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『草枕』 ~ 夏目漱石 ~ を読む 


今日の読書こそ、真の学問である。
- 吉田松陰


〇今日の読書

『草枕』 ~ 夏目漱石 ~


〇なぜ読むのか?

僕は移住先(安住の地)探しの旅として熊本県にある峠の茶屋を訪れた。知らずにやってきたのだが、そこは夏目漱石の草枕の舞台とされる場所で資料館となっていた。

そこで、冒頭の文章を読むことになる。

 山路やまみちを登りながら、こう考えた。
 智ちに働けば角かどが立つ。情じょうに棹さおさせば流される。意地を通とおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高こうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟さとった時、詩が生れて、画えが出来る。

今の暮らしを変えようと熊本を訪れた自分にぐさりと刺さる言葉たち。ここから物語が始まる。
その帰路には僕の足は自然と本屋に向いていた。

夏目漱石の『私の個人主義』という講演を記したものがあって、これも愛読書として心に置いている。それから実は夏目漱石の小説を読み耽りたいと思っていた。夏目漱石はぼくらを文学少年にさせてくれる気がするのだ。


〇あらすじ

東京に住む画工の旅の物語。非人情をしに出掛けた旅と画工が語るように、この作品を通してのテーマは非人情。それが漱石の文学論であり、芸術論である。画工が語る中にも、非人情になり切れていない光景も垣間見える。

四角な世界から常識と名のつく、一角いっかくを磨滅まめつして、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。

翻訳本は『The Three-Cornred World』と題された。この物語は上の一文に語られていると言ってもいいのだろう。

13章に舞台は分けられる。各章をそれぞれの舞台として眺めるように読むのが、『草枕』の楽しみ方のようだ。


1章 山路をゆく。画工の心情が描かれる。

しばらくこの旅中りょちゅうに起る出来事と、旅中に出逢であう人間を能の仕組しくみと能役者の所作しょさに見立てたらどうだろう。

こんな風に画工は道中でこれから起こる出来事を能に見立てて旅をして行く。こうやって、日常を過ごしてみると、些細な出来事も演劇の舞台のように観ていられるのだ。草枕を読むと、その境地を画にしたり詩にしたりして、日々を過ごしてみるのも一興だなと思わせてくれる。


2章 茶屋のばあさんの話『長良の乙女』について聞かされる。

「おい」と声を掛けたが返事がない。

という一文から2章は始まる。各章の始まりの一節がいい。これから舞台が始まるのかと予感させてくれる。こんな風に思いながら峠の茶屋に入っていく画工を想像するのも面白い。
二人の男に言い寄られた末に身を投げた長良の乙女の昔話を聞く。ヒロインのお嬢さんのイメージが膨らんでいく。


3章 ヒロインの那美さんとの出会い。夢うつつに影法師を見る。

 怖こわいものもただ怖いものそのままの姿と見れば詩になる。凄すごい事も、己おのれを離れて、ただ単独に凄いのだと思えば画えになる。失恋が芸術の題目となるのも全くその通りである。失恋の苦しみを忘れて、そのやさしいところやら、同情の宿やどるところやら、憂うれいのこもるところやら、一歩進めて云えば失恋の苦しみそのものの溢あふるるところやらを、単に客観的に眼前がんぜんに思い浮べるから文学美術の材料になる。

非人情で状況を観ることで、たとえ自分に起こる出来事でも画になるし詩にもなるのだ。なるほど確かになと思う。

夜半の寝床に歌声が聞こえてくる。障子を開けてみると月の光を忍ぶ影法師の姿を見る。物語の中で那美さんは幾度も画工を驚かせるように現れる。それはまるで能の舞台で女役者なのだ。


4章 那美さんとの会話。至極呑気な春を過ごす。

こうやって、煦々くくたる春日しゅんじつに背中せなかをあぶって、椽側えんがわに花の影と共に寝ころんでいるのが、天下の至楽しらくである。考えれば外道げどうに堕おちる。動くと危ない。出来るならば鼻から呼吸いきもしたくない。畳から根の生えた植物のようにじっとして二週間ばかり暮して見たい。

那美さんのことが気になって仕方がない画工。俳句の掛け合いをしたり、至極呑気な春を過ごす。

身を逆さかしまにして、ふくらむ咽喉のどの底を震ふるわして、小さき口の張り裂くるばかりに、
 ほーう、ほけきょーう。ほーー、ほけっーきょうーと、つづけ様さまに囀さえずる。
「あれが本当の歌です」と女が余に教えた。

余談だけれど、この場面を読んでいると、ばさっと小鳥が部屋の窓にぶつかった。そして、慌てて飛び去っていった。その後ろ姿には必死に生きる様子とその訴えが見て取れたような気がした。


5章 親方の話『狂印の女』と那美さんについて語る。

床屋の親方から那美さんは狂印だと噂話を聞かされる。この田舎の里にあるのどかな景色と親方の乱暴な手際と口調とは調和しようがない。那美さんのことが気になって仕方のない画工は、その舞台を盛り上げるかのように方々で噂話を聞いていく。


6章 家を歩く那美さんを観る。

この一節がいちばん好きなところ。美しい。音の調べがいい。そして、この境界に入ることが芸術家の本髄なのだと思う。

 空しき家を、空しく抜ける春風はるかぜの、抜けて行くは迎える人への義理でもない。拒こばむものへの面当つらあてでもない。自おのずから来きたりて、自から去る、公平なる宇宙の意こころである。掌たなごころに顎あごを支ささえたる余の心も、わが住む部屋のごとく空むなしければ、春風は招かぬに、遠慮もなく行き抜けるであろう。

空しき家で詩を詠む画工だったが、家の中にふと那美さんは現れる。こちらには脇目も振らず、また芝居役者のような振る舞いで。


7章 風呂場の春の靄にて。

 放心ほうしんと無邪気とは余裕を示す。余裕は画えにおいて、詩において、もしくは文章において、必須ひっすうの条件である。今代芸術きんだいげいじゅつの一大弊竇へいとうは、いわゆる文明の潮流が、いたずらに芸術の士を駆って、拘々くくとして随処に齷齪あくそくたらしむるにある。

舞台の合間合間に漱石の芸術論が語られる。明治の時代に西洋近代化の波が寄せられることへの危惧が見て取れる。

風呂場で心地よくなっているところへ、白い輪郭が春の靄の中を歩いてくる。那美さんの見せ場で大一番だ。ホホホホといつもの甲高いような笑い声をあげて去っていく。


8章 戦争に向かう青年に現実を見る。

ここで突然、現実に帰される。非人情の旅をするために東京からいなかの温泉宿までやってきた画工だが、呑気に過ごしたこの里にも現実を見る。漱石は芸術に生きる中にも現実は切れないものだと言っているようである。

 現実世界は山を越え、海を越えて、平家へいけの後裔こうえいのみ住み古るしたる孤村にまで逼せまる。朔北さくほくの曠野こうやを染むる血潮の何万分の一かは、この青年の動脈から迸ほとばしる時が来るかも知れない。この青年の腰に吊つる長き剣つるぎの先から煙りとなって吹くかも知れない。しかしてその青年は、夢みる事よりほかに、何らの価値を、人生に認め得ざる一画工の隣りに坐っている。耳をそばだつれば彼が胸に打つ心臓の鼓動さえ聞き得るほど近くに坐っている。その鼓動のうちには、百里の平野を捲まく高き潮うしおが今すでに響いているかも知れぬ。運命は卒然そつぜんとしてこの二人を一堂のうちに会したるのみにて、その他には何事をも語らぬ。


9章 那美さんとの会話『非人情について』 

画工は小説の読み方を語る。これがどうやら草枕の読み方らしい。筋のない話だから、どこを読んでも面白いのだと。そこにはただ美しさがあればいいというのが、俳句的小説と言われる草枕なのだろう。

「勉強じゃありません。ただ机の上へ、こう開あけて、開いた所をいい加減に読んでるんです」
「なぜって、小説なんか、そうして読む方が面白いです」

身を投げているところをかいて下さいと衝撃の言葉を受ける。本気とも嘘ともわからない。非人情に努める画工も那美さんにはいとも簡単に驚かされる。

「私が身を投げて浮いているところを――苦しんで浮いてるところじゃないんです――やすやすと往生して浮いているところを――奇麗な画にかいて下さい」


10章 『志保田の嬢様』の話。鏡が池での光景。

鏡が池では赤い椿がぽたりぽたりと落ちる景色が描かれる。
『志保田の嬢様』の話を聞く。虚無僧を追って身を投げたというのが代々前の志保田家のお嬢様。志保田家の女は気が狂うのだと言う。

常に非人情な佇まいの那美さんの表情に欠けているものは、憐れの念だと画工は気づく。その表情を見て取れた時に画工の描きたい画は完成するようだ。

 いろいろに考えた末、しまいにようやくこれだと気がついた。多くある情緒じょうしょのうちで、憐あわれと云う字のあるのを忘れていた。憐れは神の知らぬ情じょうで、しかも神にもっとも近き人間の情である。御那美さんの表情のうちにはこの憐れの念が少しもあらわれておらぬ。そこが物足らぬのである。ある咄嗟とっさの衝動で、この情があの女の眉宇びうにひらめいた瞬時に、わが画えは成就じょうじゅするであろう。

鏡が池の崖の上に那美さんを見る。身を投げるのかいなやという緊迫感。ここでも舞台役者に徹する那美さんを見られる。

草枕の物語は、どうなるんだ?どうなるんだ?と思って読んでいても、たいして何も起こらない。ただ舞台を観るように距離を取って、もう一度読み直すとなんだか物語が浮かび上がってくるように感じる所に面白さがある。


11章 和尚の話。

「あの松の影を御覧」
「奇麗きれいですな」
「ただ奇麗かな」
「ええ」
「奇麗な上に、風が吹いても苦にしない」

いい表現だなと思った。和尚の書に『竹影階払塵不動(ちくえいかいをはらってちりうごかず)』というのが物語に出てきた。これは竹の影が風に揺れ掃くように動いても石段の塵は動かないものだということで、外界がどう荒れていようとも心身自在な境地を例えている。
それに対し、月に照らされる松の影は風が吹くことすらも苦にしない様が見られる。


12章 那美さんと元旦那のやり取りを覗き見る。

 ごろりと寝ねる。帽子が額ひたいをすべって、やけに阿弥陀あみだとなる。所々の草を一二尺抽ぬいて、木瓜ぼけの小株が茂っている。
余が顔はちょうどその一つの前に落ちた。木瓜ぼけは面白い花である。枝は頑固がんこで、かつて曲まがった事がない。そんなら真直まっすぐかと云うと、けっして真直でもない。
評して見ると木瓜は花のうちで、愚おろかにして悟さとったものであろう。世間には拙せつを守ると云う人がある。この人が来世らいせに生れ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。

草を枕にこんなことを思っている画工を前に、那美さんと野武士のような見た目の元旦那が現れる。短刀を襟に忍ばせた那美さんを見ていたために、ここでもハラハラとさせられる場面を垣間見る。

拙を守るという表現も好きだなぁ。僕も生まれ変わるなら木瓜になりたいと思った。


13章 那美さんの表情に憐れ見る。画工の画が完成する。

戦争に向かう久一さんと共に駅へ向かう。

「久一さん。御前も死ぬがいい。生きて帰っちゃ外聞がいぶんがわるい」
「そんな乱暴な事を――まあまあ、めでたく凱旋がいせんをして帰って来てくれ。死ぬばかりが国家のためではない。わしもまだ二三年は生きるつもりじゃ。まだ逢あえる」
 老人の言葉の尾を長く手繰たぐると、尻が細くなって、末は涙の糸になる。ただ男だけにそこまではだまを出さない。久一さんは何も云わずに、横を向いて、岸の方を見た。

末は涙の糸になる、この表現もいいな。切ない声と情感が伝わってくる。力強い那美さんの様が対照的に映る。

クライマックスを前に急に時代の批判を耽りだす。ここは漱石が強く訴えたい所だったのだろう。

 いよいよ現実世界へ引きずり出された。汽車の見える所を現実世界と云う。汽車ほど二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を同じ箱へ詰めて轟ごうと通る。情なさけ容赦ようしゃはない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまってそうして、同様に蒸滊じょうきの恩沢おんたくに浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれると云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。汽車ほど個性を軽蔑けいべつしたものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする。一人前ひとりまえ何坪何合かの地面を与えて、この地面のうちでは寝るとも起きるとも勝手にせよと云うのが現今の文明である。同時にこの何坪何合の周囲に鉄柵てっさくを設けて、これよりさきへは一歩も出てはならぬぞと威嚇おどかすのが現今の文明である。何坪何合のうちで自由を擅ほしいままにしたものが、この鉄柵外にも自由を擅にしたくなるのは自然の勢いきおいである。憐あわれむべき文明の国民は日夜にこの鉄柵に噛かみついて咆哮ほうこうしている。文明は個人に自由を与えて虎とらのごとく猛たけからしめたる後、これを檻穽かんせいの内に投げ込んで、天下の平和を維持しつつある。この平和は真の平和ではない。動物園の虎が見物人を睨にらめて、寝転ねころんでいると同様な平和である。檻おりの鉄棒が一本でも抜けたら――世はめちゃめちゃになる。第二の仏蘭西革命フランスかくめいはこの時に起るのであろう。個人の革命は今すでに日夜にちやに起りつつある。北欧の偉人イブセンはこの革命の起るべき状態についてつぶさにその例証を吾人ごじんに与えた。余は汽車の猛烈に、見界みさかいなく、すべての人を貨物同様に心得て走る様さまを見るたびに、客車のうちに閉とじ籠こめられたる個人と、個人の個性に寸毫すんごうの注意をだに払わざるこの鉄車てっしゃとを比較して、――あぶない、あぶない。気をつけねばあぶないと思う。現代の文明はこのあぶないで鼻を衝つかれるくらい充満している。おさき真闇まっくらに盲動もうどうする汽車はあぶない標本の一つである。
 停車場ステーション前の茶店に腰を下ろして、蓬餅よもぎもちを眺ながめながら汽車論を考えた。これは写生帖へかく訳にも行かず、人に話す必要もないから、だまって、餅を食いながら茶を飲む。

