青色のコンビニで恋をした。3.11
コンビニ深夜勤のバイトの子に恋をしている。
はじめは彼女を見ているだけでよかった。遠くから想うだけで僕は幸せな気持ちに包まれていた。
今では、レジで商品を受け渡すほんの少しの時間だけ言葉を交えるようになった。
でも、基本スタンスは変わらない。
この気持ちを彼女に知られたら、簡単に終わってしまう恋だと僕はよくわかっている。
それは、小さな灯りなのだ。
二人のための透明な砂時計は、静かに時を進めてゆく。
◇◇◇
3月11日
今日は出勤前にコンビニへ寄ってみた。
明るい時間のコンビニはどうも落ち着かない。
たまに深夜勤の春菜(角野卓造似のベテラン女性バイト)がいるけれど、今日はいなかった。顔見知りがいるかいないかで、随分雰囲気が違ってしまうものだ。
僕が思いをよせる彼女(マイ子、または雪ん子)は、実家(岩手県宮古市)に帰省中でもう数日間会えていない。それが塞いでいる気分の要因ではあるけれど。
◇◇◇
惣菜パンでも買おうかと棚をあれこれ物色していると、入り口のチャイムが「ピロリローン♪」と鳴った。
「おはようございまーす」
そこにはお土産の紙袋を持った彼女が立っていた。
なんだ……帰ってきてたんだ。
僕はとたんに嬉しくなってしまった。
「あっ」
「ど、ども……」
「昼間も来るんですねー」
「うん、たまにね」
と、平静を装って話しているつもりだけれど、内心はドキドキだった。はじめて彼女の私服姿を見てしまったのだ。
白のニットがふんわりと、そこにカラシ色が鮮やかなミモレ丈のスカートを合わせている。少しピンクがかった春色のコートが色白の彼女を優しくみせていた。かわいい……
「お土産かぁ……」
と話しかけた瞬間、異変が起こった。
ミシミシと軋む音がダンダンダンダンという地響きに変わり、バーンという破裂音と共に店の照明は消え、突然の揺れはいきなりピークへと達したのだ。
大きい……立っていられない。
レジカウンターに掴まり中腰になる。僕の腕にしがみついた彼女はそのまま床に座り込み──
棚から積んであったカップ麺が落ちて散乱、冷蔵食品も棚から溢れ落ち──
最初はちょっと大きめな地震だと思ったけれど、違う……長い……こんなのふつうじゃない。
タバコケースが棚から飛び出して落ちそうになっている……
生まれてはじめて、僕は地震を怖いと認識してしまった。
◇◇◇
──その時間は何分間にも感じられたけれど、実際は1分程度だった、
いつもの直下型とは明らかに違う、なんだか気持ち悪い横揺れがいつまでも続いたのだ。
それは今までに体験したことのない地震だった。
まだユラユラと揺れている感覚が抜けなくて気持ちが悪い。
「大丈夫?」
と彼女に話しかける。
「は、い……」と、立ち上がるとスカートをパンパン叩いて、その後大きく息を吸って、そしてゆっくりと吐き出した。気を取り直した彼女は、
「わ──もぅヤバかったですね。ねっ……あぁカップ麺とかひっどーい……片付けないと」
と動き出し、レジカウンター内にいたパート主婦もなんとか冷静さを取り戻して、とっ散らかったレジ袋や落ちた書類などを片付け始めた。
幸い午後の中途半端な時間だっただけにお客さんは僕だけである。
それとなく、さり気なく、僕は彼女と一緒に商品を片付け始めた。
「あっ……すみません」
不安と緊張で強張っていた彼女に、少しだけ笑顔が戻る。
よかった。
それにしても停電は厄介だ。
自分の店が心配だけど、今はここを何とかするか……と、自分を奮い立たせる。
どうせ店も停電だろうし営業は見合わせかも……とスマホでニュースを検索する。
《東北地方で地震 震源地は宮城県沖およそ130km 深さ24km マグニチュード9 震度6強》
……えっ? これちょっとヤバいかも……
彼女に話しかける
「地震6だって……東北で。実家のほう大丈夫かな?」
「えっ……そうなんですか?それヤバいですね、後で電話してみますね」
そう、この時の僕らはまだ事態の深刻さを何もわかっていなかったのだ 。
◇◇◇
商品が散乱した店内をひと通り片付けどうにか回復させた。ただ、まだ停電は続いている。
元どおりになってほっとしたのと、状況がまだちゃんと整理出来ていない不安定な気持ちが交錯してぼんやりしてしまう。
パート主婦が
「店長に連絡しようと思って何度も電話してるんだけど繋がらないのよ……停電でお店の電話は使えないからSVさんとも連絡つかないし、このままじゃどうしていいかわからないわよねぇ……心配だからちょっと近所見てきますね、マイ子ちゃん、ちょっといてくれる?」
と、近所の様子を偵察するため外に出ていってしまった。
彼女は「よろしくお願いします」と主婦を見送ると、少し表情を崩して僕にお礼を言ってくれた。
「片付けありがとうございました。なんか停電続いてますけど、しばらくしたら復旧すると思うので、本当、ありがとうございました。わたしも来週からまたシフト入るんで、そのときまたどうなったか報告しますね。あっちょっと実家に電話しないと……」
と、携帯を取り出す彼女
「ううん、いいって。なんかまだ大変だけど頑張って」
