成果がでない。未来も見えない。でも、踏ん張りたい。そんな夜に生まれた指針たち
先ほど、最後の1校への海外大学院出願が終わりました。怒涛の出願期が終わりを迎え、束の間の一息をついています。※合否は春に、そしてまだまだ試験、奨学金選考や面接など工程は続くので、明日からはまた切り替えます!
出願に向けて本格的な準備を始めた昨年から、今日で396日目。
受験なんてもう二度と縁がない(しかも非母国語で)と思っていたから、人生は何が起こるかわかりません笑。396日のうち、見事に396日、大変だった。いや、現在進行形で苦しい。しかも降りかかる難題のレベルは指数関数的にどんどん上がっていって、努力さえすればちょっとずつでも達成できることが増える、なんてことはびっくりするぐらいなかった。もちろんそんなことは十二分に覚悟して受験生になったわけだけど、想像をはるかに上回るタスク量・体力・時間との闘いが待っていました。
396日間のうちにあった土日は、朝から晩まで1日中試験や出願課題、勉強に捧げて(それでも時間は足りなかった!)懸命にSoPやPHSを磨き、仕事が予定どおり終わらなくて徹夜で出願作業をしたり、移動や隙間時間は英単語とスピーキング、お誕生日を迎えた0:00の瞬間は洗面所の鏡の前でひとりでぶつぶつ面接練習をしながらひっそり迎え(その面接は落ちた)、クリスマスも試験だったし(試験場人ガラガラだった)、年末年始は人生で初めて実家に帰らず、最後の懸けのために試験勉強をしていました。
どうしてまだ受験生活が終わっていない今のタイミングでこのnoteを書いているかと言うと、毎度毎度苦しかったことをなかったかのように忘れてしまうので、まだ合否の結果が出ていない「何も持たない自分」の、ありのままで生々しい感情を残しておかなくては、と思ったからです。写真フォルダには決して残らない、千変万化な人生の谷を過ごした記録。
この1・2年を通して、久しぶりに大学受験の感覚を思い出しました。世の中の合格体験記を書ける人は受験に臨んだ人のなかでもごくごく一部だということ。同時にそれよりはるかに多い不合格、あるいは様々な事情から断念するという運命が存在するということ。試合や就活もそうです。勝負の世界だから。でも大学受験をした10年以上前と比べると、SNSの急速な発達により、世の中には成功体験を自分から語ることのできる(真偽も定かではない)媒体が格段に増えました。世の中は少し頑張れば必ずや成功できるのだ、と錯覚してしまうほどに。
でも、苦しい時に私が欲しかったのは「成功したから語れる美化された思い出」ではなく、「今、何も結果が出せない中で自分と同じようにもがいている同志の行動指針」でした。受験の後半期、精神的にも体力的にも限界が近づくと「頑張っても合格できる確率はほんのひと握りだというのに、一体どうやってまだ頑張り続ける気力を搾り出せばよいのだろうか?」と孤独でした。特に高校生のころと違って、指導してくれる先生も、切磋琢磨したり弱音を共有できる近しい受験仲間もひとりもいません。また、マイナーで複雑なこの受験工程を説明して理解してもらうことは身近な人にさえも難しいです。何度も試験や面接を受けてはうまく成果を出せず、自分の夢を信じ"続ける"ことがこんなにも難しかったのは人生で初めてでした。だからこそ、当時の自分が欲しかった、そして未来にきっとまた次の壁に苦しんでいるだろう自分へ向けた「あともう少しだけ、自分を奮い立たせる行動指針」を残そうと思いました。
最も苦しかったのは、合格への大前提が"自分が持たざるもの"であることでした
人生をかけて成し遂げたいことは「人々が皆、自分の軸を持って、自分が主役の人生を生きる世界を実現すること」。実現のために試行錯誤を積み重ねた20代。ある日、その延長線上に見えた自分の限界と、延長線上ではない場所を選んだ時の可能性を、同時に感じました。(なぜ行きたいのか、の詳細はまた別の機会に書く予定です。)教育を変革したいという夢を真に成すには、世界の教育大学院へ挑戦することの必然を感じて決めた新たな目標だったから、受験を辞めた方がいいと思ったことは一度もありません。私の30代の始まりにこのステップが欠かせないし、これまでの経験から自分が受験を最後までやり抜くのであろうこともわかっていました。