久一さんを見送る場面となる。

「あぶない。出ますよ」と云う声の下から、未練みれんのない鉄車てっしゃの音がごっとりごっとりと調子を取って動き出す。窓は一つ一つ、余等われわれの前を通る。久一さんの顔が小さくなって、最後の三等列車が、余の前を通るとき、窓の中から、また一つ顔が出た。
 茶色のはげた中折帽の下から、髯ひげだらけな野武士が名残なごり惜気おしげに首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合みあわせた。鉄車てっしゃはごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然ぼうぜんとして、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐あわれ」が一面に浮いている。
「それだ! それだ! それが出れば画えになりますよ」と余は那美さんの肩を叩たたきながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟とっさの際に成就じょうじゅしたのである。

常に役者として振る舞う那美さんに人情が宿った瞬間、その表情に憐れが映る。それだ!それだ!と言っている画工は人情に欠けるだろうが、この光景に画工の非人情の旅は完結するのである。

画工は東京での暮らしの中で画工になるという勇気を持てず、その心境を得るために温泉宿までやってきた。その道中を非人情に観ることで景色や光景を場面として画にしたり詩にしたりして、画工の美を表現してきた。画工が掲げる美しさが、この憐れと共に那美さんの表情に見て取れた時に、画工の画工をたらしめんとする意気地その心境も完成されたのだろうと思う。画をかくというよりも、この心境に入ることこそが芸術家であるということなのだと思った。


〇終わりに

漱石は『草枕』を美を生命とする俳句的小説と語る。

 私の『草枕』は、この世間普通にいふ小説とは全く反対の意味で書いたのである。唯一種の感じ――美しい感じが読者の頭に残りさへすればよい。それ以外に何も特別な目的があるのではない。さればこそ、プロツトも無ければ、事件の発展もない。(『余が「草枕」』)

漱石は『則天去私』という言葉を掲げ額に飾っていたという。
晩年の夏目漱石が理想とした心境。天に則って私心を捨てること。我執を捨てて自然に身をゆだねること。
四角の世界から、我という一角を捨て、智、情、意の三角の世界を観るというのが、草枕の主題であり、漱石の世界観だと僕は捉え受け取っている。

人情という個人の感情を離れたところから事象を見つめる。探偵のようにエゴを気にして人情に囚われる中には芸術を生む心境は存し得ないのだろう。
ただ、芸術が非人情から生まれるのに対して、憐れみを覚え、美しく感じるという人情を以てして、芸術は完成を見るのだとも思うのである。

 

〇お気に入りの箇所

お気に入りの箇所を引用しておこうと思ったが、切り取りたい場面が在り過ぎた。読み返したいという気持ちを込めて、お気に入りの箇所をここに残しておこうと思う。

1章 

山路をゆく非人情の旅。

 山路やまみちを登りながら、こう考えた。 智ちに働けば角かどが立つ。情じょうに棹さおさせば流される。意地を通とおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高こうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟さとった時、詩が生れて、画えが出来る。

 世に住むこと二十年にして、住むに甲斐かいある世と知った。二十五年にして明暗は表裏ひょうりのごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日こんにちはこう思うている。――喜びの深きとき憂うれいいよいよ深く、楽たのしみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片かたづけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖ふえれば寝ねる間まも心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支ささえている。背中せなかには重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽あき足たらぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……
 余よの考かんがえがここまで漂流して来た時に、余の右足うそくは突然坐すわりのわるい角石かくいしの端はしを踏み損そくなった。

 詩人に憂うれいはつきものかも知れないが、あの雲雀ひばりを聞く心持になれば微塵みじんの苦くもない。菜の花を見ても、ただうれしくて胸が躍おどるばかりだ。蒲公英もその通り、桜も――桜はいつか見えなくなった。こう山の中へ来て自然の景物けいぶつに接すれば、見るものも聞くものも面白い。面白いだけで別段の苦しみも起らぬ。起るとすれば足が草臥くたびれて、旨うまいものが食べられぬくらいの事だろう。
 しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一幅ぷくの画えとして観み、一巻かんの詩として読むからである。画がであり詩である以上は地面じめんを貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲ひともうけする了見りょうけんも起らぬ。ただこの景色が――腹の足たしにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も伴ともなわぬのだろう。自然の力はここにおいて尊たっとい。吾人の性情を瞬刻に陶冶とうやして醇乎じゅんことして醇なる詩境に入らしむるのは自然である。
 恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局きょくに当れば利害の旋風つむじに捲まき込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩くらんでしまう。したがってどこに詩があるか自身には解げしかねる。
 これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観みて面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚たなへ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。

 いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌しいかの純粋なるものもこの境きょうを解脱げだつする事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世うきよの勧工場かんこうばにあるものだけで用を弁べんじている。いくら詩的になっても地面の上を馳かけてあるいて、銭ぜにの勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀ひばりを聞いて嘆息したのも無理はない。
 うれしい事に東洋の詩歌しいかはそこを解脱げだつしたのがある。採菊きくをとる東籬下とうりのもと、悠然ゆうぜんとして見南山なんざんをみる。ただそれぎりの裏うちに暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。

 どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、浮世小路うきよこうじの何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。よし全く人情を離れる事が出来んでも、せめて御能拝見おのうはいけんの時くらいは淡い心持ちにはなれそうなものだ。

 しばらくこの旅中りょちゅうに起る出来事と、旅中に出逢であう人間を能の仕組しくみと能役者の所作しょさに見立てたらどうだろう。まるで人情を棄すてる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕こぎつけたいものだ。


2章 

婆さんの話『長良の乙女』

 「おい」と声を掛けたが返事がない。

 しばらくすると、奥の方から足音がして、煤すすけた障子がさらりと開あく。なかから一人の婆さんが出る。
 どうせ誰か出るだろうとは思っていた。竈へついに火は燃えている。菓子箱の上に銭が散らばっている。線香は呑気のんきに燻っている。どうせ出るにはきまっている。しかし自分の見世みせを明あけ放しても苦にならないと見えるところが、少し都とは違っている。返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここらが非人情で面白い。その上出て来た婆さんの顔が気に入った。

 余はまず天狗巌を眺ながめて、次に婆さんを眺めて、三度目には半々はんはんに両方を見比みくらべた。画家として余が頭のなかに存在する婆さんの顔は高砂たかさごの媼ばばと、蘆雪ろせつのかいた山姥やまうばのみである。蘆雪の図を見たとき、理想の婆さんは物凄ものすごいものだと感じた。紅葉もみじのなかか、寒い月の下に置くべきものと考えた。宝生ほうしょうの別会能べつかいのうを観るに及んで、なるほど老女にもこんな優しい表情があり得るものかと驚ろいた。あの面めんは定めて名人の刻んだものだろう。惜しい事に作者の名は聞き落したが、老人もこうあらわせば、豊かに、穏おだやかに、あたたかに見える。金屏きんびょうにも、春風はるかぜにも、あるは桜にもあしらって差さし支つかえない道具である。余は天狗岩よりは、腰をのして、手を翳かざして、遠く向うを指ゆびさしている、袖無し姿の婆さんを、春の山路やまじの景物として恰好かっこうなものだと考えた。余が写生帖を取り上げて、今しばらくという途端とたんに、婆さんの姿勢は崩れた。
 手持無沙汰てもちぶさたに写生帖を、火にあてて乾かわかしながら、

 婆さんが云う。
「嬢様と長良ながらの乙女おとめとはよく似ております」
「顔がかい」
「いいえ。身の成り行きがで御座んす」
「へえ、その長良の乙女と云うのは何者かい」
「昔むかしこの村に長良の乙女と云う、美くしい長者ちょうじゃの娘が御座りましたそうな」
「へえ」
「ところがその娘に二人の男が一度に懸想けそうして、あなた」
「なるほど」
「ささだ男に靡なびこうか、ささべ男に靡こうかと、娘はあけくれ思い煩わずらったが、どちらへも靡きかねて、とうとう
 あきづけばをばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも
と云う歌を咏よんで、淵川ふちかわへ身を投げて果はてました」
 余はこんな山里へ来て、こんな婆さんから、こんな古雅こがな言葉で、こんな古雅な話をきこうとは思いがけなかった。
「これから五丁東へ下くだると、道端みちばたに五輪塔ごりんのとうが御座んす。ついでに長良ながらの乙女おとめの墓を見て御行きなされ」
 余は心のうちに是非見て行こうと決心した。


3章

竹影階払塵不動

 昨夕ゆうべは妙な気持ちがした。

 仰向あおむけに寝ながら、偶然目を開あけて見ると欄間らんまに、朱塗しゅぬりの縁ふちをとった額がくがかかっている。文字もじは寝ながらも竹影ちくえい払階かいをはらってちりうごかずと明らかに読まれる。大徹だいてつという落款らっかんもたしかに見える。余は書に塵不動おいては皆無鑒識かいむかんしきのない男だが、平生から、黄檗おうばくの高泉和尚こうせんおしょうの筆致ひっちを愛している。隠元いんげんも即非そくひも木庵もくあんもそれぞれに面白味はあるが、高泉こうせんの字が一番蒼勁そうけいでしかも雅馴がじゅんである。今この七字を見ると、筆のあたりから手の運び具合、どうしても高泉としか思われない。しかし現げんに大徹とあるからには別人だろう。ことによると黄檗に大徹という坊主がいたかも知れぬ。それにしては紙の色が非常に新しい。どうしても昨今のものとしか受け取れない。
 横を向く。床とこにかかっている若冲じゃくちゅうの鶴の図が目につく。これは商売柄しょうばいがらだけに、部屋に這入はいった時、すでに逸品いっぴんと認めた。若冲の図は大抵精緻せいちな彩色ものが多いが、この鶴は世間に気兼きがねなしの一筆ひとふでがきで、一本足ですらりと立った上に、卵形たまごなりの胴がふわっと乗のっかっている様子は、はなはだ吾意わがいを得て、飄逸ひょういつの趣おもむきは、長い嘴はしのさきまで籠こもっている。床の隣りは違い棚を略して、普通の戸棚につづく。戸棚の中には何があるか分らない。

長良の乙女の夢


 すやすやと寝入る。夢に。
 長良ながらの乙女おとめが振袖を着て、青馬あおに乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男が飛び出して両方から引っ張る。女が急にオフェリヤになって、柳の枝へ上のぼって、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い竿さおを持って、向島むこうじまを追懸おっかけて行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行末ゆくえも知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。
 そこで眼が醒さめた。腋わきの下から汗が出ている。妙に雅俗混淆がぞくこんこうな夢を見たものだと思った。昔し宋そうの大慧禅師だいえぜんじと云う人は、悟道の後のち、何事も意のごとくに出来ん事はないが、ただ夢の中では俗念が出て困ると、長い間これを苦にされたそうだが、なるほどもっともだ。文芸を性命せいめいにするものは今少しうつくしい夢を見なければ幅はばが利きかない。こんな夢では大部分画にも詩にもならんと思いながら、寝返りを打つと、いつの間にか障子しょうじに月がさして、木の枝が二三本斜ななめに影をひたしている。冴さえるほどの春の夜よだ。


夢うつつの影法師

 気のせいか、誰か小声で歌をうたってるような気がする。夢のなかの歌が、この世へ抜け出したのか、あるいはこの世の声が遠き夢の国へ、うつつながらに紛まぎれ込んだのかと耳を峙そばだてる。たしかに誰かうたっている。細くかつ低い声には相違ないが、眠らんとする春の夜よに一縷いちるの脈をかすかに搏うたせつつある。不思議な事に、その調子はとにかく、文句をきくと――枕元でやってるのでないから、文句のわかりようはない。――その聞えぬはずのものが、よく聞える。あきづけば、をばなが上に、おく露の、けぬべくもわは、おもほゆるかもと長良ながらの乙女おとめの歌を、繰り返し繰り返すように思われる。
 初めのうちは椽えんに近く聞えた声が、しだいしだいに細く遠退とおのいて行く。突然とやむものには、突然の感はあるが、憐あわれはうすい。ふっつりと思い切ったる声をきく人の心には、やはりふっつりと思い切ったる感じが起る。これと云う句切りもなく自然じねんに細ほそりて、いつの間にか消えるべき現象には、われもまた秒びょうを縮め、分ふんを割さいて、心細さの細さが細る。死なんとしては、死なんとする病夫びょうふのごとく、消えんとしては、消えんとする灯火とうかのごとく、今やむか、やむかとのみ心を乱すこの歌の奥には、天下の春の恨うらみをことごとく萃あつめたる調べがある。
 今までは床とこの中に我慢して聞いていたが、聞く声の遠ざかるに連れて、わが耳は、釣り出さるると知りつつも、その声を追いかけたくなる。細くなればなるほど、耳だけになっても、あとを慕したって飛んで行きたい気がする。もうどう焦慮あせっても鼓膜こまくに応こたえはあるまいと思う一刹那いっせつなの前、余はたまらなくなって、われ知らず布団ふとんをすり抜けると共にさらりと障子しょうじを開あけた。途端とたんに自分の膝ひざから下が斜ななめに月の光りを浴びる。寝巻ねまきの上にも木の影が揺れながら落ちた。
 障子をあけた時にはそんな事には気がつかなかった。あの声はと、耳の走る見当を見破ると――向うにいた。花ならば海棠かいどうかと思わるる幹を背せに、よそよそしくも月の光りを忍んで朦朧もうろうたる影法師かげぼうしがいた。あれかと思う意識さえ、確しかとは心にうつらぬ間に、黒いものは花の影を踏み砕くだいて右へ切れた。わがいる部屋つづきの棟むねの角かどが、すらりと動く、背せいの高い女姿を、すぐに遮さえぎってしまう。


四角な世界から常識と名のつく、一角いっかくを磨滅まめつして、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう

