小説 | 島の記憶 第15話 -花嫁-
前回のお話
春の真っ盛りに、私は正式に山の神殿の巫女になった。私は13歳で、あともう少しで14歳になるところだった。
私は叔母さんに自分の決意を伝えた後、母さんやおばあちゃんを始め、タンガロアお爺さんやロンゴ叔父さん、兄のヒロ達など神殿の仕事をしている人達全員にも私の考えを聞いてもらった。
「ティアほど頼りになる巫女はいないよ。やることはお告げ以外にも沢山あるから、これから叔母さんと少しずつ訓練していけばいいよ。それにしてもこんなにめでたい事はない。アリアナの弟が結婚したときに、もしかしたらこの中に大叔母さんの才能を受け継いだ子がいるんじゃないかと思ったのだが、ティアはまさしくアリアナや大叔母のミアさんの血を受け継いでいる。」ロンゴ叔父さんは喜んでくれた。
巫女になるその日、私は巫女になる儀式をあげてもらい、村の皆からの祝福をもらった。
神の花嫁となるこの儀式では、私は婚礼の衣装に身を包み、弟のカウリと妹のリアから花冠をかぶせてもらった。そして、巫女だけがつけるという、薄紅貝のネックレスを首に何重にも巻き、手首にも同じ薄紅貝の腕輪を巻いた。
それが終わると、子供たちの唄がある。透き通った子供たちの声はあたりに美しく響き渡り、辺りの空気を浄化しているようだった。
それが終わると、長老のタンガロアお爺さんが咳ばらいをして村人に語り掛けた。
「今日、わが村では新しい巫女を迎えた。ティアはこれまでに何度も予言で村を危険から救い、争いごとを避けられるように道を示してくれた。これからは村の皆でティアとアリアナを支え、二人が村を守っていけるよう、支えていって欲しい。ティアにはまだまだ学ぶことが沢山あるが、少しずつアリアナの手伝いをしながら修行していくことになるだろう。皆も温かく見守ってほしい。それでは神殿へ参ろうか。」
それを合図に、兄が私の手をとって、山の神殿へといざなった。神殿で働く人々も後を続く。私がふと後ろを振り返ったとき、カイが人垣から抜け出て浜の方へ歩いていくのが見えた。祝福はしてくれないのだろうか。カイの背中を見ながら、私は少しの寂しさを感じた。
山の神殿に行く間、兄はこんなことを言った。
「今日からは、いくら従兄であっても、村の男性には俺とカウリ以外は滅多なことがない限り近づかない事。神の花嫁ということを忘れないようにな。」
「神殿の人達なら大丈夫でしょ?」
「ああ。でも裏付け作業をする若い連中にも近づかないほうがいい。」
「大丈夫。私は神様と結婚したんだから」
「本当に分かっているのか?」兄は心配そうに訝った。
神殿の中に入ると、儀式の準備ができていた。
花で飾られた神殿の内部には、中央に敷物が敷かれ、そこへといざなわれた。
叔母さんが私の目の前にすわり、祝福の唄を歌う。今まで聞いたことのない歌で、やはり古語で歌われていた。いくつかの単語はわかるが、なかなか意味がつかめない。
その後、先祖に感謝する唄が歌われた。これも古語で歌われる。
長い感謝の唄には、時々タネーお爺さんの名前が出てくる。とても親近感を覚える歌だった。
その後、私も先祖に巫女になった報告をした。
叔母さんが一言一言いう古い言葉を後から繰り返して言う。これもいくつかの単語が分かるのみで、正確には何と言っているのかはっきりとは分からない。長い報告の儀式が終わると、上を割ったココヤシが配られ、神殿にいる人々皆にふるまわれた。
ふと気が付くと、おばあちゃんと母さん、カウリとリアが部屋の片隅に座っていた。母さんは少し泣いている。おばあちゃんもだ。事情は説明し、私が今後誰とも結婚せず、子供も持たないという人生を選択したのを言った時、母さんは少し寂しそうだった。巫女の人生は普通の人とは異なっているのを母さんは頭では理解している。しかしアリアナ叔母さんと同じ道を歩かせるのは、母さんからすると私が厳しい選択をしたことにまだ少し納得できていないようだった。
その日の午後から、本格的に巫女修業が始まった。
