未来はわからない。でも悲観するなかれ。
未来を読むということ。
君が石器時代の人だとするよね。
そんな世界のサミットがあって、未来の世界について予測して報告しなければいけなくなったとする。
今の僕たちは当然知っているけれども、当時の僕としては、これから来る車輪の発明を予測しなくちゃいけない。
そうしないと、車輪の発明によって生まれる未来が、全て予測できなくなってしまうからね。
でも、車輪の発明を知るということは、車輪がどんなものか知っているということだよね。だとしたら、車輪の仕組みも知っていておかしくないわけだ。
そうすると、現時点で車輪ってものを作り始めていてもおかしくない。そう思わないかい?
なんとも矛盾した話だ。知らない未来を確実に予測しようとしたら、すでに知らない未来を始めることができてしまう。
おもしろいと思わないかい。
つまり、本質的に未来なんて予測できないということなんだよ。
『3年後の受験勉強に備えて勉強する。そんな未来に備えて準備をすることだってあるじゃないか』
それはまさに「すでに始まっている未来」といえるね。車輪を作り出していて、そのレールの延長線上の話をしているにすぎない。そんなのサミットで話すまでもないことかもしれないね。
未来は予測できない。・・だとしたらどうしたらいいのさ。
それにしても、だとしたら僕たちはどうしたらいいんだろうね。
本質的には未来が予測できない。だけれども来るべき未来に対応しなければならない。
そうすると、僕たちにはできることが二つあると思うんだ。
一つめは、すでに走り始めている未来をしっかりと知り、理解し、そのための準備を欠かさないこと。
ふたつめは、自分の知識を増やし、認知を広げ、少しでもできることを増やしておくこと。そうして、いざ不知の未来がやってきた時にチャンスを逃さないようにすること。
・・とはいってもできることは限られている。認知にも限界がある。命には終わりがある。だとしたら、闇雲に手当たり次第、手を出し、突き進むのは非効率というものだよね。
ならば、したいことをしよう。やらないことを決めよう。どうせだったら興味が湧くこと、夢中になれることをしよう。
その方が集中できる。好きこそ物の上手なれ、どうせだったら好きなことへのめり込もう。そう思わないかい?
そうすればより深く物事を習得できるし、よしんば見当違いだったとしても楽しめるだろ。それに得てきた経験は決して無駄にならないしね。
『家でぐうたら昼寝しているのが好きなんだが。それでもいいかい?』
それはしたいことでもおすすめしないよ。自分のできることを増やして、いざやってくる未来に対応できることが大切だからね。行動しなければそれは叶わない。
『動かざること山の如しって言葉もあるよ』
信玄は十分に頭を動かしているよね。選択と判断の上に動かないという結論を出しているのだから、十分に行動していると言えるよ。
心身ともに行動する。そして未来を楽しむ。
身体にせよ、心にせよ、行動する。
成功するにせよ、失敗するにせよ、行動することでなんらかの経験を得て、認知できること、やれることが増えるもんさ。
いずれにしても、本質的には予測できない未来だけれども、だからといって行動しないという選択はない。
未来がわからないと、諦める必要も、悲しむ必要もない。ただ前向きに、すでに始まっている未来を読み解く努力をすること。
それから、なにがくるかわからない未来を、楽しみ迎えることができるよう、自分が夢中になれることに集中すること。
そういうことをしておけば、後悔なく未来を迎えることができるんじゃないかな。
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