 怖こわいものもただ怖いものそのままの姿と見れば詩になる。凄すごい事も、己おのれを離れて、ただ単独に凄いのだと思えば画えになる。失恋が芸術の題目となるのも全くその通りである。失恋の苦しみを忘れて、そのやさしいところやら、同情の宿やどるところやら、憂うれいのこもるところやら、一歩進めて云えば失恋の苦しみそのものの溢あふるるところやらを、単に客観的に眼前がんぜんに思い浮べるから文学美術の材料になる。世には有りもせぬ失恋を製造して、自みずから強しいて煩悶はんもんして、愉快を貪むさぼるものがある。常人じょうにんはこれを評して愚ぐだと云う、気違だと云う。しかし自から不幸の輪廓を描えがいて好このんでその中うちに起臥きがするのは、自から烏有うゆうの山水を刻画こくがして壺中こちゅうの天地てんちに歓喜すると、その芸術的の立脚地りっきゃくちを得たる点において全く等しいと云わねばならぬ。この点において世上幾多の芸術家は(日常の人としてはいざ知らず)芸術家として常人よりも愚である、気違である。われわれは草鞋旅行わらじたびをする間あいだ、朝から晩まで苦しい、苦しいと不平を鳴らしつづけているが、人に向って曾遊そうゆうを説く時分には、不平らしい様子は少しも見せぬ。面白かった事、愉快であった事は無論、昔の不平をさえ得意に喋々ちょうちょうして、したり顔である。これはあえて自みずから欺あざむくの、人を偽いつわるのと云う了見りょうけんではない。旅行をする間は常人の心持ちで、曾遊を語るときはすでに詩人の態度にあるから、こんな矛盾が起る。して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角いっかくを磨滅まめつして、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。

 こんな時にどうすれば詩的な立脚地りっきゃくちに帰れるかと云えば、おのれの感じ、そのものを、おのが前に据すえつけて、その感じから一歩退しりぞいて有体ありていに落ちついて、他人らしくこれを検査する余地さえ作ればいいのである。詩人とは自分の屍骸しがいを、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している。その方便は色々あるが一番手近てぢかなのは何なんでも蚊かでも手当り次第十七字にまとめて見るのが一番いい。十七字は詩形としてもっとも軽便であるから、顔を洗う時にも、厠かわやに上のぼった時にも、電車に乗った時にも、容易に出来る。十七字が容易に出来ると云う意味は安直あんちょくに詩人になれると云う意味であって、詩人になると云うのは一種の悟さとりであるから軽便だと云って侮蔑ぶべつする必要はない。軽便であればあるほど功徳くどくになるからかえって尊重すべきものと思う。まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立ったところをすぐ十七字にする。十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている。腹を立ったり、俳句を作ったり、そう一人ひとりが同時に働けるものではない。ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否いなやうれしくなる。涙を十七字に纏まとめた時には、苦しみの涙は自分から遊離ゆうりして、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉うれしさだけの自分になる。
 これが平生へいぜいから余の主張である。

海棠かいだうの露をふるふや物狂ものぐるひ
花の影、女の影の朧おぼろかな
正一位しやういちゐ、女に化ばけて朧月おぼろづき

春の星を落して夜半よはのかざしかな
春の夜の雲に濡らすや洗ひ髪
春や今宵こよひ歌つかまつる御姿
海棠かいだうの精が出てくる月夜かな
うた折々月下の春ををちこちす
思ひ切つて更け行く春の独りかな


那美さんとの出会い

「御早う。昨夕ゆうべはよく寝られましたか」
 戸を開けるのと、この言葉とはほとんど同時にきた。人のいるさえ予期しておらぬ出合頭であいがしらの挨拶あいさつだから、さそくの返事も出る遑いとまさえないうちに、
「さ、御召おめしなさい」
と後うしろへ廻って、ふわりと余の背中せなかへ柔かい着物をかけた。ようやくの事「これはありがとう……」だけ出して、向き直る、途端とたんに女は二三歩退しりぞいた。

 昔から小説家は必ず主人公の容貌ようぼうを極力描写することに相場がきまってる。古今東西の言語で、佳人かじんの品評ひんぴょうに使用せられたるものを列挙したならば、大蔵経だいぞうきょうとその量を争うかも知れぬ。この辟易へきえきすべき多量の形容詞中から、余と三歩の隔へだたりに立つ、体たいを斜ななめに捩ねじって、後目しりめに余が驚愕きょうがくと狼狽ろうばいを心地ここちよげに眺ながめている女を、もっとも適当に叙じょすべき用語を拾い来ったなら、どれほどの数になるか知れない。しかし生れて三十余年の今日こんにちに至るまで未いまだかつて、かかる表情を見た事がない。美術家の評によると、希臘ギリシャの彫刻の理想は、端粛たんしゅくの二字に帰きするそうである。端粛とは人間の活力の動かんとして、未だ動かざる姿と思う。動けばどう変化するか、風雲ふううんか雷霆らいていか、見わけのつかぬところに余韻よいんが縹緲ひょうびょうと存するから含蓄がんちくの趣おもむきを百世ひゃくせいの後のちに伝うるのであろう。世上幾多の尊厳と威儀とはこの湛然たんぜんたる可能力の裏面に伏在している。動けばあらわれる。あらわるれば一か二か三か必ず始末がつく。一も二も三も必ず特殊の能力には相違なかろうが、すでに一となり、二となり、三となった暁あかつきには、揓泥帯水たでいたいすいの陋ろうを遺憾いかんなく示して、本来円満ほんらいえんまんの相そうに戻る訳には行かぬ。この故ゆえに動どうと名のつくものは必ず卑しい。運慶うんけいの仁王におうも、北斎ほくさいの漫画まんがも全くこの動の一字で失敗している。動か静か。これがわれら画工がこうの運命を支配する大問題である。古来美人の形容も大抵この二大範疇はんちゅうのいずれにか打ち込む事が出来べきはずだ。
 ところがこの女の表情を見ると、余はいずれとも判断に迷った。口は一文字を結んで静しずかである。眼は五分ごぶのすきさえ見出すべく動いている。顔は下膨しもぶくれの瓜実形うりざねがたで、豊かに落ちつきを見せているに引き易かえて、額ひたいは狭苦せまくるしくも、こせついて、いわゆる富士額ふじびたいの俗臭ぞくしゅうを帯びている。のみならず眉まゆは両方から逼せまって、中間に数滴の薄荷はっかを点じたるごとく、ぴくぴく焦慮じれている。鼻ばかりは軽薄に鋭どくもない、遅鈍に丸くもない。画えにしたら美しかろう。かように別れ別れの道具が皆一癖ひとくせあって、乱調にどやどやと余の双眼に飛び込んだのだから迷うのも無理はない。
 元来は静せいであるべき大地だいちの一角に陥欠かんけつが起って、全体が思わず動いたが、動くは本来の性に背そむくと悟って、力つとめて往昔むかしの姿にもどろうとしたのを、平衡へいこうを失った機勢に制せられて、心ならずも動きつづけた今日こんにちは、やけだから無理でも動いて見せると云わぬばかりの有様が――そんな有様がもしあるとすればちょうどこの女を形容する事が出来る。
 それだから軽侮けいぶの裏うらに、何となく人に縋すがりたい景色が見える。人を馬鹿にした様子の底に慎つつしみ深い分別ふんべつがほのめいている。才に任せ、気を負おえば百人の男子を物の数とも思わぬ勢いきおいの下から温和おとなしい情なさけが吾知らず湧わいて出る。どうしても表情に一致がない。悟さとりと迷まよいが一軒の家うちに喧嘩けんかをしながらも同居している体ていだ。この女の顔に統一の感じのないのは、心に統一のない証拠で、心に統一がないのは、この女の世界に統一がなかったのだろう。不幸に圧おしつけられながら、その不幸に打ち勝とうとしている顔だ。不仕合ふしあわせな女に違ない。


4章 

俳句の掛け合い

 ぽかんと部屋へ帰ると、なるほど奇麗きれいに掃除がしてある。ちょっと気がかりだから、念のため戸棚をあけて見る。下には小さな用箪笥ようだんすが見える。上から友禅ゆうぜんの扱帯しごきが半分垂たれかかって、いるのは、誰か衣類でも取り出して急いで、出て行ったものと解釈が出来る。扱帯の上部はなまめかしい衣裳いしょうの間にかくれて先は見えない。片側には書物が少々詰めてある。一番上に白隠和尚はくいんおしょうの遠良天釜おらてがまと、伊勢物語いせものがたりの一巻が並んでる。昨夕ゆうべのうつつは事実かも知れないと思った。
 何気なにげなく座布団ざぶとんの上へ坐ると、唐木からきの机の上に例の写生帖が、鉛筆を挟はさんだまま、大事そうにあけてある。夢中に書き流した句を、朝見たらどんな具合だろうと手に取る。

「海棠かいだうの露をふるふや物狂ものぐるひ」 の下にだれだか
「海棠の露をふるふや朝烏あさがらす」 とかいたものがある。

鉛筆だから、書体はしかと解わからんが、女にしては硬過かたすぎる、男にしては柔やわらか過ぎる。おやとまた吃驚びっくりする。次を見ると

「花の影、女の影の朧おぼろかな」 の下に
「花の影女の影を重かさねけり」とつけてある。

「正一位しやういちゐ女に化けて朧月おぼろづき」の下には
「御曹子おんざうし女に化けて朧月」とある。

真似まねをしたつもりか、添削てんさくした気か、風流の交まじわりか、馬鹿か、馬鹿にしたのか、余は思わず首を傾かたむけた。


至極しごく呑気のんきな春

 時計は十二時近くなったが飯めしを食わせる景色はさらにない。ようやく空腹を覚えて来たが、空山くうざん不見人ひとをみずと云う詩中にあると思うと、一とかたげぐらい倹約しても遺憾いかんはない。画えをかくのも面倒だ、俳句は作らんでもすでに俳三昧はいざんまいに入っているから、作るだけ野暮やぼだ。読もうと思って三脚几さんきゃくきに括くくりつけて来た二三冊の書籍もほどく気にならん。こうやって、煦々くくたる春日しゅんじつに背中せなかをあぶって、椽側えんがわに花の影と共に寝ころんでいるのが、天下の至楽しらくである。考えれば外道げどうに堕おちる。動くと危ない。出来るならば鼻から呼吸いきもしたくない。畳から根の生えた植物のようにじっとして二週間ばかり暮して見たい。

 やがて、廊下に足音がして、段々下から誰か上あがってくる。近づくのを聞いていると、二人らしい。それが部屋の前でとまったなと思ったら、一人は何なんにも云わず、元の方へ引き返す。襖ふすまがあいたから、今朝の人と思ったら、やはり昨夜ゆうべの小女郎こじょろうである。何だか物足らぬ。
「うちに若い女の人がいるだろう」と椀を置きながら、質問をかけた。
「へえ」
「ありゃ何だい」
「若い奥様でござんす」
「あのほかにまだ年寄の奥様がいるのかい」
「去年御亡おなくなりました」
「旦那さんは」
「おります。旦那さんの娘さんでござんす」
「あの若い人がかい」
「へえ」
「御客はいるかい」
「おりません」
「わたし一人かい」
「へえ」
「若い奥さんは毎日何をしているかい」
「針仕事を……」
「それから」
「三味しゃみを弾ひきます」
 これは意外であった。面白いからまた
「それから」と聞いて見た。
「御寺へ行きます」と小女郎こじょろうが云う。
 これはまた意外である。御寺と三味線は妙だ。
「御寺詣まいりをするのかい」
「いいえ、和尚様おしょうさまの所へ行きます」
「和尚さんが三味線でも習うのかい」
「いいえ」
「じゃ何をしに行くのだい」
「大徹様だいてつさまの所へ行きます」
 なあるほど、大徹と云うのはこの額を書いた男に相違ない。この句から察すると何でも禅坊主ぜんぼうずらしい。戸棚に遠良天釜おらてがまがあったのは、全くあの女の所持品だろう。
「この部屋は普段誰か這入はいっている所かね」
「普段は奥様がおります」
「それじゃ、昨夕ゆうべ、わたしが来る時までここにいたのだね」
「へえ」
「それは御気の毒な事をした。それで大徹さんの所へ何をしに行くのだい」
「知りません」
「それから」
「何でござんす」
「それから、まだほかに何かするのだろう」
「それから、いろいろ……」
「いろいろって、どんな事を」
「知りません」
 会話はこれで切れる。飯はようやく了おわる。膳を引くとき、小女郎が入口の襖ふすまを開あけたら、中庭の栽込うえこみを隔へだてて、向う二階の欄干らんかんに銀杏返いちょうがえしが頬杖ほおづえを突いて、開化した楊柳観音ようりゅうかんのんのように下を見詰めていた。今朝に引き替かえて、はなはだ静かな姿である。俯向うつむいて、瞳の働きが、こちらへ通わないから、相好そうごうにかほどな変化を来たしたものであろうか。昔の人は人に存するもの眸子ぼうしより良きはなしと云ったそうだが、なるほど人焉いずくんぞ廋かくさんや、人間のうちで眼ほど活きている道具はない。寂然じゃくねんと倚よる亜字欄あじらんの下から、蝶々ちょうちょうが二羽寄りつ離れつ舞い上がる。途端とたんにわが部屋の襖ふすまはあいたのである。襖の音に、女は卒然と蝶から眼を余の方かたに転じた。視線は毒矢のごとく空くうを貫つらぬいて、会釈えしゃくもなく余が眉間みけんに落ちる。はっと思う間に、小女郎が、またはたと襖を立て切った。あとは至極しごく呑気のんきな春となる。