それでも苦しかったのは、夢に向かって努力すればするほど、時間をかければかけるほど、夢が近づくのではなく、遠ざかっていく感覚に陥ったことでした。時間を投下するほどに自分が登ろうとしている壁の高さと厚さの輪郭がどんどんはっきりしてきて、今の自分からは到底届かないところにあることをまざまざと思い知ること。決して勢いや想い、努力だけでは越えられないのだと自覚させられること。
私は生き方も不器用だし、特別な才能も持ちあわせていない普通の人です。だからこそ、これまでの大事な勝負どきは、結果を出すために人の10倍、最後に運やご縁が味方したくなるくらいの人が到底やらないところまで努力することで達成してきた人間でした。だからこそ「私がこの山を登りきるには、この先一体どれだけの時間がかかるのだろう?」と途方にくれてしまいました。
今回特に苦労したのはアカデミックな機関への出願に必要とされる英語能力要件の達成です。ここでは簡潔に記しますが、出願を予定していた大学院はTOEFL100/IELTS7.0が最低条件として必須でした。私は海外にルーツがあるわけでも、インターナショナルスクール出身でもないし、英語の本格的な勉強は就活時のTOEIC以来。何度も「英語で戦えたらいいな〜」と思っては先延ばしにしていた私の"持たざるもの"のひとつでした。大学受験からも10年以上経っていたし、自分の現在地から判断して相当な努力が必要なことは受験する前から自覚していました。実際に2022年12月に初めて受けたTOEFLは52点でした。
そのため2022年からキャリア計画を立て始め、2023年に入ってから半年休職させていただき、フィリピンのTOEFL特化語学学校にも留学しました。毎日12時間以上勉強できる環境に身を置いて勉強し、半年で10回受けて93点まで伸ばしたものの仕事への復職までには100達成が間に合わず…。その時期にTOEFLの大幅な問題形式変更が施行されたため、後半はIELTSへと舵を切り替えました。当時初めて受けたIELTSはそれまでのTOEFLでの努力の甲斐もあってOA6.5でしたが、そこからなんと、私は今週まで13回も6.5を取り続けることになる。さすがに何度も心がぽっきり折れたし、何より出願に間に合わないことが悔しくて試験会場からひとり泣きながら電車に乗って帰ったこともあります。しかも受験料は1回約3万円なので、財政的な面での精神負担も非常に大きい。
私はこの4年、スタートアップという光速疾走のなかで生きていたからか、またSNSやエンタメが発達したこの世界で、10代の頃と比べ、知らず知らずのうちに受験という長期戦と、完膚なきまでに努力を拒絶されることへの耐久度が落ちていたように思います。しかも就職するとそれ以降、独りでここまでの長期戦に臨む機会はあまりありませんでした。仕事はいつも頼もしい大好きなチームと一緒にできていたからです。試験結果は点数だけが返ってくるので、自分の勉強法の何が悪いのか?どうすれば改善できるのか?を必死に情報収集しては分析し、自分に合う勉強法を暗中模索する日々。長かったコロナ禍も収束し、世の中の停滞モードが終わりを迎えたその流れに逆行するように、私の人生の忍耐期は始まりました。
何よりもどかしかったのは、英語のスコアは出願に必要な単なる"条件"であり、英語圏からの受験生にとっては序の口に過ぎない前提条件だということでした。海外大学院受験にとってそれよりももっと重要なことは、人生を昇華させる英語エッセイや出願書類の準備・面接対策・資金計画と奨学金選考への準備、自分の追究したい分野のリサーチなど、溢れるほどにあります。さらにはスコア要件を達成したところで、あくまで最低条件なのでその後も上を目指せねばならないし、高いスコアを持っているからといって実際の大学院の授業についていくのはとても難しいという現実も理解していました。しかし、このスコアがなければ、そもそも出願する資格さえ与えられないのです。結果的に、2023年の365日間、出願できる権利すら持たないままに、いつか自分が英語要件を満たす可能性を信じて勉強を続け、その傍らでほんのひと握りの確率のために仕事終わりに出願準備を進めなければならなかった。これは気の遠くなる精神の闘いでした。
元来はこれまでのようにX(Twitter)上で夢への軌跡を残しながら受験生活をする予定でいましたが、更新する時間すら、1分1秒でも長くスコアを上げるために、エッセイを書き上げるために投下したい!という状況だったので、気づけばいつのまにか2024年を迎えていました。もう2月だぁ〜!⛄️
