汚れた優しさ
あ、嘘ついてる。
何年も友達をやってきたから分かる確かな違和感と
小さな証拠の硝子が、気持ち悪い程にピッタリと
ハマっていく。
嘘だとわかっていても、“友達だから”と言い聞かせて最後まで信じ通すべきなのか、それとも温情なんてもう良い加減捨てるべきなのか。
まさか、良い大人になって友達の定義に苦しむとは思ってもいなかった。
❄︎ ❄︎ ❄︎
たしかに、昔から不器用な人だった。
みんなの喜ぶ顔を生き甲斐にしていて、自分の意思にはすぐに蓋をしてしまう。
誰にでも優しくて、気配りができて、思慮深い。
いつも0か100で、自己犠牲の塊みたいな人。
いつも自己中な私には出来ない振る舞いや心配りに
ときめいて、尊敬して、自慢の友達だった。
けれど、積もりに積もった自己犠牲は、ある日急に爆発する。
君が、突然人間関係をプツリと切ってしまう姿を、何度も隣で見てきた。
その度に、それじゃ駄目だよって怒った。
大切な友達だから、本気で心配した。
けれど、今考えると、自己中に生きている私の言葉なんて、最初から聞こえてなかったのだと思う。
きっと誰にも言えない不満や悩みがあって、それを打ち明けられずに過ごしてきたのだと思う。
いつも、君に甘えっぱなしで、すぐに怒ったりするから、言い出すのが難しかったのかもしれない。
でも、「それでもやっぱり君は優しくて良い人だよね」なんて私は良い所の再加熱をしてしまうから、君はもっと優しさを被った嘘をつくのだ。
ねぇ良い加減、私も君も、もうこういうの辞めよ?
この偽善に満ち溢れた汚れた優しさの悪循環を、
ちゃんと自分の力で完全に断ち切って。
本音聞くまで友達なんかじゃ無いから。