あれが本当の歌です

 茶と聞いて少し辟易へきえきした。世間に茶人ちゃじんほどもったいぶった風流人はない。広い詩界をわざとらしく窮屈に縄張なわばりをして、極きわめて自尊的に、極めてことさらに、極めてせせこましく、必要もないのに鞠躬如きくきゅうじょとして、あぶくを飲んで結構がるものはいわゆる茶人である。あんな煩瑣はんさな規則のうちに雅味があるなら、麻布あざぶの聯隊れんたいのなかは雅味で鼻がつかえるだろう。廻れ右、前への連中はことごとく大茶人でなくてはならぬ。あれは商人とか町人とか、まるで趣味の教育のない連中が、どうするのが風流か見当がつかぬところから、器械的に利休りきゅう以後の規則を鵜呑うのみにして、これでおおかた風流なんだろう、とかえって真の風流人を馬鹿にするための芸である。
「御茶って、あの流儀のある茶ですかな」
「いいえ、流儀も何もありゃしません。御厭おいやなら飲まなくってもいい御茶です」
「そんなら、ついでに飲んでもいいですよ」
「ほほほほ。父は道具を人に見ていただくのが大好きなんですから……」
「褒ほめなくっちゃあ、いけませんか」
「年寄りだから、褒めてやれば、嬉しがりますよ」
「へえ、少しなら褒めて置きましょう」
「負けて、たくさん御褒めなさい」
「はははは、時にあなたの言葉は田舎いなかじゃない」
「人間は田舎なんですか」
「人間は田舎の方がいいのです」
「それじゃ幅はばが利ききます」
「しかし東京にいた事がありましょう」
「ええ、いました、京都にもいました。渡りものですから、方々にいました」
「ここと都と、どっちがいいですか」
「同じ事ですわ」
「こう云う静かな所が、かえって気楽でしょう」
「気楽も、気楽でないも、世の中は気の持ちよう一つでどうでもなります。蚤のみの国が厭いやになったって、蚊かの国へ引越ひっこしちゃ、何なんにもなりません」
「蚤も蚊もいない国へ行ったら、いいでしょう」
「そんな国があるなら、ここへ出して御覧なさい。さあ出してちょうだい」と女は詰つめ寄せる。
「御望みなら、出して上げましょう」と例の写生帖をとって、女が馬へ乗って、山桜を見ている心持ち――無論とっさの筆使いだから、画えにはならない。ただ心持ちだけをさらさらと書いて、
「さあ、この中へ御這入おはいりなさい。蚤も蚊もいません」と鼻の前さきへ突きつけた。驚くか、恥ずかしがるか、この様子では、よもや、苦しがる事はなかろうと思って、ちょっと景色けしきを伺うかがうと、
「まあ、窮屈きゅうくつな世界だこと、横幅よこはばばかりじゃありませんか。そんな所が御好きなの、まるで蟹かにね」と云って退のけた。余は
「わはははは」と笑う。軒端のきばに近く、啼なきかけた鶯うぐいすが、中途で声を崩くずして、遠き方かたへ枝移りをやる。両人ふたりはわざと対話をやめて、しばらく耳を峙そばだてたが、いったん鳴き損そこねた咽喉のどは容易に開あけぬ。

「昨日きのうは山で源兵衛に御逢おあいでしたろう」
「ええ」
「長良ながらの乙女おとめの五輪塔ごりんのとうを見ていらしったか」
「ええ」
「あきづけば、をばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも」と説明もなく、女はすらりと節もつけずに歌だけ述べた。何のためか知らぬ。
「その歌はね、茶店で聞きましたよ」
「婆さんが教えましたか。あれはもと私のうちへ奉公したもので、私がまだ嫁に……」と云いかけて、これはと余よの顔を見たから、余は知らぬ風ふうをしていた。
「私がまだ若い時分でしたが、あれが来るたびに長良の話をして聞かせてやりました。うただけはなかなか覚えなかったのですが、何遍も聴きくうちに、とうとう何もかも諳誦あんしょうしてしまいました」
「どうれで、むずかしい事を知ってると思った。――しかしあの歌は憐あわれな歌ですね」
「憐れでしょうか。私ならあんな歌は咏よみませんね。第一、淵川ふちかわへ身を投げるなんて、つまらないじゃありませんか」
「なるほどつまらないですね。あなたならどうしますか」
「どうするって、訳ないじゃありませんか。ささだ男もささべ男も、男妾おとこめかけにするばかりですわ」
「両方ともですか」
「ええ」
「えらいな」
「えらかあない、当り前ですわ」
「なるほどそれじゃ蚊の国へも、蚤の国へも、飛び込まずに済む訳だ」
「蟹のような思いをしなくっても、生きていられるでしょう」
 ほーう、ほけきょうと忘れかけた鶯うぐいすが、いつ勢いきおいを盛り返してか、時ならぬ高音たかねを不意に張った。一度立て直すと、あとは自然に出ると見える。身を逆さかしまにして、ふくらむ咽喉のどの底を震ふるわして、小さき口の張り裂くるばかりに、
 ほーう、ほけきょーう。ほーー、ほけっーきょうーと、つづけ様さまに囀さえずる。
「あれが本当の歌です」と女が余に教えた。


5章

親方の話『狂印の女』

 「その坊主たあ、どの坊主だい」
「観海寺かんかいじの納所坊主なっしょぼうずがさ……」
「納所なっしょにも住持じゅうじにも、坊主はまだ一人も出て来ないんだ」
「そうか、急勝せっかちだから、いけねえ。苦味走にがんばしった、色の出来そうな坊主だったが、そいつが御前おまえさん、レコに参っちまって、とうとう文ふみをつけたんだ。――おや待てよ。口説くどいたんだっけかな。いんにゃ文だ。文に違ちげえねえ。すると――こうっと――何だか、行いきさつが少し変だぜ。うん、そうか、やっぱりそうか。するてえと奴やっこさん、驚ろいちまってからに……」
「誰が驚ろいたんだい」
「女がさ」
「女が文を受け取って驚ろいたんだね」
「ところが驚ろくような女なら、殊勝しおらしいんだが、驚ろくどころじゃねえ」
「じゃ誰が驚ろいたんだい」
「口説た方がさ」
「口説ないのじゃないか」
「ええ、じれってえ。間違ってらあ。文ふみをもらってさ」
「それじゃやっぱり女だろう」
「なあに男がさ」
「男なら、その坊主だろう」
「ええ、その坊主がさ」
「坊主がどうして驚ろいたのかい」
「どうしてって、本堂で和尚おしょうさんと御経を上げてると、突然いきなりあの女が飛び込んで来て――ウフフフフ。どうしても狂印きじるしだね」
「どうかしたのかい」
「そんなに可愛かわいいなら、仏様の前で、いっしょに寝ようって、出し抜けに、泰安たいあんさんの頸くびっ玉たまへかじりついたんでさあ」
「へええ」
「面喰めんくらったなあ、泰安さ。気狂きちげえに文をつけて、飛んだ恥を掻かかせられて、とうとう、その晩こっそり姿を隠して死んじまって……」
「死んだ?」
「死んだろうと思うのさ。生きちゃいられめえ」
「何とも云えない」
「そうさ、相手が気狂じゃ、死んだって冴さえねえから、ことによると生きてるかも知れねえね」
「なかなか面白い話だ」
「面白いの、面白くないのって、村中大笑いでさあ。ところが当人だけは、根ねが気が違ってるんだから、洒唖洒唖しゃあしゃあして平気なもんで――なあに旦那のようにしっかりしていりゃ大丈夫ですがね、相手が相手だから、滅多めったにからかったり何なんかすると、大変な目に逢いますよ」
「ちっと気をつけるかね。ははははは」

 生温なまぬるい磯いそから、塩気のある春風はるかぜがふわりふわりと来て、親方の暖簾のれんを眠ねむたそうに煽あおる。身を斜はすにしてその下をくぐり抜ける燕つばめの姿が、ひらりと、鏡の裡うちに落ちて行く。向うの家うちでは六十ばかりの爺さんが、軒下に蹲踞うずくまりながら、だまって貝をむいている。かちゃりと、小刀があたるたびに、赤い味みが笊ざるのなかに隠れる。殻からはきらりと光りを放って、二尺あまりの陽炎かげろうを向むこうへ横切る。丘のごとくに堆うずたかく、積み上げられた、貝殻は牡蠣かきか、馬鹿ばかか、馬刀貝まてがいか。崩くずれた、幾分は砂川すながわの底に落ちて、浮世の表から、暗くらい国へ葬られる。葬られるあとから、すぐ新しい貝が、柳の下へたまる。爺さんは貝の行末ゆくえを考うる暇さえなく、ただ空むなしき殻を陽炎かげろうの上へ放ほうり出す。彼かれの笊ざるには支ささうべき底なくして、彼れの春の日は無尽蔵に長閑のどかと見える。
 この景色とこの親方とはとうてい調和しない。


6章

この境界きょうがいを画えにして見たらどうだろう

 空しき家を、空しく抜ける春風はるかぜの、抜けて行くは迎える人への義理でもない。拒こばむものへの面当つらあてでもない。自おのずから来きたりて、自から去る、公平なる宇宙の意こころである。掌たなごころに顎あごを支ささえたる余の心も、わが住む部屋のごとく空むなしければ、春風は招かぬに、遠慮もなく行き抜けるであろう。

 余は明あきらかに何事をも考えておらぬ。またはたしかに何物をも見ておらぬ。わが意識の舞台に著るしき色彩をもって動くものがないから、われはいかなる事物に同化したとも云えぬ。されども吾は動いている。世の中に動いてもおらぬ、世の外にも動いておらぬ。ただ何となく動いている。花に動くにもあらず、鳥に動くにもあらず、人間に対して動くにもあらず、ただ恍惚こうこつと動いている。
 強しいて説明せよと云わるるならば、余が心はただ春と共に動いていると云いたい。あらゆる春の色、春の風、春の物、春の声を打って、固めて、仙丹せんたんに練り上げて、それを蓬莱ほうらいの霊液れいえきに溶といて、桃源とうげんの日で蒸発せしめた精気が、知らぬ間まに毛孔けあなから染しみ込んで、心が知覚せぬうちに飽和ほうわされてしまったと云いたい。普通の同化には刺激がある。刺激があればこそ、愉快であろう。余の同化には、何と同化したか不分明ふぶんみょうであるから、毫ごうも刺激がない。刺激がないから、窈然ようぜんとして名状しがたい楽たのしみがある。風に揉もまれて上うわの空そらなる波を起す、軽薄で騒々しい趣おもむきとは違う。目に見えぬ幾尋いくひろの底を、大陸から大陸まで動いている瀇洋こうようたる蒼海そうかいの有様と形容する事が出来る。ただそれほどに活力がないばかりだ。しかしそこにかえって幸福がある。偉大なる活力の発現は、この活力がいつか尽き果てるだろうとの懸念けねんが籠こもる。常の姿にはそう云う心配は伴わぬ。常よりは淡きわが心の、今の状態には、わが烈はげしき力の銷磨しょうましはせぬかとの憂うれいを離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき凡境をも脱却している。淡しとは単に捕とらえ難しと云う意味で、弱きに過ぎる虞おそれを含んではおらぬ。冲融ちゅうゆうとか澹蕩たんとうとか云う詩人の語はもっともこの境きょうを切実に言い了おおせたものだろう。

 この境界きょうがいを画えにして見たらどうだろうと考えた。

 ある特別の感興を、己おのが捕えたる森羅しんらの裡うちに寓するのがこの種の技術家の主意であるから、彼らの見たる物象観が明瞭めいりょうに筆端に迸ほとばしっておらねば、画を製作したとは云わぬ。己おのれはしかじかの事を、しかじかに観み、しかじかに感じたり、その観方みかたも感じ方も、前人ぜんじんの籬下りかに立ちて、古来の伝説に支配せられたるにあらず、しかももっとも正しくして、もっとも美くしきものなりとの主張を示す作品にあらざれば、わが作と云うをあえてせぬ。

 葛湯くずゆを練るとき、最初のうちは、さらさらして、箸はしに手応てごたえがないものだ。そこを辛抱しんぼうすると、ようやく粘着ねばりが出て、攪かき淆まぜる手が少し重くなる。それでも構わず、箸を休ませずに廻すと、今度は廻し切れなくなる。しまいには鍋なべの中の葛が、求めぬに、先方から、争って箸に附着してくる。詩を作るのはまさにこれだ。

 青春二三月。愁随芳草長。閑花落空庭。素琴横虚堂。蠨蛸掛不動。篆煙繞竹梁。
 独坐無隻語。方寸認微光。人間徒多事。此境孰可忘。会得一日静。正知百年忙。遐懐寄何処。緬邈白雲郷。

と出来た。もう一返いっぺん最初から読み直して見ると、ちょっと面白く読まれるが、どうも、自分が今しがた入はいった神境を写したものとすると、索然さくぜんとして物足りない。ついでだから、もう一首作って見ようかと、鉛筆を握ったまま、何の気もなしに、入口の方を見ると、襖ふすまを引いて、開あけ放はなった幅三尺の空間をちらりと、奇麗な影が通った。はてな。
 余が眼を転じて、入口を見たときは、奇麗なものが、すでに引き開けた襖の影に半分かくれかけていた。しかもその姿は余が見ぬ前から、動いていたものらしく、はっと思う間に通り越した。余は詩をすてて入口を見守る。

 女はもとより口も聞かぬ。傍目わきめも触ふらぬ。椽えんに引く裾すその音さえおのが耳に入らぬくらい静かに歩行あるいている。腰から下にぱっと色づく、裾模様すそもようは何を染め抜いたものか、遠くて解わからぬ。ただ無地むじと模様のつながる中が、おのずから暈ぼかされて、夜と昼との境のごとき心地ここちである。女はもとより夜と昼との境をあるいている。
 この長い振袖を着て、長い廊下を何度往き何度戻る気か、余には解からぬ。いつ頃からこの不思議な装よそおいをして、この不思議な歩行あゆみをつづけつつあるかも、余には解らぬ。その主意に至ってはもとより解らぬ。もとより解るべきはずならぬ事を、かくまでも端正に、かくまでも静粛に、かくまでも度を重ねて繰り返す人の姿の、入口にあらわれては消え、消えてはあらわるる時の余の感じは一種異様である。逝ゆく春の恨うらみを訴うる所作しょさならば何が故ゆえにかくは無頓着むとんじゃくなる。無頓着なる所作ならば何が故にかくは綺羅きらを飾れる。

 またこう感じた。うつくしき人が、うつくしき眠りについて、その眠りから、さめる暇もなく、幻覚うつつのままで、この世の呼吸いきを引き取るときに、枕元に病やまいを護まもるわれらの心はさぞつらいだろう。四苦八苦を百苦に重ねて死ぬならば、生甲斐いきがいのない本人はもとより、傍はたに見ている親しい人も殺すが慈悲と諦あきらめられるかも知れない。しかしすやすやと寝入る児に死ぬべき何の科とががあろう。眠りながら冥府よみに連れて行かれるのは、死ぬ覚悟をせぬうちに、だまし打ちに惜しき一命を果はたすと同様である。どうせ殺すものなら、とても逃のがれぬ定業じょうごうと得心もさせ、断念もして、念仏を唱となえたい。死ぬべき条件が具そなわらぬ先に、死ぬる事実のみが、ありありと、確かめらるるときに、南無阿弥陀仏なむあみだぶつと回向えこうをする声が出るくらいなら、その声でおういおういと、半ばあの世へ足を踏み込んだものを、無理にも呼び返したくなる。仮かりの眠りから、いつの間まとも心づかぬうちに、永い眠りに移る本人には、呼び返される方が、切れかかった煩悩ぼんのうの綱をむやみに引かるるようで苦しいかも知れぬ。慈悲だから、呼んでくれるな、穏おだやかに寝かしてくれと思うかも知れぬ。それでも、われわれは呼び返したくなる。余は今度女の姿が入口にあらわれたなら、呼びかけて、うつつの裡うちから救ってやろうかと思った。しかし夢のように、三尺の幅を、すうと抜ける影を見るや否いなや、何だか口が聴きけなくなる。今度はと心を定めているうちに、すうと苦もなく通ってしまう。なぜ何とも云えぬかと考うる途端とたんに、女はまた通る。こちらに窺うかがう人があって、その人が自分のためにどれほどやきもき思うているか、微塵みじんも気に掛からぬ有様で通る。面倒にも気の毒にも、初手しょてから、余のごときものに、気をかねておらぬ有様で通る。今度は今度はと思うているうちに、こらえかねた、雲の層が、持ち切れぬ雨の糸を、しめやかに落し出して、女の影を、蕭々しょうしょうと封じ了おわる。