396日、自分を支えるために生まれてきた行動指針たち
今日ここに書くのは、この396日の日々で生まれた10個の「自分を奮い立たせるための行動指針」です。何度も転けてひざを擦りむきながらも、目指したい世界に向かってもう一度立ち上がるために自分にかけた道しるべ。打ちのめされるたびにどういう言葉を自分にかけるとまた立ち上がれるだろうか考えて、こんな感じでおうちの作業デスクの一番見えるところに貼って、自分のメンタルの状態に合わせて、月替わりぐらいで更新していました。
今、何もかもうまくいかなくて、ひとりぼっちだと膝を抱えているあなたへ。自分だけ空回りしてるんじゃないか?この時間は全部無駄なのではないか?周りと違う道を歩んでも自分にはそれを成し遂げる能力がないんじゃないか? ーーーちなみにこういう状況に対して「努力は必ず意味があるし報われるから諦めないで」という言葉があります。でもすでに相当な時間をかけているのになかなか芽がでないときって、そういう言葉に対しても「わかってるけど、世の中そんな綺麗ごとばっかじゃない!」って思いませんか?私はと〜っても思います。笑 こうやって跳ね返せる時はまだマシで、「この状況でとてもだけれどそう思えないです…」と傷口に塩を塗られた気持ちになることも。
だから私にとって大事だったことは、再起不能にならないように、長期戦をやり抜く持続可能な方法や心の指針を自分なりに模索することと、自分の可能性を自分で守ることでした。もちろん指針を設けたからといって日々の迷いが完璧に消え去るわけではありません。でも、迷ってもいいから何度もその指針を思い出し、自らを良い状態に導くことへの鍛錬はこの先も続けていきたい。
但し、自分のそばに置いておく道しるべは、自分の心の状況やタイミングによって必ず臨機応変に変えることが大切でした。 追い詰められて凹んでいる時は平常心に戻れる言葉を、 逆に余裕があるときはもっと馬力を出せる言葉を。 そんな指針たちを、これまでに書いてきた大量の付箋メモを振り返りながら書いていきます。そして、未来でさらに大きな壁にぶつかって落ち込んでいるのだろう私へ、夢への道しるべをここに置いておきます。 不器用でありながらも、失敗しても、各々が持つ叶えたいことに向かって少しずつ人生を歩む私たちへ。自分だけ世界から置き去りにされているような気持ちになっているあなたへ。
1. 心配事は起きてから(受かってから)考えよう。
挑戦に踏み出すときも、その最中も、答えのない疑念はどんどん湧き出てきました。例えば今回の受験だと「もし英語のスコアがこのまま取れなかったら?」「今後の人生の大きなイベントはどうなる?」「こうして大きく賭けて全部落ちたら?」「受かったとて、高額な費用はどうするの?」「奨学金に全部落ちたら?」は私の頭に常に鎮座していた悩みBEST5です。(家族からも周囲からも聞かれて余計に。笑)396日目の今も毎日頭をよぎりますが、毎回「また来たな!」と向き合っては丁重に揉み消しています笑。揉み消し方はシンプル。「受かったら考えよう!」で乗り切る。全部これ。だって受かる確率も低いくせにいまから一丁前に全部悩んで泣いても何も前に進まないし、時間だけがどんどん経ってしまう。さらに悪いことに、夢へも絶対に近づけない。単なる無理矢理なポジティブではなく、その心配な「たら・れば」を毎日少しずつでも減らしていけるよう、その結果に近づけるよう「今」に全力を尽くす。不思議なことに、現在に集中できるとその心配も落ち着いてくる。これを毎日自分自身に言い聞かせることが、私の前進への鍵です。残りの人生でも自分自身にこの言葉を繰り返し伝え続けるつもりです。
2. 時間と資源は有限だから、選択する意志を持つ。
当たり前のことですが、改めて。受験生という特別な時期において特に感じられることですが、それ以外の状況においても同様です。人生を今から大きく変えようとするのであれば、時間とリソースの勝負だと思っていました。休む大切さも知っているけれど、今回ばかりは能力のビハインドが大きすぎて休んだり、無理しないことには行きたい場所には行けない。この数年は今後の人生のためのしゃがみどきだと覚悟を決めていました。社会人だと土日にできる12時間以上/日の受験対策が大変貴重なので、2023年、完全に休んだ土日は1度もなかったです。