叔母さんは病人の世話と、相談事に乗るために集会所へ行き、私はタンガロアお爺さんとおばあちゃんから古語を教わることになった。まず地面に文様を描くことから始まる。太陽の文様はある文字を、人の形をした文様は他の文字を。様々な文様がそれぞれの意味をもつ文字となっていた。文様も布に織っていた分は分かるが、それ以上にもっとたくさんの文様が出てきた。
まずはこの文様と発音を覚えること。読み上げられるようになったら、次は古い言葉の意味を覚えること。その日は10個の言葉を覚えて書けるようになるのが目標だった。太陽、空、星、海、波、などの単語は分かるのだが、それ以外は初めて聞く言葉が多い。私は何度もお爺さんたちの発音に聞き入り、同じように発音できるよう繰り返し口に出しておさらいをしていった。
午前のお勤めと、午後の言葉のお稽古が私の日常になった。おばあちゃんが来られない日は、タンガロアお爺さんや、アリキのお爺ちゃんなど村の老人たちが交互にやってきてお稽古をつけてくれる。中には久しぶりに話す古語を忘れかけている人もいて、なかなかお稽古が進まない時もあった。家に帰っても、私は家の裏で、地面に文様を書いておさらいをするのが日課になった。
週に2回は機織りを続けさせてもらえることになったので、その日はおばあちゃんと一緒に単語を少しずつ覚えながら、身の回りにあるものを古語でいえるようにしていった。おばあちゃんの古語の知識は深く、アリアナ叔母さんや、ミア大叔母さんから習ったというその古語の知識は、おそらく儀式で歌われる唄の意味がほとんどとれるのではないかと思うほどだった。
しばらくすると、唄の稽古が再開された。私は新しい曲のお稽古をつけてもらえることになった。私が巫女になったときの祝福の祈りの唄だ。
ゆったりとした速度の唄で、音程を保つのが少し難しい。発音がおかしいとすぐに直してもらえた。唄はかなり長いので、一日のお稽古で初めの半分、次の日は残りの半分、その二日後には唄の全部のおさらいがあった。
やることは山のようにあり、私は地面に文様を書きながら教わったばかりの唄を毎日復習した。今まで一曲しか習ってこなかったが、あれと同じ長さの曲がこれからでてくるのだろうか。私は少し身震いをしながら、今日習いたての曲のおさらいに戻っていった。
数日後、叔母さんとタンガロアお爺さんが、私を山のもっと上まで連れて行ってくれた。大きな岩が沢山ある細道を歩いていくと、小さな泉があった、
泉の向こうには大きな岸壁があり、そこには古い文様で彫られた大きな彫刻があった。岩肌に堂々と彫られたその文様は、神様を表していた。
叔母さん達はさらに山の奥まで連れて行った。その道すがら、私たちはさらに多くの文様が岩肌に刻まれているのを見た。太陽や月が描かれている。その奥に行くと、神々を示す文様が刻まれ、その後ようやく人間が登場してくる。私の限られた古い文字の知識でもなんとか理解ができた。タネー叔父さん、またはその子孫である私の祖先たちが彫ったその文様は、神々の世界と人間の世界の歴史を表していた。さらに歩いていくと、今度は人間の生活を表した文様が沢山出てきた。
「この文様はこの世界の歴史と私達の村の歴史よ。今までは祖先の名前を覚えてもらっていたけれど、次はこれを覚えて欲しいの。どのように地上を作られて、その後どのようにして私達人間が暮らしていくようになっていたか。そしてこの村ではどのようなことが起きていたか。タネーお爺さんが伝えてくれた文様を使って、太陽と月の文様、神々の世界の文様、最初の人間の世界の文様。そしてこの村の歴史の文様がここには刻まれているの。
大叔母さんの頃に描かれたのはここの文様。村が栄えて、大きなクジラが浜の近くまで来たと書いてあるわ。私達も、私たちの後の世代に何があったか伝えるために、ここに村の歴史を刻んでいくの。これも山の神殿に努める巫女の大切な仕事よ。島の記憶を未来に伝えていく。そのためにはまず沢山ある文様を覚えて、そして村で何があったかをしっかり覚えていてね。いずれティアが大きくなった時にこの村の歴史をここに刻んでもらうことになるからね。」
(続く)
(このお話はフィクションです)