7章 

春宵しゅんしょうの靄

 寒い。手拭てぬぐいを下げて、湯壺ゆつぼへ下くだる。

 秋の霧は冷やかに、たなびく靄もやは長閑のどかに、夕餉炊ゆうげたく、人の煙は青く立って、大いなる空に、わがはかなき姿を托す。様々の憐あわれはあるが、春の夜よの温泉でゆの曇りばかりは、浴ゆあみするものの肌を、柔やわらかにつつんで、古き世の男かと、われを疑わしむる。眼に写るものの見えぬほど、濃くまつわりはせぬが、薄絹を一重ひとえ破れば、何の苦もなく、下界の人と、己おのれを見出すように、浅きものではない。一重破り、二重破り、幾重を破り尽すともこの煙りから出す事はならぬ顔に、四方よりわれ一人を、温あたたかき虹にじの中うちに埋うずめ去る。酒に酔うと云う言葉はあるが、煙りに酔うと云う語句を耳にした事がない。あるとすれば、霧には無論使えぬ、霞には少し強過ぎる。ただこの靄に、春宵しゅんしょうの二字を冠したるとき、始めて妥当なるを覚える。


土左衛門どざえもんは風流ふうりゅうである

 余は湯槽ゆぶねのふちに仰向あおむけの頭を支ささえて、透すき徹とおる湯のなかの軽かろき身体からだを、出来るだけ抵抗力なきあたりへ漂ただよわして見た。ふわり、ふわりと魂たましいがくらげのように浮いている。世の中もこんな気になれば楽らくなものだ。分別ふんべつの錠前じょうまえを開あけて、執着しゅうじゃくの栓張しんばりをはずす。どうともせよと、湯泉ゆのなかで、湯泉ゆと同化してしまう。流れるものほど生きるに苦は入らぬ。流れるもののなかに、魂まで流していれば、基督キリストの御弟子となったよりありがたい。なるほどこの調子で考えると、土左衛門どざえもんは風流ふうりゅうである。スウィンバーンの何とか云う詩に、女が水の底で往生して嬉しがっている感じを書いてあったと思う。余が平生から苦にしていた、ミレーのオフェリヤも、こう観察するとだいぶ美しくなる。何であんな不愉快な所を択えらんだものかと今まで不審に思っていたが、あれはやはり画えになるのだ。水に浮んだまま、あるいは水に沈んだまま、あるいは沈んだり浮んだりしたまま、ただそのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。それで両岸にいろいろな草花をあしらって、水の色と流れて行く人の顔の色と、衣服の色に、落ちついた調和をとったなら、きっと画になるに相違ない。しかし流れて行く人の表情が、まるで平和ではほとんど神話か比喩ひゆになってしまう。痙攣的けいれんてきな苦悶くもんはもとより、全幅の精神をうち壊こわすが、全然色気いろけのない平気な顔では人情が写らない。どんな顔をかいたら成功するだろう。ミレーのオフェリヤは成功かも知れないが、彼の精神は余と同じところに存するか疑わしい。ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を以もって、一つ風流な土左衛門どざえもんをかいて見たい。しかし思うような顔はそうたやすく心に浮んで来そうもない。
 湯のなかに浮いたまま、今度は土左衛門どざえもんの賛さんを作って見る。

雨が降ったら濡ぬれるだろう。
霜しもが下おりたら冷つめたかろ。
土のしたでは暗かろう。
浮かば波の上、
沈まば波の底、
春の水なら苦はなかろ。

と口のうちで小声に誦じゅしつつ漫然まんぜんと浮いていると、どこかで弾ひく三味線の音ねが聞える。


画家の思い出

 小供の時分、門前に万屋よろずやと云う酒屋があって、そこに御倉おくらさんと云う娘がいた。この御倉さんが、静かな春の昼過ぎになると、必ず長唄の御浚おさらいをする。御浚が始まると、余は庭へ出る。茶畠の十坪余りを前に控ひかえて、三本の松が、客間の東側に並んでいる。この松は周まわり一尺もある大きな樹で、面白い事に、三本寄って、始めて趣のある恰好かっこうを形つくっていた。小供心にこの松を見ると好い心持になる。松の下に黒くさびた鉄灯籠かなどうろうが名の知れぬ赤石の上に、いつ見ても、わからず屋の頑固爺かたくなじじいのようにかたく坐っている。余はこの灯籠を見詰めるのが大好きであった。灯籠の前後には、苔こけ深き地を抽ぬいて、名も知らぬ春の草が、浮世の風を知らぬ顔に、独ひとり匂うて独り楽しんでいる。余はこの草のなかに、わずかに膝ひざを容いるるの席を見出して、じっと、しゃがむのがこの時分の癖であった。この三本の松の下に、この灯籠を睨にらめて、この草の香かを臭かいで、そうして御倉さんの長唄を遠くから聞くのが、当時の日課であった。


部屋一面の虹霓にじの世界

 放心ほうしんと無邪気とは余裕を示す。余裕は画えにおいて、詩において、もしくは文章において、必須ひっすうの条件である。今代芸術きんだいげいじゅつの一大弊竇へいとうは、いわゆる文明の潮流が、いたずらに芸術の士を駆って、拘々くくとして随処に齷齪あくそくたらしむるにある。

 室を埋うずむる湯煙は、埋めつくしたる後あとから、絶えず湧わき上がる。春の夜よの灯ひを半透明に崩くずし拡げて、部屋一面の虹霓にじの世界が濃こまやかに揺れるなかに、朦朧もうろうと、黒きかとも思わるるほどの髪を暈ぼかして、真白な姿が雲の底から次第に浮き上がって来る。その輪廓りんかくを見よ。
 頸筋くびすじを軽かろく内輪に、双方から責めて、苦もなく肩の方へなだれ落ちた線が、豊かに、丸く折れて、流るる末は五本の指と分わかれるのであろう。ふっくらと浮く二つの乳の下には、しばし引く波が、また滑なめらかに盛り返して下腹の張りを安らかに見せる。張る勢いきおいを後うしろへ抜いて、勢の尽くるあたりから、分れた肉が平衡を保つために少しく前に傾かたむく。逆ぎゃくに受くる膝頭ひざがしらのこのたびは、立て直して、長きうねりの踵かかとにつく頃、平ひらたき足が、すべての葛藤かっとうを、二枚の蹠あしのうらに安々と始末する。世の中にこれほど錯雑さくざつした配合はない、これほど統一のある配合もない。これほど自然で、これほど柔やわらかで、これほど抵抗の少い、これほど苦にならぬ輪廓は決して見出せぬ。

 輪廓は次第に白く浮きあがる。今一歩を踏み出せば、せっかくの嫦娥じょうがが、あわれ、俗界に堕落するよと思う刹那せつなに、緑の髪は、波を切る霊亀れいきの尾のごとくに風を起して、莽ぼうと靡なびいた。渦捲うずまく煙りを劈つんざいて、白い姿は階段を飛び上がる。ホホホホと鋭どく笑う女の声が、廊下に響いて、静かなる風呂場を次第に向むこうへ遠退とおのく。余はがぶりと湯を呑のんだまま槽ふねの中に突立つったつ。驚いた波が、胸へあたる。縁ふちを越す湯泉ゆの音がさあさあと鳴る。


8章 

運命は卒然そつぜんとしてこの二人を一堂のうちに会したる

「支那の方へおいでですか」と余はちょっと聞いて見た。
「ええ」
 ええの二字では少し物足らなかったが、その上掘って聞く必要もないから控ひかえた。障子しょうじを見ると、蘭らんの影が少し位置を変えている。
「なあに、あなた。やはり今度の戦争で――これがもと志願兵をやったものだから、それで召集されたので」
 老人は当人に代って、満洲の野やに日ならず出征すべきこの青年の運命を余に語つげた。この夢のような詩のような春の里に、啼なくは鳥、落つるは花、湧わくは温泉いでゆのみと思い詰つめていたのは間違である。現実世界は山を越え、海を越えて、平家へいけの後裔こうえいのみ住み古るしたる孤村にまで逼せまる。朔北さくほくの曠野こうやを染むる血潮の何万分の一かは、この青年の動脈から迸ほとばしる時が来るかも知れない。この青年の腰に吊つる長き剣つるぎの先から煙りとなって吹くかも知れない。しかしてその青年は、夢みる事よりほかに、何らの価値を、人生に認め得ざる一画工の隣りに坐っている。耳をそばだつれば彼が胸に打つ心臓の鼓動さえ聞き得るほど近くに坐っている。その鼓動のうちには、百里の平野を捲まく高き潮うしおが今すでに響いているかも知れぬ。運命は卒然そつぜんとしてこの二人を一堂のうちに会したるのみにて、その他には何事をも語らぬ。


9章 

ただ机の上へ、こう開あけて、開いた所をいい加減に読んでるんです

「御勉強ですか」と女が云う。部屋に帰った余は、三脚几さんきゃくきに縛しばりつけた、書物の一冊を抽ぬいて読んでいた。
「御這入おはいりなさい。ちっとも構いません」
 女は遠慮する景色けしきもなく、つかつかと這入る。くすんだ半襟はんえりの中から、恰好かっこうのいい頸くびの色が、あざやかに、抽ぬき出ている。女が余の前に坐った時、この頸とこの半襟の対照が第一番に眼についた。
「西洋の本ですか、むずかしい事が書いてあるでしょうね」
「なあに」
「じゃ何が書いてあるんです」
「そうですね。実はわたしにも、よく分らないんです」
「ホホホホ。それで御勉強なの」
「勉強じゃありません。ただ机の上へ、こう開あけて、開いた所をいい加減に読んでるんです」
「それで面白いんですか」
「それが面白いんです」
「なぜ?」
「なぜって、小説なんか、そうして読む方が面白いです」
「よっぽど変っていらっしゃるのね」
「ええ、ちっと変ってます」
「初から読んじゃ、どうして悪るいでしょう」
「初から読まなけりゃならないとすると、しまいまで読まなけりゃならない訳になりましょう」
「妙な理窟りくつだ事。しまいまで読んだっていいじゃありませんか」
「無論わるくは、ありませんよ。筋を読む気なら、わたしだって、そうします」
「筋を読まなけりゃ何を読むんです。筋のほかに何か読むものがありますか」
 余は、やはり女だなと思った。多少試験してやる気になる。
「あなたは小説が好きですか」
「私が?」と句を切った女は、あとから「そうですねえ」と判然はっきりしない返事をした。あまり好きでもなさそうだ。
「好きだか、嫌きらいだか自分にも解らないんじゃないですか」
「小説なんか読んだって、読まなくったって……」
と眼中にはまるで小説の存在を認めていない。
「それじゃ、初から読んだって、しまいから読んだって、いい加減な所をいい加減に読んだって、いい訳じゃありませんか。あなたのようにそう不思議がらないでもいいでしょう」
「だって、あなたと私とは違いますもの」
「どこが?」と余は女の眼の中うちを見詰めた。試験をするのはここだと思ったが、女の眸ひとみは少しも動かない。
「ホホホホ解りませんか」
「しかし若いうちは随分御読みなすったろう」余は一本道で押し合うのをやめにして、ちょっと裏へ廻った。
「今でも若いつもりですよ。可哀想かわいそうに」放した鷹たかはまたそれかかる。すこしも油断がならん。
「そんな事が男の前で云えれば、もう年寄のうちですよ」と、やっと引き戻した。
「そう云うあなたも随分の御年じゃあ、ありませんか。そんなに年をとっても、やっぱり、惚ほれたの、腫はれたの、にきびが出来たのってえ事が面白いんですか」
「ええ、面白いんです、死ぬまで面白いんです」
「おやそう。それだから画工えかきなんぞになれるんですね」
「全くです。画工だから、小説なんか初からしまいまで読む必要はないんです。けれども、どこを読んでも面白いのです。あなたと話をするのも面白い。ここへ逗留とうりゅうしているうちは毎日話をしたいくらいです。何ならあなたに惚れ込んでもいい。そうなるとなお面白い。しかしいくら惚れてもあなたと夫婦になる必要はないんです。惚れて夫婦になる必要があるうちは、小説を初からしまいまで読む必要があるんです」
「すると不人情ふにんじょうな惚れ方をするのが画工なんですね」
「不人情じゃありません。非人情な惚れ方をするんです。小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。こうして、御籤おみくじを引くように、ぱっと開あけて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」
「なるほど面白そうね。じゃ、今あなたが読んでいらっしゃる所を、少し話してちょうだい。どんな面白い事が出てくるか伺いたいから」
「話しちゃ駄目です。画えだって話にしちゃ一文の価値ねうちもなくなるじゃありませんか」


非人情ですよ

 轟ごうと音がして山の樹きがことごとく鳴る。思わず顔を見合わす途端とたんに、机の上の一輪挿いちりんざしに活いけた、椿つばきがふらふらと揺れる。「地震!」と小声で叫んだ女は、膝ひざを崩くずして余の机に靠よりかかる。御互おたがいの身躯からだがすれすれに動く。キキーと鋭するどい羽摶はばたきをして一羽の雉子きじが藪やぶの中から飛び出す。
「雉子が」と余は窓の外を見て云う。
「どこに」と女は崩した、からだを擦寄すりよせる。余の顔と女の顔が触れぬばかりに近づく。細い鼻の穴から出る女の呼吸いきが余の髭ひげにさわった。
「非人情ですよ」と女はたちまち坐住居いずまいを正しながら屹きっと云う。
「無論」と言下ごんかに余は答えた。