それを約1年半続けるには、心身の健康も欠かせません。仕事だけでなく試験や面接でも毎日最高のパフォーマンスを安定に出せるようにしておかないと、その1回のチャンスで命運がわかれてしまうため、健康意識が史上最高でした(笑)適切な睡眠・食事・運動が自ずと欠かせなくなり、1日24時間の中で、睡眠に7時間、仕事に8-10時間、食事や運動・家事に2時間を割り当てると、残りは約6時間。この時間をそれぞれが過ごす「今」にとって本当に必要なもののために選択することを恐れない。
受験生という今回のケースでは、結果的に私の日常から真っ先にスマホが撤回されました。仕事のために活用していたエンタメやSNSも、途端に優先度が最下位になりました。これはストイック(禁じる・律する)という感覚では一切なく、夢中で実現したい世界を追う人間は自然とそうなるだけなのだと思います。周りの友人たちはもう長い間この性質を理解してくれているので「あ、またゾーンに入る時期が来たんやな。笑」くらいに思ってくれていました。
また、自分の愛という大切なリソースを守ることも、自分にしかできないことです。初めて友人たちに手放すべきことを忠告してもらったときは目から鱗だったのですが、非常に感謝していることのひとつです。人生の重大な局面に立ち向かう場合、とにかく自分自身へのエネルギーを最優先で確保することが不可欠です。自分の性質を肝に銘じ、今後の人生のために自身の尊厳を危うくするもの、美徳に沿わないことをしっかり見極め、手放す選択が重要でした。
3. 独りも愛し、理解を期待しない
独り=孤立と同義ではありません。あらゆる分野で挑戦する人に対して、人は実にいろんな言葉をかけます。大学院への挑戦へのコメントは大体が①本当に行く意味あるの? ②仕事の方が目標を叶えやすいのでは? ③お金どうするの? ④勉強好きなんだね or 賢いんだね、に集約できます(④に関してはもはや枠外なのですが)。でも、挑戦を決めた本人こそが、このような言いたくなるコメントへの自問自答を悶々と繰り返し、不安を抱えながらも、答えが出ないながらも独りで行動を起こしています。私自身も立場が異なると他意なく言葉を発してしまうことがあるからこそ、自分にとっての境界線を引くことを大切にしています。これまでの経験から、自分の挑戦を達成した人の言葉以外は聞かなくても困りませんでした。仮に上記の質問をされて一生懸命答えても、ほとんどの人はそこまで興味があるわけでもないので大抵覚えていないし、理解されることも少ないです。これに加え、何かを成そうとするときの孤独は、そこで踏ん張るのも、どれだけなぐさめてもらったとしても乗り越えるのも、自分にしかできないという側面も含みます。
だからもし家族や大切な人が困難に直面していたら、表面的な疑問で彼らの既存の不安を増幅させてパフォーマンスを下げるのではなく、彼らの可能性を彼らよりも想像して希望に満ち、孤独を共にただ感じ、正解がないながらもどうしたら乗り越えられるかを真剣に、共に探求することに努めたい。ただ、私自身も含めて、他者にこんなことができるのは相手へ器と覚悟を持った人だけだということを双方わかっているからこそ、大きな問題がない限りはこの行動指針を使って自らを励まし、自分の可能性を自分で引き出せるように努めています。
2023年は人生で最も独りで過ごしました。これまでと打って変わった雰囲気の、不思議な1年でした。夜の帰り道、元気がないモードのときはとぼとぼ歩きながら「この歳で大丈夫?友達みんな元気かな〜?」と、自分の状況に苦笑したことも数えきれません。
でもこの決断をしないと得られない時間であり、自分を完全に理解することも、理解してもらうこともありえないからこそ、孤独であることはとても貴重で贅沢な時間だと思うようになりました。人知れず頑張っていることが、仮に誰にもわかってもらえなくても大丈夫。世界に違和感を持って挑戦することをやめないでください。それも全部ひっくるめて、オモロい人生を生きてるから安心してください。誰も理解してくれなくても、私は必ず応援するし、隣で頑張ります。独りで踏ん張っている時こそ、そう言ってくれる親友に何度も救われました。この1年を通して自分が辛い時に「こういう人がいてほしかった」と思った人間に近づけるよう努めながら生きたいという想いが強まったので、何度でも言い続けます。私の人生はマジョリティではない選択の連続ばかりで孤独や不安に苛まれることも多いけど、一方で、自分の大好きな使命を見つけられたという類稀な幸運の方に感謝しながら、これからも自分の道を歩んでみます。世界のどこかで今日も私がやってるなら自分もやってみようかな、と思ってもらえるその連鎖ほど嬉しいことはないです。
