエネルギーを向ける方向が少し違っただけじゃ。カラダの中心に寄せてイクがよい。あなたはもう”在る”ことしかできない、と気づき始めておる。すべては愛でしかないのに愛ではないと自らを裁いていたことに気づいたのじゃ』
「愛そのもの・・。になってもよいのですね🌱」
『それは最初からソコにあったのじゃよ。意味は如何であれ、外側に置いていただけである。自然を愛しておるなら、自らがそのものになることそれ以上の歓びを感じることはないであろう👍✨』
「くだものナイフを首に・・それも必然に起きた?」
『とんでもない方向に爆発する寸前であった。感情や想念、知らず知らず否定していたもの。抑圧されていたそれらはトキに命までをも奪う。どうか生き抜いてほしい、と守護さんからのメッセージであろうな』
「守護?私の?・・・・・あなたは一体何者なの?」
『”自我など存在しなかった”。あなたにその認識が訪れたらわしが一体何者だったかわかるじゃろう。それにしても、フッ。理解も自我も面白い。しかもその気づきはファントムからとは。その正体は不安と無だったりして👻』
「?」
私は奇妙な感覚を覚えながらも、このコエの主に対して偏見を持っていた自分を恥ずかしく思い、それでいて胸の内から溢れてくるまま口を開いた。
「ぁ、ありがとう」
『何を云う。あなたのおかげでまた光が広がったのじゃよ。大いなる意識も歓んでおる。ん?ああ・・。あなたには自然のほうが伝わりやすいかの💗』
「・・また来てくれるの?」
『必要ならばいつでも👶👏』
そう言うと、コエの主は『ネーチャンのシセン超え、ネイチャーなシゼンのコエ~、アイを映してたワタシもアイ~、ココはヒカリとあるセカ~イ🎵』と、わけのわからない歌を歌いながら、消えていった。
🎈 🎈 🎈
嫉妬?プライド?ステータス?いや、想念や観念、人格や身体、または感情や行為までをも私は否定していたのかもしれない。ひょっとしてそれは自我を強めることになるのだろうか・・。
”幻想のまま消えるのかね?”
あのコエが伝えたかったのは、あらゆる自我に意識を向けず、中心の愛だけを観続けよ、ということだったのか?
その時。
『ペニペニペニw素晴らしい理解じゃ。仕組みでは、あなたに必要なことは目の前に現れ続ける。だが在ることで観念が消え、学ぶ必要がなくなれば、もう不必要な現象は現れることはない👍』
あのおかしなコエが一瞬そう囁いたかと思うと、螺旋を描くようなやすらぐ風と共にスゥと消えた。
🎈 🎈 🎈
明くる朝。
私の身体はまるで憑き物がとれたように信じられないほど軽くなっていた。ふと窓のほうを見ると、こちらへにこにこと笑いかけるように、うららかな陽の光が降り注いでいた。
🌞 🌞 🌞
(あら。ハゲさん、意外と復帰が早かったですね?)
(想定外じゃ。じゃが、起きたことはもう起きた)
(自由に描きなされ、と?)
(つまらぬものを掴んでいたなら、掴んでいた自身を赦してまたまっさらなキャンバスに描けばよい。卒業する者は宇宙と同一化することなど容易いであろう)
(あー!忘れてました。まーた幻想の中なのにつまらないものに捕らわれてたかも💦)
(中心の愛を観続けていないと、変化という普遍を赦すことすらできず、幻想はいつまでも現実の顔を見せるからのう)
(価値判断・・しちゃってましたね💦スビバセン)
(よいではないか。判断していた自分がいたことに気づけたのじゃから♡)
ではまた🎵
あなたがコエ(愛)になった頃👶👌✨
愛ゆえに愛が愛に愛という光を・・。 あなたにいつも拈華微笑💖