私が身を投げて浮いているところを―奇麗な画にかいて下さい

「あなたはどこへいらしったんです。和尚おしょうが聞いていましたぜ、また一人ひとり散歩かって」
「ええ鏡の池の方を廻って来ました」
「その鏡の池へ、わたしも行きたいんだが……」
「行って御覧なさい」
「画えにかくに好い所ですか」
「身を投げるに好い所です」
「身はまだなかなか投げないつもりです」
「私は近々きんきん投げるかも知れません」
 余りに女としては思い切った冗談じょうだんだから、余はふと顔を上げた。女は存外たしかである。
「私が身を投げて浮いているところを――苦しんで浮いてるところじゃないんです――やすやすと往生して浮いているところを――奇麗な画にかいて下さい」
「え?」
「驚ろいた、驚ろいた、驚ろいたでしょう」
 女はすらりと立ち上る。三歩にして尽くる部屋の入口を出るとき、顧かえりみてにこりと笑った。茫然ぼうぜんたる事多時たじ。


10章 

憐れは神の知らぬ情じょうで、しかも神にもっとも近き人間の情である

 余は立ち上がって、草の中から、手頃の石を二つ拾って来る。功徳くどくになると思ったから、眼の先へ、一つ抛ほうり込んでやる。ぶくぶくと泡あわが二つ浮いて、すぐ消えた。すぐ消えた、すぐ消えたと、余は心のうちで繰り返す。すかして見ると、三茎みくきほどの長い髪が、慵ものうげに揺れかかっている。見つかってはと云わぬばかりに、濁った水が底の方から隠しに来る。南無阿弥陀仏なむあみだぶつ。
 今度は思い切って、懸命に真中まんなかへなげる。ぽかんと幽かすかに音がした。静かなるものは決して取り合わない。もう抛なげる気も無くなった。絵の具箱と帽子を置いたまま右手へ廻る。

 見ていると、ぽたり赤い奴が水の上に落ちた。静かな春に動いたものはただこの一輪である。しばらくするとまたぽたり落ちた。あの花は決して散らない。崩くずれるよりも、かたまったまま枝を離れる。枝を離れるときは一度に離れるから、未練みれんのないように見えるが、落ちてもかたまっているところは、何となく毒々しい。またぽたり落ちる。ああやって落ちているうちに、池の水が赤くなるだろうと考えた。花が静かに浮いている辺あたりは今でも少々赤いような気がする。また落ちた。地の上へ落ちたのか、水の上へ落ちたのか、区別がつかぬくらい静かに浮く。また落ちる。あれが沈む事があるだろうかと思う。年々ねんねん落ち尽す幾万輪の椿は、水につかって、色が溶とけ出して、腐って泥になって、ようやく底に沈むのかしらん。幾千年の後にはこの古池が、人の知らぬ間まに、落ちた椿のために、埋うずもれて、元の平地ひらちに戻るかも知れぬ。また一つ大きいのが血を塗った、人魂ひとだまのように落ちる。また落ちる。ぽたりぽたりと落ちる。際限なく落ちる。
 こんな所へ美しい女の浮いているところをかいたら、どうだろうと思いながら、元の所へ帰って、また煙草を呑のんで、ぼんやり考え込む。温泉場ゆばの御那美おなみさんが昨日きのう冗談じょうだんに云った言葉が、うねりを打って、記憶のうちに寄せてくる。心は大浪おおなみにのる一枚の板子いたごのように揺れる。あの顔を種たねにして、あの椿の下に浮かせて、上から椿を幾輪も落とす。椿が長とこしなえに落ちて、女が長えに水に浮いている感じをあらわしたいが、それが画えでかけるだろうか。かのラオコーンには――ラオコーンなどはどうでも構わない。原理に背そむいても、背かなくっても、そう云う心持ちさえ出ればいい。しかし人間を離れないで人間以上の永久と云う感じを出すのは容易な事ではない。第一顔に困る。あの顔を借りるにしても、あの表情では駄目だ。苦痛が勝ってはすべてを打うち壊こわしてしまう。と云ってむやみに気楽ではなお困る。一層いっそほかの顔にしては、どうだろう。あれか、これかと指を折って見るが、どうも思おもわしくない。やはり御那美さんの顔が一番似合うようだ。しかし何だか物足らない。物足らないとまでは気がつくが、どこが物足らないかが、吾われながら不明である。したがって自己の想像でいい加減に作り易かえる訳に行かない。あれに嫉妒しっとを加えたら、どうだろう。嫉妒では不安の感が多過ぎる。憎悪ぞうおはどうだろう。憎悪は烈はげし過ぎる。怒いかり? 怒では全然調和を破る。恨うらみ? 恨でも春恨しゅんこんとか云う、詩的のものならば格別、ただの恨では余り俗である。いろいろに考えた末、しまいにようやくこれだと気がついた。多くある情緒じょうしょのうちで、憐あわれと云う字のあるのを忘れていた。憐れは神の知らぬ情じょうで、しかも神にもっとも近き人間の情である。御那美さんの表情のうちにはこの憐れの念が少しもあらわれておらぬ。そこが物足らぬのである。ある咄嗟とっさの衝動で、この情があの女の眉宇びうにひらめいた瞬時に、わが画えは成就じょうじゅするであろう。しかし――いつそれが見られるか解らない。あの女の顔に普段充満しているものは、人を馬鹿にする微笑うすわらいと、勝とう、勝とうと焦あせる八の字のみである。あれだけでは、とても物にならない。


志保田しほだの嬢様

「なんでも昔し、志保田しほだの嬢様が、身を投げた時分からありますよ」
「志保田って、あの温泉場ゆばのかい」
「はあい」
「御嬢さんが身を投げたって、現に達者でいるじゃないか」
「いんにえ。あの嬢さまじゃない。ずっと昔の嬢様が」
「ずっと昔の嬢様。いつ頃かね、それは」
「なんでも、よほど昔しの嬢様で……」
「その昔の嬢様が、どうしてまた身を投げたんだい」
「その嬢様は、やはり今の嬢様のように美しい嬢様であったそうながな、旦那様」
「うん」
「すると、ある日、一人ひとりの梵論字ぼろんじが来て……」
「梵論字と云うと虚無僧こもそうの事かい」
「はあい。あの尺八を吹く梵論字の事でござんす。その梵論字が志保田の庄屋しょうやへ逗留とうりゅうしているうちに、その美くしい嬢様が、その梵論字を見染みそめて――因果いんがと申しますか、どうしてもいっしょになりたいと云うて、泣きました」
「泣きました。ふうん」
「ところが庄屋どのが、聞き入れません。梵論字は聟むこにはならんと云うて。とうとう追い出しました」
「その虚無僧こもそう[#ルビの「こもそう」は底本では「こむそう」]をかい」
「はあい。そこで嬢様が、梵論字のあとを追うてここまで来て、――あの向うに見える松の所から、身を投げて、――とうとう、えらい騒ぎになりました。その時何でも一枚の鏡を持っていたとか申し伝えておりますよ。それでこの池を今でも鏡が池と申しまする」
「へええ。じゃ、もう身を投げたものがあるんだね」
「まことに怪けしからん事でござんす」
「何代くらい前の事かい。それは」
「なんでもよっぽど昔の事でござんすそうな。それから――これはここ限りの話だが、旦那さん」
「何だい」
「あの志保田の家には、代々だいだい気狂きちがいが出来ます」
「へええ」
「全く祟たたりでござんす。今の嬢様も、近頃は少し変だ云うて、皆が囃はやします」
「ハハハハそんな事はなかろう」
「ござんせんかな。しかしあの御袋様おふくろさまがやはり少し変でな」
「うちにいるのかい」
「いいえ、去年亡なくなりました」
「ふん」と余は煙草の吸殻すいがらから細い煙の立つのを見て、口を閉じた。

ようやく登り詰めて、余の双眼そうがんが今危巌きがんの頂いただきに達したるとき、余は蛇へびに睨にらまれた蟇ひきのごとく、はたりと画筆えふでを取り落した。
 緑みどりの枝を通す夕日を背に、暮れんとする晩春の蒼黒く巌頭を彩いろどる中に、楚然そぜんとして織り出されたる女の顔は、――花下かかに余を驚かし、まぼろしに余を驚ろかし、振袖ふりそでに余を驚かし、風呂場に余を驚かしたる女の顔である。
 余が視線は、蒼白あおじろき女の顔の真中まんなかにぐさと釘付くぎづけにされたぎり動かない。女もしなやかなる体躯たいくを伸のせるだけ伸して、高い巌いわおの上に一指も動かさずに立っている。この一刹那いっせつな!
 余は覚えず飛び上った。女はひらりと身をひねる。帯の間に椿の花の如く赤いものが、ちらついたと思ったら、すでに向うへ飛び下りた。夕日は樹梢じゅしょうを掠かすめて、幽かすかに松の幹を染むる。熊笹はいよいよ青い。
 また驚かされた。


11章 

和尚の話

山里やまざとの朧おぼろに乗じてそぞろ歩く。観海寺の石段を登りながら
仰数あおぎかぞう春星しゅんせい一二三
と云う句を得た。

 余は別に和尚おしょうに逢う用事もない。逢うて雑話をする気もない。偶然と宿を出いでて足の向くところに任せてぶらぶらするうち、ついこの石磴せきとうの下に出た。しばらく不許葷酒入山門くんしゅさんもんにいるをゆるさずと云う石を撫なでて立っていたが、急にうれしくなって、登り出したのである。
 トリストラム・シャンデーと云う書物のなかに、この書物ほど神の御覚召おぼしめしに叶かのうた書き方はないとある。最初の一句はともかくも自力じりきで綴つづる。あとはひたすらに神を念じて、筆の動くに任せる。何をかくか自分には無論見当がつかぬ。かく者は自己であるが、かく事は神の事である。したがって責任は著者にはないそうだ。余が散歩もまたこの流儀を汲くんだ、無責任の散歩である。ただ神を頼まぬだけが一層の無責任である。スターンは自分の責任を免のがれると同時にこれを在天の神に嫁かした。引き受けてくれる神を持たぬ余はついにこれを泥溝どぶの中に棄すてた。
 石段を登るにも骨を折っては登らない。骨が折れるくらいなら、すぐ引き返す。一段登って佇たたずむとき何となく愉快だ。それだから二段登る。二段目に詩が作りたくなる。黙然もくねんとして、吾影を見る。角石かくいしに遮さえぎられて三段に切れているのは妙だ。妙だからまた登る。仰いで天を望む。寝ぼけた奥から、小さい星がしきりに瞬まばたきをする。句になると思って、また登る。かくして、余はとうとう、上まで登り詰めた。
石段の上で思い出す。昔し鎌倉へ遊びに行って、いわゆる五山ごさんなるものを、ぐるぐる尋ねて廻った時、たしか円覚寺えんがくじの塔頭たっちゅうであったろう、やはりこんな風に石段をのそりのそりと登って行くと、門内から、黄きな法衣ころもを着た、頭の鉢はちの開いた坊主が出て来た。余は上のぼる、坊主は下くだる。すれ違った時、坊主が鋭どい声でどこへ御出おいでなさると問うた。余はただ境内けいだいを拝見にと答えて、同時に足を停とめたら、坊主は直ただちに、何もありませんぞと言い捨てて、すたすた下りて行った。あまり洒落しゃらくだから、余は少しく先せんを越された気味で、段上に立って、坊主を見送ると、坊主は、かの鉢の開いた頭を、振り立て振り立て、ついに姿を杉の木の間に隠した。その間あいだかつて一度も振り返った事はない。なるほど禅僧は面白い。きびきびしているなと、のっそり山門を這入はいって、見ると、広い庫裏くりも本堂も、がらんとして、人影はまるでない。余はその時に心からうれしく感じた。世の中にこんな洒落しゃらくな人があって、こんな洒落に、人を取り扱ってくれたかと思うと、何となく気分が晴々せいせいした。禅ぜんを心得ていたからと云う訳ではない。禅のぜの字もいまだに知らぬ。ただあの鉢の開いた坊主の所作しょさが気に入ったのである。
 世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやな奴やつで埋うずまっている。元来何しに世の中へ面つらを曝さらしているんだか、解げしかねる奴さえいる。しかもそんな面に限って大きいものだ。浮世の風にあたる面積の多いのをもって、さも名誉のごとく心得ている。五年も十年も人の臀しりに探偵たんていをつけて、人のひる屁への勘定かんじょうをして、それが人世だと思ってる。そうして人の前へ出て来て、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと頼みもせぬ事を教える。前へ出て云うなら、それも参考にして、やらんでもないが、後うしろの方から、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと云う。うるさいと云えばなおなお云う。よせと云えばますます云う。分ったと云っても、屁をいくつ、ひった、ひったと云う。そうしてそれが処世の方針だと云う。方針は人々にんにん勝手である。ただひったひったと云わずに黙って方針を立てるがいい。人の邪魔になる方針は差さし控ひかえるのが礼儀だ。邪魔にならなければ方針が立たぬと云うなら、こっちも屁をひるのをもって、こっちの方針とするばかりだ。そうなったら日本も運の尽きだろう。
 こうやって、美しい春の夜に、何らの方針も立てずに、あるいてるのは実際高尚だ。興来きたれば興来るをもって方針とする。興去れば興去るをもって方針とする。句を得れば、得たところに方針が立つ。得なければ、得ないところに方針が立つ。しかも誰の迷惑にもならない。これが真正の方針である。屁を勘定するのは人身攻撃の方針で、屁をひるのは正当防禦ぼうぎょの方針で、こうやって観海寺の石段を登るのは随縁放曠ずいえんほうこうの方針である。
 仰数あおぎかぞう春星しゅんせい一二三の句を得て、石磴せきとうを登りつくしたる時、朧おぼろにひかる春の海が帯のごとくに見えた。山門を入る。絶句ぜっくは纏まとめる気にならなくなった。即座にやめにする方針を立てる。
 木蓮の花ばかりなる空を瞻みる
と云う句を得た。どこやらで、鳩がやさしく鳴き合うている。