4. 「自分の可能性を自分よりも信じてくれる人」と共に在る
前の指針とつながりますが、全貌は理解せずとも、同じ夢を目指していなくても、たとえ全く会わなくても、年齢や性別の垣根を超えてただただ可能性を信じて応援してくれて、自分を知らず知らずのうちに輝かせてくれたり、一緒にいるだけで自分に自信を取り戻させてくれる人がいます。少ないかもしれないけど、少なくていい。1人でもいたら幸せ。これを読んでもし「そんな人いないよ…」という方がいたら、私が可能性を信じる人になります。これまで何度も仕事上でお伝えしてきたことだけど、何度でも言います。全員に夢を反対されたとしても、馬鹿にされたとしても、私は絶対に味方でいます。これからも一緒に迷いながら転びながら歩きたいです。
余談ですが、受験期間中でほとんどSNSに出現していない・人に会わない間にも、これまで色んなお仕事・プライベートで関わった方々からご報告や人生の進捗をたくさんいただきました。見るのがとても遅くなってしまったり、いっぱいいっぱいで全てにお返事ができていなくて恐縮なのですが、いただくたびにすごく嬉しくて(涙が出てきます…)大切に胸の中の宝物箱にしまって、辛い時に何度も読み返して力に変えることができています。ありがとうございます。これからもずーっと一緒に歩みたいし、いつでもご連絡、待っています。
5. どんなに願っても、自分が持つもので戦うしかない
その上で、遠いところに夢があるならば努力を続けなければ手に入りません。時間だけが過ぎて結果が出ず、焦りや自分の弱さ・欠点に直面すると「もっと恵まれた環境に生まれていれば」「XX歳でXXしておけば」という考えが頭をよぎりました。事実、自分が苦労する部分をいとも簡単に乗り越えられる環境に生まれた人も存在します。どの分野も世界を見ればキリがありません。経済状況や災害など抗えない外的要因も存在します。この受験でも何度も理不尽を目の当たりにしてきましたし、人と関わる社会で生き続ける以上避けられないことだと思います。それでも、勝ちたい勝負があるのであれば私たちは"自分が持って生まれたもの"で戦うしかないことは不変の事実で、足りないならばそれを補う努力をするしかないことを、努力でどうにもできない領域が存在する現実を、静かに受容する。人間なので何度もぐるぐるするけれど、最後には腹を括って「この時間、少しでもなりたい自分になるために使おう」と戻ってくるのが夢への一番の近道だと痛感しました。私は30年かけてこの循環時間を縮め、より多くの時間を自分の人生への"夢中"へ充てられるようになりました。すると自分だけにしか歩めない道が見えてきて、琴線に触れる瞬間がどんどん増えていきます。逆に、手の届かない場所が無数にあるこの世界では、これまで歩いてきた自分にしか生きられなかった道だけが、確かに信じられる拠り所(自信)になるのだと思うようになりました。
出願のためのStatement of Purposeや、Personal History Statementを執筆する半年の過程を通して、これまでの人生の、決して楽ではなかった選択から生まれる余波たちに真正面から傷ついたり翻弄されながらも、懸命にその痛みを昇華して善い形で社会に還元してきたことへの自信と、これから大学院でこの使命を歩み続ける勇気を得ることができました。これだけでも受験してよかった。
6. シンプルに削ぎ落としてみる。残るのは純粋な本能と欲求。
ないものねだりになる瞬間を上記に書きましたが、もうひとつ重要だったのは「ところでなんで落ち込んでるの?」と自身に問いかけ、余計なものをどんどん削ぎ落としていくと「なんだ、全然凹む必要なかった!このまま進も!」という結論になることです。例えば自分のやっていることが正解か?失敗か?と気になる時。それは大体何かしらのきっかけで周りの判断が気になって集中できていないときです。正解とか失敗って、誰が決めるの?
