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はぐくむ まなざし|saki
学生時代の旧友夫婦が旅行を兼ねて関西から、わたしたちを尋ねて来てくれた。
旧友とは学科は違ったが、恩師の研究室でよく顔を合わせた。
恩師の研究室には学科を越えた在学生、卒業生が毎日尋ねてきては、家族のことや仕事のこと、恋愛に至るまで恩師に相談していた。
旧友とわたしはと言えば、それぞれ悩みや抱えるものがありながらもお互い何を話すでもない。何も話さなくても目が合えば微笑み合い、ただ話に耳を澄ませた。
ただそれだけで、靄がかった空に満ちた月がまんまる顔を出すのを、そっと眺めるようにきもちが晴れて不思議だった。
様々な人が行き交い賑やかな研究室で、ただ静かに佇む友人とわたしの間に、「あ」と言えば「うん」と呼応する守護像のような空気感が漂った。
当時のわたしの主な悩みは、障がいがあるきょうだいと家族、そして自分とどのように向き合い、今を生きるかということだった。
きょうだいは言葉での会話やコミュニケーションが難しく感情を表に現しにくいため、
・「いらんの(必要ない)」等の単語
・家族の手を引く、メモに「アニメみようよ」等書いて手伝って欲しいことや必要なことを訴える仕草
・鼻歌を歌う(快、喜び、たのしい)⇔本人にとって違うことがあると大声で泣き叫ぶ、飛び跳ねて地団駄を踏む(不快、怒り、哀しみ)など
わたしや家族は、うっかりしたら取りこぼしそうな、きょうだいからのさりげないサインや取っ掛かりから【伝えたいこと】を紐解いた。
ただ、遊びを中断された時などやむを得ず、きょうだいの意図がそのまま通らない場合不快指数が最高潮を達し、「もっと遊びたかったんやな。」と誰がどれだけ本人のきもちの代弁を試みても、一度振り切れ噴火した感情は、ただ鎮まるのを待つしかない。
旧友ときょうだいの三人で遊園地に出掛けたことがあり、入り口にあった土産物コーナーで欲しかった物が置いておらずきょうだいは哀しかったのか、なりふり構わず「わぁーん!」と大声で泣き叫び、せっかく行った遊園地だが乗り物も好きなキャラクターブースも結局遊べぬまま、三人泣く泣く帰った。
きづけば旧友とは昼下がりの再会から、彼らが最終電車に乗り込むギリギリまで思い出話に花を咲かせた。
言葉でなくとも、思いやきもちをその人にしかない所作や表現で、すでに露わに伝わっているものがあるようなきがしている。
望み通りに応えることはできなくとも感知し、「そうなんだ」と尊重し、寄り添って共に生きていけたらと思う。
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