「画工さんか。それじゃ御上おあがり」
「断わらないでもいいのかい」
「よろしかろ」
 余は下駄を脱いで上がる。
「行儀がわるい画工さんじゃな」
「なぜ」
「下駄を、よう御揃おそろえなさい。そらここを御覧」と紙燭を差しつける。黒い柱の真中に、土間から五尺ばかりの高さを見計みはからって、半紙を四つ切りにした上へ、何か認したためてある。
「そおら。読めたろ。脚下きゃっかを見よ、と書いてあるが」
「なるほど」と余は自分の下駄を丁寧に揃える。

「ハハハハ。それ御覧。あの、あなたの泊とまっている、志保田の御那美さんも、嫁に入いって帰ってきてから、どうもいろいろな事が気になってならん、ならんと云うてしまいにとうとう、わしの所へ法ほうを問いに来たじゃて。ところが近頃はだいぶ出来てきて、そら、御覧。あのような訳わけのわかった女になったじゃて」
「へええ、どうもただの女じゃないと思いました」
「いやなかなか機鋒きほうの鋭するどい女で――わしの所へ修業に来ていた泰安たいあんと云う若僧にゃくそうも、あの女のために、ふとした事から大事だいじを窮明きゅうめいせんならん因縁いんねんに逢着ほうちゃくして――今によい智識ちしきになるようじゃ」
 静かな庭に、松の影が落ちる、遠くの海は、空の光りに応こたうるがごとく、応えざるがごとく、有耶無耶うやむやのうちに微かすかなる、耀かがやきを放つ。漁火いさりびは明滅す。
「あの松の影を御覧」
「奇麗きれいですな」
「ただ奇麗かな」
「ええ」
「奇麗な上に、風が吹いても苦にしない」


12章 

真の芸術家たるべき態度

 基督キリストは最高度に芸術家の態度を具足したるものなりとは、オスカー・ワイルドの説と記憶している。基督は知らず。観海寺の和尚おしょうのごときは、まさしくこの資格を有していると思う。趣味があると云う意味ではない。時勢に通じていると云う訳でもない。彼は画えと云う名のほとんど下くだすべからざる達磨だるまの幅ふくを掛けて、ようできたなどと得意である。彼は画工えかきに博士があるものと心得ている。彼は鳩の眼を夜でも利きくものと思っている。それにも関かかわらず、芸術家の資格があると云う。彼の心は底のない嚢ふくろのように行き抜けである。何にも停滞ていたいしておらん。随処ずいしょに動き去り、任意にんいに作なし去って、些さの塵滓じんしの腹部に沈澱ちんでんする景色けしきがない。もし彼の脳裏のうりに一点の趣味を貼ちょうし得たならば、彼は之ゆく所に同化して、行屎走尿こうしそうにょうの際にも、完全たる芸術家として存在し得るだろう。余のごときは、探偵に屁への数を勘定かんじょうされる間は、とうてい画家にはなれない。画架がかに向う事は出来る。小手板こていたを握る事は出来る。しかし画工にはなれない。こうやって、名も知らぬ山里へ来て、暮れんとする春色しゅんしょくのなかに五尺の痩躯そうくを埋うずめつくして、始めて、真の芸術家たるべき態度に吾身を置き得るのである。一たびこの境界きょうがいに入れば美の天下はわが有に帰する。尺素せきそを染めず、寸縑すんけんを塗らざるも、われは第一流の大画工である。技ぎにおいて、ミケルアンゼロに及ばず、巧たくみなる事ラフハエルに譲る事ありとも、芸術家たるの人格において、古今の大家と歩武ほぶを斉ひとしゅうして、毫ごうも遜ゆずるところを見出し得ない。余はこの温泉場へ来てから、まだ一枚の画えもかかない。絵の具箱は酔興すいきょうに、担かついできたかの感さえある。人はあれでも画家かと嗤わらうかもしれぬ。いくら嗤われても、今の余は真の画家である。立派な画家である。こう云う境きょうを得たものが、名画をかくとは限らん。しかし名画をかき得る人は必ずこの境を知らねばならん。
 朝飯あさめしをすまして、一本の敷島しきしまをゆたかに吹かしたるときの余の観想は以上のごとくである。日は霞かすみを離れて高く上のぼっている。障子しょうじをあけて、後うしろの山を眺ながめたら、蒼あおい樹きが非常にすき通って、例になく鮮あざやかに見えた。

 襖ふすまをあけて、椽側えんがわへ出ると、向う二階の障子しょうじに身を倚もたして、那美さんが立っている。顋あごを襟えりのなかへ埋うずめて、横顔だけしか見えぬ。余が挨拶あいさつをしようと思う途端とたんに、女は、左の手を落としたまま、右の手を風のごとく動かした。閃ひらめくは稲妻いなずまか、二折ふたおれ三折みおれ胸のあたりを、するりと走るや否いなや、かちりと音がして、閃めきはすぐ消えた。女の左り手には九寸すん五分ぶの白鞘しらさやがある。姿はたちまち障子の影に隠れた。余は朝っぱらから歌舞伎座かぶきざを覗のぞいた気で宿を出る。

 あの女を役者にしたら、立派な女形おんながたが出来る。普通の役者は、舞台へ出ると、よそ行きの芸をする。あの女は家のなかで、常住じょうじゅう芝居をしている。しかも芝居をしているとは気がつかん。自然天然しぜんてんねんに芝居をしている。あんなのを美的生活びてきせいかつとでも云うのだろう。あの女の御蔭おかげで画えの修業がだいぶ出来た。
 あの女の所作しょさを芝居と見なければ、薄気味がわるくて一日もいたたまれん。義理とか人情とか云う、尋常の道具立どうぐだてを背景にして、普通の小説家のような観察点からあの女を研究したら、刺激が強過ぎて、すぐいやになる。現実世界に在あって、余とあの女の間に纏綿てんめんした一種の関係が成り立ったとするならば、余の苦痛は恐らく言語ごんごに絶するだろう。余のこのたびの旅行は俗情を離れて、あくまで画工になり切るのが主意であるから、眼に入るものはことごとく画として見なければならん。能、芝居、もしくは詩中の人物としてのみ観察しなければならん。この覚悟の眼鏡めがねから、あの女を覗のぞいて見ると、あの女は、今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする。自分でうつくしい芸をして見せると云う気がないだけに役者の所作よりもなおうつくしい。

 こんな考かんがえをもつ余を、誤解してはならん。社会の公民として不適当だなどと評してはもっとも不届ふとどきである。善は行い難い、徳は施ほどこしにくい、節操は守り安からぬ、義のために命を捨てるのは惜しい。これらをあえてするのは何人なんびとに取っても苦痛である。その苦痛を冒おかすためには、苦痛に打ち勝つだけの愉快がどこかに潜ひそんでおらねばならん。画と云うも、詩と云うも、あるは芝居と云うも、この悲酸ひさんのうちに籠こもる快感の別号に過ぎん。この趣おもむきを解し得て、始めて吾人ごじんの所作は壮烈にもなる、閑雅にもなる、すべての困苦に打ち勝って、胸中の一点の無上趣味を満足せしめたくなる。肉体の苦しみを度外に置いて、物質上の不便を物とも思わず、勇猛精進しょうじんの心を駆かって、人道のために、鼎鑊ていかくに烹にらるるを面白く思う。もし人情なる狭せまき立脚地に立って、芸術の定義を下し得るとすれば、芸術は、われら教育ある士人の胸裏きょうりに潜ひそんで、邪じゃを避さけ正せいに就つき、曲きょくを斥しりぞけ直ちょくにくみし、弱じゃくを扶たすけ強きょうを挫くじかねば、どうしても堪たえられぬと云う一念の結晶して、燦さんとして白日はくじつを射返すものである。
 芝居気があると人の行為を笑う事がある。うつくしき趣味を貫つらぬかんがために、不必要なる犠牲をあえてするの人情に遠きを嗤わらうのである。自然にうつくしき性格を発揮するの機会を待たずして、無理矢理に自己の趣味観を衒てらうの愚ぐを笑うのである。真に個中こちゅうの消息を解し得たるものの嗤うはその意を得ている。趣味の何物たるをも心得ぬ下司下郎げすげろうの、わが卑いやしき心根に比較して他たを賤いやしむに至っては許しがたい。昔し巌頭がんとうの吟ぎんを遺のこして、五十丈の飛瀑ひばくを直下して急湍きゅうたんに赴おもむいた青年がある。余の視みるところにては、彼の青年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと思う。死そのものは洵まことに壮烈である、ただその死を促うながすの動機に至っては解しがたい。されども死そのものの壮烈をだに体し得ざるものが、いかにして藤村子ふじむらしの所作しょさを嗤い得べき。彼らは壮烈の最後を遂とぐるの情趣を味あじわい得ざるが故ゆえに、たとい正当の事情のもとにも、とうてい壮烈の最後を遂げ得べからざる制限ある点において、藤村子よりは人格として劣等であるから、嗤う権利がないものと余は主張する。
 余は画工である。画工であればこそ趣味専門の男として、たとい人情世界に堕在だざいするも、東西両隣りの没風流漢ぼつふうりゅうかんよりも高尚である。社会の一員として優に他を教育すべき地位に立っている。詩なきもの、画えなきもの、芸術のたしなみなきものよりは、美くしき所作が出来る。人情世界にあって、美くしき所作は正である、義である、直である。正と義と直を行為の上において示すものは天下の公民の模範である。
 しばらく人情界を離れたる余は、少なくともこの旅中りょちゅうに人情界に帰る必要はない。あってはせっかくの旅が無駄になる。人情世界から、じゃりじゃりする砂をふるって、底にあまる、うつくしい金きんのみを眺めて暮さなければならぬ。余自みずからも社会の一員をもって任じてはおらぬ。純粋なる専門画家として、己おのれさえ、纏綿てんめんたる利害の累索るいさくを絶って、優ゆうに画布裏がふりに往来している。いわんや山をや水をや他人をや。那美さんの行為動作といえどもただそのままの姿と見るよりほかに致し方がない。

 ごろりと寝ねる。帽子が額ひたいをすべって、やけに阿弥陀あみだとなる。所々の草を一二尺抽ぬいて、木瓜ぼけの小株が茂っている。余が顔はちょうどその一つの前に落ちた。木瓜ぼけは面白い花である。枝は頑固がんこで、かつて曲まがった事がない。そんなら真直まっすぐかと云うと、けっして真直でもない。ただ真直な短かい枝に、真直な短かい枝が、ある角度で衝突して、斜しゃに構えつつ全体が出来上っている。そこへ、紅べにだか白だか要領を得ぬ花が安閑あんかんと咲く。柔やわらかい葉さえちらちら着ける。評して見ると木瓜は花のうちで、愚おろかにして悟さとったものであろう。世間には拙せつを守ると云う人がある。この人が来世らいせに生れ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。
 小供のうち花の咲いた、葉のついた木瓜ぼけを切って、面白く枝振えだぶりを作って、筆架ひつかをこしらえた事がある。それへ二銭五厘の水筆すいひつを立てかけて、白い穂が花と葉の間から、隠見いんけんするのを机へ載のせて楽んだ。その日は木瓜ぼけの筆架ひつかばかり気にして寝た。あくる日、眼が覚さめるや否いなや、飛び起きて、机の前へ行って見ると、花は萎なえ葉は枯れて、白い穂だけが元のごとく光っている。あんなに奇麗なものが、どうして、こう一晩のうちに、枯れるだろうと、その時は不審ふしんの念に堪たえなかった。今思うとその時分の方がよほど出世間的しゅっせけんてきである。
 寝ねるや否や眼についた木瓜は二十年来の旧知己である。見詰めているとしだいに気が遠くなって、いい心持ちになる。また詩興が浮ぶ。
 寝ながら考える。一句を得るごとに写生帖に記しるして行く。しばらくして出来上ったようだ。始めから読み直して見る。

出門多所思。春風吹吾衣。芳草生車轍。廃道入霞微。停笻而矚目。万象帯晴暉。聴黄鳥宛転。観落英紛霏。行尽平蕪遠。題詩古寺扉。孤愁高雲際。大空断鴻帰。寸心何窈窕。縹緲忘是非。三十我欲老。韶光猶依々。逍遥随物化。悠然対芬菲。

 ああ出来た、出来た。これで出来た。寝ながら木瓜を観みて、世の中を忘れている感じがよく出た。木瓜が出なくっても、海が出なくっても、感じさえ出ればそれで結構である。
と唸うなりながら、喜んでいると、エヘンと云う人間の咳払せきばらいが聞えた。こいつは驚いた。