とはいえ昨今はすぐに簡単に世界と繋がれてしまうから、日常の些細なことですぐ外界へ引き戻されてしまいます。
私には、余計なものを削ぎ落とすためのお気に入りの問いかけがあります。「もし世界に私のことを全く知らない人だけしかいなかったら、それって気になる?」という問いです。例えば、英語のスコアが伸び悩んでいる時、恥ずかしいと感じてる自分に「あれ?恥ずかしいって、誰のために思ってるの?」ってふと気づいたのです。その時、私の本当の恐れは周囲に良い結果を報告できないことであると気づきました。それは過剰な責任感や見栄、プレッシャーによるものかもしれません。とても余分なものです。余分を削ぎ落とすと、心はシンプルになります。「私、今楽しんでるよね?英語を勉強してる時間もすごく好きだよね。だったら、誰がなんと言おうとスコアがでるまで続ければいいんだ。勝つまでやれば勝ちよ。」と思えるようになりました。「今年中に出願できないかもしれない」という心配も、本心では自分の夢のためなら来年でも構わないし、この難攻不落を本能的に楽しんでいるのに、周囲の評価を考えたゆえに浮かんでくる心配ということがわかります。
曇りや利害、先入観を削ぎ落とした最後に残るのは、夢への純粋な欲求。あぁ、困難に直面すればするほど、それでもついに夢が叶った時を想像しては心が躍り、敢然と挑んで楽しくなるのが自分なんだよな、と。
自分と等身大になった夢中は、あらゆる不安と挫折、外的介入を凌駕します。私はこれからもきっと、夢中と不安という矛盾した感情の間を行き来しながら対処法のわからない恐れに出会い、その度に自問自答して本音に耳を傾けながら歩み続けていくのだろうと思います。
7. 人生の真の姿は、現実世界に在る。それを味わう。
このような歩みこそが「生きること」なのに、インターネット上にはカテゴリ化された人生の形がどんどん出来上がっているような気がします。私たちは誰かに自分を讃えてもらったり、納得してもらうために生きてないのに、他者に自身の存在価値や成果・能力を表明したり、誇示するためにSNSを使う人が増え、無自覚な嘘や真似、見栄も誇張も中傷も増えました。私の感覚では、誰かの人生の進捗を知るのは年に1回の年賀状ぐらいでちょうどよかったです。自分の人生を生きる(見つめる)のでこんなに精一杯なのに、毎日大量の誰かの意見や日常を浴びるほど自分の人生は長くない。毎日を真剣に生きていれば、自他の成功や失敗、幸福や不幸といった次元を超えてただ「生きる」を体感するのに集中しています。夢を諦めないことは、強い人だけができる魔法ではなく、持たざる私でも諦めないことはできています。できなくなる瞬間は、恐れが生じるときでした。何かを成し遂げていないことや、真っ直ぐ美しく生きることを疑ってしまったり、ひるんでしまうような今の時代環境から自分を守ってください。幼い頃から世の中から押し付けられる「普通」が合わないなと感じることが多く、静かに自分の世界を守った方が人生ははるかに楽しくなることを知った。人はそうして自分の世界を守り育てながらも、互いに影響を与え合い、支え合いながら生きてゆくのに、今は他人の世界に侵入しやすく・されやすい時代です。いつのまにか深く刷り込まれた侵入から離れて、自分の角度から世界を眺めてみると、世界はもっと平和で、豊かで、楽しいかもしれない。
痛みも闇も生きるの一部で、人には人の地獄があって、そして私は私の地獄と、今日も向き合っています。こうして地獄と向き合う痛みをお互いに分かち合いながらも周囲と真の関係で支え合いながら、愛の循環のなかで仕事をしたり、ただ生きる、ということが私の幸せです。侵入者とのえんがちょ、大事。(だいすきなお友達が教えてくれた言葉!笑)
8. 小さな善行を積み、悪循環を自分で断つ!
