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2022年に読んだ本140冊の振り返り - 読書日記
こんにちは。
普段は会社員のかたわら本を読んでいます。
今年の元旦から、読んだ本をInstagramのストーリーにアップしてアーカイブする習慣をつけていました。これが意外と長続きして、最終的に2022年の間に 140冊 の本を読めました。ほとんど小説ですが。
平日は通勤中の電車の時間(往復1時間くらい)と、昼休みのうち30分くらいが読書の時間。あとは早く帰ってこれた日の夜や、予定のない休日に、少しずつ読み進めています。
別に「数をこなそう!」と意気ごんでたわけではなく、多いからといってエライこともないのですが、年間140冊は自分としてもかなり読めたほうでした。
腐らせて捨てるほど時間があった学生時代より、律儀に会社づとめをしている今のほうが読んでる数が多いというのは、どういうことなんでしょうね。
そういえば漫画家の吉野朔実さんが著書のなかで「やらなきゃいけないことから逃げるときの読書ほど楽しいものはない」というようなことを書いていましたが、そういうことかもしれません。
あと、たまになんとなく相互フォローになった顔も知らない人や、何年も連絡をとっていない知人から「いいね」が来ることもあります。
あえて返事をすることはないけれど、いまアップした本に何か特別な思い入れがあったのかな、とか、それともただ表紙が気に入ったから反応しただけなのかな、とか、そんな風に思いをめぐらすきっかけが生まれることも、本を読むモチベーションになっていたのかもしれません。
しかし、こんなに年じゅう読んでたって、数ヶ月もしたら何が書いてあったんだかすぽっと忘れてしまうのが悲しいところ。せっかくなので忘れないうちに、2022年に読んでとくに印象に残った本について残しておこう、と思って書き始めたのがこの記事です。
だらだらと自分勝手に書くうちに10,000字を超えてしまいましたので、目次から食指の動いたところだけつまんで読んでいただくのをおすすめします。
読んだ本すべてのリストは最後に載せています。あまり人の役に立つようなことは書いていませんが、あなたが次に読む本のきっかけにでもなれば幸いです。
やっぱり、ヴォネガットが大好き
学生のころは、とにかくがむしゃらに大量の小説を読もうとしていました。
自分の想像力がまったく及ばない未知の世界が、次に開く一冊にこそあるんじゃないか、という期待に突き動かされ、手あたり次第に本を買っていた気がします。ひたすらに渇き、海水を飲み続けてはさらに渇きを酷くする、筏の漂流者のようでした。地球をすみずみまで旅するバックパッカーなんかも、あるいは同じ欲求を抱えているのかもしれません。
しかし歳を重ねるにつれて、再読の楽しさもわかってきました。月並みな表現ですが、自分の環境や価値観が変わった状態で読み返すと、新しい魅力を発見することがある。それに、初読時はストーリーを追うだけでいっぱいいっぱいだった本も、全体像を理解して読むことで細部の表現などを深く楽しめるようになります。
今まででいちばん読み返してきた本はなんだろう、と考えたとき、真っ先に思いついたのがカート・ヴォネガットでした。
とくに『タイタンの妖女』は生涯のベスト3に入るほど思い入れのある一冊で、初めて読んだ高校生のころから、数年おきに人生の節目を迎えるごとに読み返しています。なので2022年もバッチリ読みました。
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初めて読んだときは、ほろ苦いけどちょっと元気が出る風変わりなSF 、くらいの印象でした(なんかすごい小説だなあとは思ったけど)。
しかし読み返すうちに、あらゆる登場人物に感情移入してしまうように……。もがき、あきらめ、打ちひしがれ、それでも生き続ける姿に、涙がこぼれそうになります。
わたしはつねづね思うのですが、本当の感動作とは”誰も死なずに泣ける”作品のことではないでしょうか。
というのも、誰かを失うということは基本的に悲しい出来事なので、登場人物が死んで”泣ける物語”になるのは、当たり前っちゃ当たり前だと思うのです(それがダメというわけではないのですが、もちろん)。
いっぽうで真に感動的な物語体験とは、誰かが死んで悲しいねで終わるのではなく、登場人物の魂の美しさとか、まるで自分のために語られているかのような慰めの暖かさとか、圧倒的な技術による完成度の高さとか、そういったもので思わず”涙する”ことだと思うのです。
ヴォネガットは『タイタンの妖女』や『スローターハウス5』といった代表作で、死を”単時間的な出来事”とみなすSF的な手法によって、死を無効化しました。
トラルファマドール星人の知覚によれば、誰かが死んだとしてもその人は過去の時間軸では生き続けているので、悲しいことなどないのです。「そういうものだ」で終わるのです。
では、これらの物語から悲しさは消えているか?というとまったくそんなことはなく、どこまでも悲しく、泣けます。
おそらくヴォネガット自身が戦争体験を経て抱えてきた人間への絶望や悲しみ、そしてそれでも人間を愛さずにはいられない複雑な気持ちを表現するには、既存の”死”や”自由”のイメージは単純すぎたのでしょう。だからSF的な舞台をしつらえ、われわれ地球人的な価値観の前提をとっぱらうことで、単純なイメージに覆い隠されて見えなくなっていた人間心理の奥深くまでを炙り出そうとしたのではないでしょうか。