那美さんと野武士

 寝返ねがえりをして、声の響いた方を見ると、山の出鼻を回って、雑木ぞうきの間から、一人の男があらわれた。
 茶の中折なかおれを被かぶっている。中折れの形は崩くずれて、傾かたむく縁へりの下から眼が見える。眼の恰好かっこうはわからんが、たしかにきょろきょろときょろつくようだ。藍あいの縞物しまものの尻を端折はしょって、素足すあしに下駄がけの出いで立たちは、何だか鑑定がつかない。野生やせいの髯ひげだけで判断するとまさに野武士のぶしの価値はある。
 男は岨道そばみちを下りるかと思いのほか、曲り角からまた引き返した。もと来た路へ姿をかくすかと思うと、そうでもない。またあるき直してくる。この草原を、散歩する人のほかに、こんなに行きつ戻りつするものはないはずだ。しかしあれが散歩の姿であろうか。またあんな男がこの近辺きんぺんに住んでいるとも考えられない。男は時々立ち留どまる。首を傾ける。または四方を見廻わす。大に考え込むようにもある。人を待ち合せる風にも取られる。何だかわからない。
 余はこの物騒ぶっそうな男から、ついに吾眼をはなす事ができなかった。別に恐しいでもない、また画えにしようと云う気も出ない。ただ眼をはなす事ができなかった。右から左、左りから右と、男に添うて、眼を働かせているうちに、男ははたと留った。留ると共に、またひとりの人物が、余が視界に点出てんしゅつされた。
 二人は双方そうほうで互に認識したように、しだいに双方から近づいて来る。余が視界はだんだん縮ちぢまって、原の真中で一点の狭せまき間に畳たたまれてしまう。二人は春の山を背せに、春の海を前に、ぴたりと向き合った。
 男は無論例の野武士のぶしである。相手は? 相手は女である。那美なみさんである。
 余は那美さんの姿を見た時、すぐ今朝の短刀を連想した。もしや懐ふところに呑のんでおりはせぬかと思ったら、さすが非人情ひにんじょうの余もただ、ひやりとした。
 男女は向き合うたまま、しばらくは、同じ態度で立っている。動く景色けしきは見えぬ。口は動かしているかも知れんが、言葉はまるで聞えぬ。男はやがて首を垂たれた。女は山の方を向く。顔は余の眼に入らぬ。
 山では鶯うぐいすが啼なく。女は鶯に耳を借して、いるとも見える。しばらくすると、男は屹きっと、垂れた首を挙げて、半なかば踵くびすを回めぐらしかける。尋常の様さまではない。女は颯さっと体を開いて、海の方へ向き直る。帯の間から頭を出しているのは懐剣かいけんらしい。男は昂然こうぜんとして、行きかかる。女は二歩ふたあしばかり、男の踵を縫ぬうて進む。女は草履ぞうりばきである。男の留とまったのは、呼び留められたのか。振り向く瞬間に女の右手めては帯の間へ落ちた。あぶない!
 するりと抜け出たのは、九寸五分かと思いのほか、財布さいふのような包み物である。差し出した白い手の下から、長い紐ひもがふらふらと春風しゅんぷうに揺れる。
 片足を前に、腰から上を少しそらして、差し出した、白い手頸てくびに、紫の包。これだけの姿勢で充分画えにはなろう。
 紫でちょっと切れた図面が、二三寸の間隔をとって、振り返る男の体たいのこなし具合で、うまい按排あんばいにつながれている。不即不離ふそくふりとはこの刹那せつなの有様を形容すべき言葉と思う。女は前を引く態度で、男は後しりえに引かれた様子だ。しかもそれが実際に引いてもひかれてもおらん。両者の縁えんは紫の財布の尽くる所で、ふつりと切れている。
 二人の姿勢がかくのごとく美妙びみょうな調和を保たもっていると同時に、両者の顔と、衣服にはあくまで、対照が認められるから、画として見ると一層の興味が深い。
 背せのずんぐりした、色黒の、髯ひげづらと、くっきり締しまった細面ほそおもてに、襟えりの長い、撫肩なでがたの、華奢きゃしゃ姿。ぶっきらぼうに身をひねった下駄がけの野武士と、不断着ふだんぎの銘仙めいせんさえしなやかに着こなした上、腰から上を、おとなしく反そり身に控えたる痩形やさすがた。はげた茶の帽子に、藍縞あいじまの尻切しりきり出立でだちと、陽炎かげろうさえ燃やすべき櫛目くしめの通った鬢びんの色に、黒繻子くろじゅすのひかる奥から、ちらりと見せた帯上おびあげの、なまめかしさ。すべてが好画題こうがだいである。
 男は手を出して財布を受け取る。引きつ引かれつ巧たくみに平均を保ちつつあった二人の位置はたちまち崩くずれる。女はもう引かぬ、男は引かりょうともせぬ。心的状態が絵を構成する上に、かほどの影響を与えようとは、画家ながら、今まで気がつかなかった。

 二人は左右へ分かれる。双方に気合きあいがないから、もう画としては、支離滅裂しりめつれつである。雑木林ぞうきばやしの入口で男は一度振り返った。女は後あとをも見ぬ。すらすらと、こちらへ歩行あるいてくる。やがて余の真正面ましょうめんまで来て、
「先生、先生」
と二声ふたこえ掛けた。これはしたり、いつ目付めっかったろう。
「何です」
と余は木瓜ぼけの上へ顔を出す。帽子は草原へ落ちた。
「何をそんな所でしていらっしゃる」
「詩を作って寝ねていました」
「うそをおっしゃい。今のを御覧でしょう」
「今の? 今の、あれですか。ええ。少々拝見しました」
「ホホホホ少々でなくても、たくさん御覧なさればいいのに」
「実のところはたくさん拝見しました」
「それ御覧なさい。まあちょっと、こっちへ出ていらっしゃい。木瓜の中から出ていらっしゃい」
 余は唯々いいとして木瓜の中から出て行く。
「まだ木瓜の中に御用があるんですか」
「もう無いんです。帰ろうかとも思うんです」
「それじゃごいっしょに参りましょうか」
「ええ」
 余は再び唯々として、木瓜の中に退しりぞいて、帽子を被かぶり、絵の道具を纏まとめて、那美さんといっしょにあるき出す。
「画を御描きになったの」
「やめました」
「ここへいらしって、まだ一枚も御描きなさらないじゃありませんか」
「ええ」
「でもせっかく画をかきにいらしって、ちっとも御かきなさらなくっちゃ、つまりませんわね」
「なにつまってるんです」
「おやそう。なぜ?」
「なぜでも、ちゃんとつまるんです。画なんぞ描かいたって、描かなくったって、つまるところは同おんなじ事でさあ」
「そりゃ洒落しゃれなの、ホホホホ随分呑気のんきですねえ」
「こんな所へくるからには、呑気にでもしなくっちゃ、来た甲斐かいがないじゃありませんか」
「なあにどこにいても、呑気にしなくっちゃ、生きている甲斐はありませんよ。私なんぞは、今のようなところを人に見られても恥はずかしくも何とも思いません」
「思わんでもいいでしょう」
「そうですかね。あなたは今の男をいったい何だと御思いです」
「そうさな。どうもあまり、金持ちじゃありませんね」
「ホホホ善よくあたりました。あなたは占うらないの名人ですよ。あの男は、貧乏して、日本にいられないからって、私に御金を貰いに来たのです」
「へえ、どこから来たのです」
「城下じょうかから来ました」
「随分遠方から来たもんですね。それで、どこへ行くんですか」
「何でも満洲へ行くそうです」
「何しに行くんですか」
「何しに行くんですか。御金を拾いに行くんだか、死にに行くんだか、分りません」
 この時余は眼をあげて、ちょと女の顔を見た。今結んだ口元には、微かすかなる笑の影が消えかかりつつある。意味は解げせぬ。
「あれは、わたくしの亭主です」
 迅雷じんらいを掩おおうに遑いとまあらず、女は突然として一太刀ひとたち浴びせかけた。余は全く不意撃ふいうちを喰くった。無論そんな事を聞く気はなし、女も、よもや、ここまで曝さらけ出そうとは考えていなかった。
「どうです、驚ろいたでしょう」と女が云う。
「ええ、少々驚ろいた」
「今の亭主じゃありません、離縁りえんされた亭主です」
「なるほど、それで……」
「それぎりです」


13章 

末は涙の糸になる

「久一さん、軍いくさは好きか嫌いかい」と那美さんが聞く。
「出て見なければ分らんさ。苦しい事もあるだろうが、愉快な事も出て来るんだろう」と戦争を知らぬ久一さんが云う。
「いくら苦しくっても、国家のためだから」と老人が云う。
「短刀なんぞ貰うと、ちょっと戦争に出て見たくなりゃしないか」と女がまた妙な事を聞く。久一さんは、
「そうさね」
と軽かろく首肯うけがう。老人は髯ひげを掀かかげて笑う。兄さんは知らぬ顔をしている。
「そんな平気な事で、軍いくさが出来るかい」と女は、委細いさい構わず、白い顔を久一さんの前へ突き出す。久一さんと、兄さんがちょっと眼を見合せた。
「那美さんが軍人になったらさぞ強かろう」兄さんが妹に話しかけた第一の言葉はこれである。語調から察すると、ただの冗談じょうだんとも見えない。
「わたしが? わたしが軍人? わたしが軍人になれりゃとうになっています。今頃は死んでいます。久一さん。御前も死ぬがいい。生きて帰っちゃ外聞がいぶんがわるい」
「そんな乱暴な事を――まあまあ、めでたく凱旋がいせんをして帰って来てくれ。死ぬばかりが国家のためではない。わしもまだ二三年は生きるつもりじゃ。まだ逢あえる」
 老人の言葉の尾を長く手繰たぐると、尻が細くなって、末は涙の糸になる。ただ男だけにそこまではだまを出さない。久一さんは何も云わずに、横を向いて、岸の方を見た。
 岸には大きな柳がある。下に小さな舟を繋つないで、一人の男がしきりに垂綸いとを見詰めている。一行の舟が、ゆるく波足なみあしを引いて、その前を通った時、この男はふと顔をあげて、久一さんと眼を見合せた。眼を見合せた両人ふたりの間には何らの電気も通わぬ。男は魚の事ばかり考えている。久一さんの頭の中には一尾の鮒ふなも宿やどる余地がない。一行の舟は静かに太公望たいこうぼうの前を通り越す。

「先生、わたくしの画えをかいて下さいな」と那美さんが注文する。久一さんは兄さんと、しきりに軍隊の話をしている。老人はいつか居眠りをはじめた。
「書いてあげましょう」と写生帖を取り出して、
春風にそら解どけ繻子しゅすの銘は何
と書いて見せる。女は笑いながら、
「こんな一筆ひとふでがきでは、いけません。もっと私の気象きしょうの出るように、丁寧にかいて下さい」
「わたしもかきたいのだが。どうも、あなたの顔はそれだけじゃ画えにならない」
「御挨拶ごあいさつです事。それじゃ、どうすれば画になるんです」
「なに今でも画に出来ますがね。ただ少し足りないところがある。それが出ないところをかくと、惜しいですよ」
「足りないたって、持って生れた顔だから仕方がありませんわ」
「持って生れた顔はいろいろになるものです」
「自分の勝手にですか」
「ええ」
「女だと思って、人をたんと馬鹿になさい」
「あなたが女だから、そんな馬鹿を云うのですよ」
「それじゃ、あなたの顔をいろいろにして見せてちょうだい」
「これほど毎日いろいろになってればたくさんだ」
 女は黙って向むこうをむく。


おさき真闇まっくらに盲動もうどうする汽車はあぶない標本の一つである

 いよいよ現実世界へ引きずり出された。汽車の見える所を現実世界と云う。汽車ほど二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を同じ箱へ詰めて轟ごうと通る。情なさけ容赦ようしゃはない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまってそうして、同様に蒸滊じょうきの恩沢おんたくに浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれると云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。汽車ほど個性を軽蔑けいべつしたものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする。一人前ひとりまえ何坪何合かの地面を与えて、この地面のうちでは寝るとも起きるとも勝手にせよと云うのが現今の文明である。同時にこの何坪何合の周囲に鉄柵てっさくを設けて、これよりさきへは一歩も出てはならぬぞと威嚇おどかすのが現今の文明である。何坪何合のうちで自由を擅ほしいままにしたものが、この鉄柵外にも自由を擅にしたくなるのは自然の勢いきおいである。憐あわれむべき文明の国民は日夜にこの鉄柵に噛かみついて咆哮ほうこうしている。文明は個人に自由を与えて虎とらのごとく猛たけからしめたる後、これを檻穽かんせいの内に投げ込んで、天下の平和を維持しつつある。この平和は真の平和ではない。動物園の虎が見物人を睨にらめて、寝転ねころんでいると同様な平和である。檻おりの鉄棒が一本でも抜けたら――世はめちゃめちゃになる。第二の仏蘭西革命フランスかくめいはこの時に起るのであろう。個人の革命は今すでに日夜にちやに起りつつある。北欧の偉人イブセンはこの革命の起るべき状態についてつぶさにその例証を吾人ごじんに与えた。余は汽車の猛烈に、見界みさかいなく、すべての人を貨物同様に心得て走る様さまを見るたびに、客車のうちに閉とじ籠こめられたる個人と、個人の個性に寸毫すんごうの注意をだに払わざるこの鉄車てっしゃとを比較して、――あぶない、あぶない。気をつけねばあぶないと思う。現代の文明はこのあぶないで鼻を衝つかれるくらい充満している。おさき真闇まっくらに盲動もうどうする汽車はあぶない標本の一つである。
 停車場ステーション前の茶店に腰を下ろして、蓬餅よもぎもちを眺ながめながら汽車論を考えた。これは写生帖へかく訳にも行かず、人に話す必要もないから、だまって、餅を食いながら茶を飲む。


「それだ! それだ! それが出れば画えになりますよ」

 轟ごうと音がして、白く光る鉄路の上を、文明の長蛇ちょうだが蜿蜒のたくって来る。文明の長蛇は口から黒い煙を吐く。
「いよいよ御別かれか」と老人が云う。
「それでは御機嫌ごきげんよう」と久一さんが頭を下げる。
「死んで御出おいで」と那美さんが再び云う。
「荷物は来たかい」と兄さんが聞く。
 蛇は吾々われわれの前でとまる。横腹の戸がいくつもあく。人が出たり、這入はいったりする。久一さんは乗った。老人も兄さんも、那美さんも、余もそとに立っている。
 車輪が一つ廻れば久一さんはすでに吾らが世の人ではない。遠い、遠い世界へ行ってしまう。その世界では煙硝えんしょうの臭においの中で、人が働いている。そうして赤いものに滑すべって、むやみに転ころぶ。空では大きな音がどどんどどんと云う。これからそう云う所へ行く久一さんは車のなかに立って無言のまま、吾々を眺ながめている。吾々を山の中から引き出した久一さんと、引き出された吾々の因果いんがはここで切れる。もうすでに切れかかっている。車の戸と窓があいているだけで、御互おたがいの顔が見えるだけで、行く人と留まる人の間が六尺ばかり隔へだたっているだけで、因果はもう切れかかっている。
 車掌が、ぴしゃりぴしゃりと戸を閉たてながら、こちらへ走って来る。一つ閉てるごとに、行く人と、送る人の距離はますます遠くなる。やがて久一さんの車室の戸もぴしゃりとしまった。世界はもう二つに為なった。老人は思わず窓側まどぎわへ寄る。青年は窓から首を出す。
「あぶない。出ますよ」と云う声の下から、未練みれんのない鉄車てっしゃの音がごっとりごっとりと調子を取って動き出す。窓は一つ一つ、余等われわれの前を通る。久一さんの顔が小さくなって、最後の三等列車が、余の前を通るとき、窓の中から、また一つ顔が出た。
 茶色のはげた中折帽の下から、髯ひげだらけな野武士が名残なごり惜気おしげに首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合みあわせた。鉄車てっしゃはごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然ぼうぜんとして、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐あわれ」が一面に浮いている。
「それだ! それだ! それが出れば画えになりますよ」と余は那美さんの肩を叩たたきながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟とっさの際に成就じょうじゅしたのである。

出典:『草枕』青空文庫


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