と、声をかけて僕は帰ろうとした。
そこにパート主婦が慌てた様子で帰ってきて一気にまくし立てる──
「どうしよう……向こうのコンビニも、ドラッグストアも、みんな臨時閉店の張り紙してたのよ……店長には全然連絡がつかないし、ねぇマイ子ちゃん、どうしよう」
と、不安をぶつけてきた。
「停電してるからレジが使えないし、うちも無理なんじゃないですか? んもう……店長連絡くれてもいいのに、どうしますかねぇ」
と、携帯を耳にあてたまま、実家に電話が通じない様子の彼女もなんとなく困っている。
すると、半開きだった自動ドアを無理やり押し開けてお客さんが入ってきた。
「すみません、やってます?どこのコンビニもやってなくて、ここもう5軒目なんですよ」
そのお客さんは本当に困っているようだったので、僕は彼女に
「とりあえずレジ開けて、電卓で計算して売っちゃえば?困ってるみたいだし……」
と言ってみた。
彼女も「そうですね」と頷き、お客さんに「停電してますけどどうぞー」と声をかけた。
お客さんがレジに持ってきた商品と個数を紙に書いて控え、パート主婦が電卓で計算して会計。その場は何とか取り繕うことができた。
とりあえず停電が解消するまではこの方法で何とかいけそうだ。あとでレジに打ち込めばなんとかなるだろう。
◇◇◇
ところが事態は急変する。
外に停まっている車を見た人がぽつぽつと来店し、数分のうちに店内は十数人のお客さんで溢れかえってしまったのだ。
他のところがどうなっているかわからないけれど、停電は割と広範囲に及んでいるようで、懐中電灯やら、水、カップ麺、パンなど食料品を求めてみんな街中をさまよってるらしい。
お客さんの話によると、近所の大手スーパーも閉めちゃったという。
やばやばやばやば──
すると彼女は
「やっちゃいましょう!」
と、髪をひとつにまとめていつものスタイルになり、俄然張り切りだしたのだ。
「だって困ってるんだもん、やるっきゃないよ」
アハッ!100点……いいや120点満点だよ
僕は自然と動き出していた。
お客さんがレジに持ってきた金額のわからない商品の値段を彼女に伝え、彼女はその商品名と金額を紙に書き写す。そしてパート主婦が電卓で会計をする。
数をこなすことでだんだん慣れてくるから面白い。謎のチームワークが生まれていた。
僕はパート主婦に
「上着着たほうがいいですよ。入り口開けっぱだから風も中に入ってくるし寒いでしょ」
と勧めたり、主要商品の金額を先回りして紙に書き写して彼女に渡したりした。
おかしなことに、もはや店員である。
会計には時間がかかるけれど、この緊急事態でここしか店がやってない状況で、文句を言う人は誰もいなかった。みんな口々に感謝の言葉をかけてくれる。
「開いててよかった」
「ありがとう」
「助かったー」
街のホットステーション。
人と人との繋がりを再認識させてくれる。
コンビニは、ただ便利なだけじゃない。
いつでもそこにある……そういう、人がイメージする安心感がお店の存在意義であり、それが愛される理由でもある。
コンビニとは、街を照らす大切な灯りなんだ。
◇◇◇
時刻は18時を回り、陽は沈み、停電の続く暗い状態で営業は困難になってしまった。電卓もソーラー電池のためもう限界だった。
お客さんが途切れたところで入り口を閉め、「臨時閉店」とマジックで書いた紙を貼る。
とにかく計算間違いはあるだろうけど、僕らはやり切った。そう、やり切ったんだ。
店員でもないのに、僕らには無駄な達成感があった。
吊り橋効果じゃないけれど、彼女との距離もグッと縮まっていた。それはもうハイタッチするくらいに。
「あ、うん」の呼吸みたいな……そういえば、彼女とは初めて言葉を交わしたときからそういう感覚があった気がする。もしも歳が近かったら、絶対いいパートナーになってただろうなぁ……なんて思ったり。
◇◇◇
ようやく店長と連絡が取れたようで、「今日は臨時でお店を閉めることになりました。」とパート主婦。他の店舗にいた店長がこれから店を閉めに来てくれるという。確かに24時間営業だから、入り口の鍵とかわからないのは当然のことだろう。
パート主婦を残して、僕と彼女は店を出た。
「これから仕事なんですよね。いろいろすみません。本当ありがとうございました」
と彼女。
「なんか面白かったね」
と言うと、彼女はニッコリと笑顔になり、そうして胸の前で小さく手を振ってくれた。
彼女は声にしなかったけど、その口びるの動きは
「また今度」
と言ってたし、僕も
「またね」
と口びるだけで返事をした。
それだけで彼女とは分かり合えている……と、何故だか僕には不思議な確信があった。
僕はエンジンをかけて、真っ暗な駅方面に向かって走りだす。
自分の店も酷いことになってるだろうなぁ……なんて思いつつ、彼女とハイタッチした手のひらの感触に、ぼんやりと想いを寄せていた。
でも、
でもそれが、彼女と会った最後の日になった。
いつか会えなくなる日とは、今日のことだった。
神さまは教えてくれなかったけれど、透明な砂時計は静かにその役目を終えてしまったんだ。
(FIN
エピローグあります