ヴォネガットはその作風からSF作家と括られることが多いのですが、SF的なギミックそれ自体を楽しむというよりは、あくまで人間を描くためのいち手法としてSFを用いているように見えます(『母なる夜』や『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』など非SF的な傑作も残しています)。
ヴォネガットの作品の登場人物は、全員がなんらかの悲しみを抱えているように見えます。読み返すたび、その悲しみが鏡のように光って、いまの自分の心に寄りそってくれるのです。
『タイタンの妖女』のこと
さて、最初は自分もそうだったのですが『タイタンの妖女』は初めて読んだときに世界観が飲みこみづらく、冒頭の数十ページで挫折する人が多いと聞きます。
ヴォネガットの魅力のひとつは、皮肉あふれる奇妙な語り口なのですが、それが連発するとシーンを飲みこみづらくなるのかもしれません。
せっかくなので、これから『タイタンの妖女』を読む人のために、ざっくりと冒頭の状況を説明しておきます(序盤なのでネタバレにはならないレベルだと思います)。とりあえず冒頭はこういう状況なんだな、ということを押さえなておいてから読むことで、だいぶ読みやすくなると思います。
とりあえず冒頭は以下の状況であることを押さえておけば大丈夫です。
ウィンストン・ナイルズ・ラムファードという人物は、とある事故によって宇宙の時間軸を見通せる超人になってしまった。
その超人の屋敷を、マラカイ・コンスタントという金持ちの普通の地球人が訪れている。
ラムファードはマラカイ・コンスタントにこれから降りかかる運命を告げる。
コンスタントは絶対にその運命を回避してやろうと思う。
ラムファードの妻であるビアトリス(ラムファード夫人)も夫にムカついており、同じように運命に抗おうとする。
実際に読んだとき、ラムファードの能力がどういうものなのかイメージしづらい、と感じると思いますが、正直ここは「地球人にわかるように書いてない」というか、若干ケムに巻いているような気がします(わたしの読解力が低いだけだったらすみません)。とりあえず物語的には「未来に起きることをすべて知っているひと」という理解でOKです。
その設定さえ逃さなければ、あとは読んでいくうちにどんどん面白くなっていく……はず。きっと。
研究読本と、まぼろしの古本屋のこと
本屋に行くと、よく「あれ、またヴォネガットの新しい本が出てるや」と思うことがあります。
未発表作や講演集だけでなく、ガイド本や研究本まで定期的に出版されるのは、やっぱりヴォネガットが多くの人に愛されているからなんでしょう。
とくに2019年に出た、三修社という出版社から出ている『カート・ヴォネガット トラウマの詩学』からはかなりの本気度を感じます(すいませんが未読です)。
長編を出版順に論じ、ヴォネガットのトラウマとの関わりかたの変化を、多くの先行研究をもとに紐解く。
ですからね。出版順に論じる、というところによくわからない熱量を感じます。
というかこの「アメリカ文学との邂逅」というシリーズ、ヴォネガット以外にもラインナップが凄いですね。トマス・ピンチョン、チャールズ・ブコウスキー、コーマック・マッカーシー。おそらく数十年前まではサブカルチャーの文脈で好まれていたような、現代アメリカ文学の錚々たる顔ぶれです。
わたし自身は、原作の小説以外にあまりヴォネガット関連の本は読んでいません。唯一読んだことがあるのは、北宋社という出版社から発刊された『吾が魂のイロニー - カート・ヴォネガット・ジュニアの研究読本』という一冊だけです。

編集後記で「ヴォネガットのことを書くとみんなエッセイになってしまう」と書かれているとおり、しゃちこばった評論みたいな本ではなく、まるでファンクラブの会報誌みたいな、ゆるい空気感です。原作の「ボコノン教」の記述を章立てして並べたやつ(イラストつき)とか、登場人物キルゴア・トラウトになりきって書いた小説とか……。研究読本というよりファン・ブック、あるいは豪華な同人誌。そーいう呼び方のほうがイメージ近いかもしれません。
メンツがちょっと面白くて、こういう企画ではあまり見ない村上春樹を筆頭に(2pしか書いてないけど)、橋本治、池澤夏樹、山崎春美、高橋源一郎、栗本慎一郎、三浦雅士、渡部直己……。
みんなそれぞれ好き勝手にエッセーを書いてるんですが、いいなって思ったのは、少なからぬ人から「『チャンピオンたちの朝食』以降って微妙じゃない……?」というニュアンスを感じること。つまりカート・ヴォネガット・ジュニアという筆名から「ジュニア」が取れるころ(『チャンピオンたちの朝食』が最後)から、なんかスタイルが変わってきた……?という困惑が見られる。
うっすら思ってても口にしづらい「ヴォネガット、ジュニア取れてから微妙説」は、同時代の人たちにとっても同じ感覚があったんじゃないか、と想像してしまうんです(こんなこと言ってると、ファンの人にぶん殴られてしまうかもしれません)。
ところでわたしがこの本を買ったのは神保町にあったとある小さな古本屋だったのですが(2012〜2014年くらい…?)、店名も場所も忘れてしまい、それ以来一度も行けていません。
メインの古本通りではなく、少し明治大学方面寄りの、ヴィレッジヴァンガードやジャニス別館がある辺りだった気がするのですが……。
ハヤカワやサンリオのSF文庫、あとたぶん創元推理とかの文庫が置いてある小さな古本屋で、物腰やわらかに話しかけてくれる女性の方がレジにいたのですが……。
まったく場所を覚えておらず、めぼしいところを歩いても見つけることができませんでした。もし知ってる方がいたら、情報をください!