当たり前にできている人が多いと思うのですが、これもぜひ未来の凹んでる自分に贈っておきたい!(笑)受験期はどんよりしようと思ばいくらでもどんよりできてしまう日々です。だからこそ、最終バスの運転手さんが降りる時にお疲れ様でした、と挨拶をしてくださったり、通りがかったおばあちゃんに「あらあなた、カバンのチャックが全開よ!」と教えてもらったり(はずかち)、試験場の窓口の方に「頑張ってくださいね」と声をかけてもらったり、そんな些細な幸せが、もともと大好きだったのに、いっぱいいっぱいのときはそれだけで嬉しくて涙まで出てきてしまうくらい大好き。だから私も、いただいた思いやりを大切にしまって、普段よりもさらに意識して幸せのおすそわけに努めるようになりました。あえて意識的に動いてみると、積み重ねた努力の結果がなーんにも出なくて自暴自棄になる時期であっても、誰かとの些細な幸せの交流を通じて愛をいただいて「なんかわかんないけど、うまく行く気がする!」という気持ちになれるので、疲れてても、人見知りで話しかけるのが恥ずかしくても、このまま続けようね、私!
9. 一喜一憂するのに使うエネルギーを、未来のために使う
これは努力を重ねるほどにすごく難しいことだけど、荒波を何度も乗り越えるとすこーしずつ結果に対する一喜一憂の振れ幅をせまくすることができるようになりました。真摯に勉強しても、何時間もかけた書類も、何日も準備した面接も、覚悟を決めて数百万円かかる投資をしても、あっけなく落ちます。「これだけ頑張ったんだから次こそは・・・!」と期待を胸に挑んでも、容赦なく落とされます。悲しいくらいに何度も失敗を経験します。それはタイミングも運という自分で決めることはできない要素も多く絡んできます。あまりに結果がでないと「このまま進んで大丈夫だろうか?」と思ってしまうけど、何度考えても私はこの歳に受験に挑戦するし、未来の"歳を重ねた私"はできる限り早く行動してくれたことに感謝しているだろうと思います。自分を信じることはやめてほしくないけど、過度に毎回の結果に期待せず、淡々と改善を積み重ねることが一番心が安定し、必要なエネルギーをセーブできる道でした。タイムリミットのある受験期には特にむずかしい心意気だけど、時々休みながらも、やるべきことをやっていたら大丈夫。気分転換が大切とは言うものの、この時期は結局睡眠・運動・食事をきちんととり、夢へ向かってただやり続けることが一番の気分転換だと自ずと気づきました。
10. 396日を通した最も大切な気づき
最後に、この受験を通して学んでいる最も大切な行動指針と、新たに立ちはだかった壁に向けた脱皮の決意!について書きたいと思います。これは今後の人生で常に心に留めておきたい指針であり、先週起こった「予期せぬ出来事」をきっかけに気づくことができました。これは自分の中で大切にしておきたいお話であり、個人的な内容なので、初めての有料noteにしてみます。
このnoteの途中で、私がずっとSNSに苦手意識を持つ理由を書きました。私は普通という概念に加担することを望まず、虚構に満ちた世界には留まりたくありません。でもSNSが持つ素敵な可能性や、繋がった貴重なご縁への感謝の気持ちもいっぱいです。SNSのおかげで人生を通してハードシングスを共有し、一緒に歩む仲間が増えました。自分の中でSNSに「言葉で残したい瞬間」と「言葉にせず、大切にしまっておきたい瞬間」の境界線が、より鮮明になりました。教育についてや、生きることについて言葉を残し続けることが、私の実現したい世界を叶えるための過程でもあります。まだ数十年の人生しか経験していないけれど、将来行き詰まるかもしれない自分のために、実現したい世界のために、言葉を書き続けよう。
・・・ここまでですでに1万字を優に超えてしまいました。軽い気持ちで書き出しても、結局いつも全力になってしまいます。今夜もどこかで踏ん張ろうとしている方へ、ありのままの、魅せるためではない言葉をしっかりと残したくて、表現してみては繰り返し書き直し削ぎ落とし、気づけば投稿するのが後ろ倒しになっていました。最後の行動指針も396日の涙の結晶なので、ぜひ「長期戦お疲れ様🤝」のお気持ちで読んでいただけると嬉しいです。いただいた応援はこれからかかる進学費用として大切に使わせていただきます。
では、渾身のnoteもあと3,500文字(まだまだ濃い笑)! 今から、私の人生を大きく変えた「予期せぬ未来」と、やっとこさ396日目を迎えた今の、さらなる脱皮の決意のお話をします。ドキドキ。
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