カフカって、こんなに面白かったんだ
フランツ・カフカは知名度も評価もバキバキに高い作家なので、それなりに本好きを自覚してる人なら一度は手を出したことがありますよね。
たぶん、そのうちの50%の人は、村上春樹の『海辺のカフカ』を読んで「カフカってどういう意味?」というところからカフカという作家を知ったのではないでしょうか(偏見)。すみませんこれはわたしのことです。
そして残りの50%の人は、大学の文学部とかカルチャースクールの創作コースか何かの講義で、講師が「カフカはジョイスやプルーストと並んで20世紀最高の作家のひとりです」なんて言うものだから、課題図書のつもりでなんとなく読んでみるのでしょう(偏見 Ⅱ)。
しかし誰もがうっかり手にとる一方で、あまりリーダビリティが高い作風とはいえないと思います。代表作のなかでも比較的短い『変身』やその他の短編でさえ、突拍子もない展開に振り落とされそうになる瞬間があります。
『城』『審判』『失踪者』といった長編はさらに厄介で、話の流れも迷路的に入り組み、ダラダラと登場人物のおしゃべりが続いたりして、読み通すにはなかなかの体力が要ります。
さあ大変です。名実ともに最高な作家のはずなのに、いまいちピンとこない。ていうか、眠くなっちゃうんだけど。早く次の本読みたいな。でも「カフカ読んだけど、何が面白いのかよくわからなかったや」なんていったら、文学的感受性が低いと思われるのかな……。
と、若かりしころにカフカを読んだ文学少年少女たちは、そんな煩悶に苦しむものです。
……え、わたしだけですか?
だったらすみません。
わたしは高校生のときに新潮文庫の『城』を古本で買ってワクワクしながら読みましたが、正直ほとんど面白いと思えませんでした。さすがに「なんかスゴそうだな」とは思ったので頑張って終わりまで読みましたが、1ヶ月も経つころには中身をさっぱり忘れていたと思います。
その後、大学は文学部系に行ったんですが、案の定、教授たちは折に触れてカフカの凄さをほのめかしました。というか「言うまでもないよな?」という雰囲気でした。周りの学生たちを見ても、どことなく優秀なやつは、ここ一番でさりげなくカフカを引用していた気がします(これはたぶん気のせいです)。
それでもわたしはずっとカフカを読めませんでした。一度、角川文庫版の『アメリカ』に挑んだのですがやっぱり駄目でした。ドゥルーズ/ガタリのカフカ論も読みましたが、じゃあカフカが読めるかって言うと読めませんでした。あとはもうキャンパスにいる人たちがポケモントレーナーのようにカフカ談義をしかけてこないよう祈るだけでした(幸い、そんな機会は一度もありませんでした)。
大学を卒業して、会社員として何年か働きました。
2022年のある日、ふと本屋で白水uブックス版の『審判』を手にとりました。ぱらぱらめくってみると、文庫版よりも文字組みが読みやすく、なんの根拠もなく「これなら読めるかもな」と思いました。カフカに触れたのは5年ぶりくらいでした。
久しぶりに読んだカフカは、ところどころ振り落とされそうにはなったものの、確かに「面白い」と思える読書体験でした。
何が面白かったのか? 一言でいえば、主人公たちが抱えこむやりきれなさが、なんとなく「わかる」ようになったのです。頭で理解するのではなく、あ、自分はこの感覚を知っているかもしれない、という感覚的な「わかる」です。
『審判』を読み終えたわたしは、『失踪者』(別訳では『アメリカ』)、『変身』『城』と代表作を立て続けに読みました。どれも以前読んだときよりはるかにリアルに、主人公たちの苦悩が身につまされるように迫ってきて、つい涙ぐみそうになる瞬間もありました。
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単にわたしが歳とともに成熟して読める本が増えたのか、カフカ的に理不尽な体験を会社員生活のなかで重ねることで自分ごととして読めるようになったのかはわかりません。
ただ思うのは、カフカは机の上の娯楽として漫然と楽しむ幻想文学ではなくて、この役所仕事と官僚主義に満ちた世の中を生き抜き、戦う人々のためにある文学なんじゃないか、ということです。
わたしも文学部教授どもと同じことを言わないといけません。カフカは絶対に読み継がれるべきです。教養のためのカタログではなく、今なおリアルな文学として。だって、ここで描かれている「複雑な手続きで疲弊する毎日」「増殖する管理者と、それに比例して膨らむタイムスケジュール」「直感に反するシステム」これらは改善されるどころか、どんどんこの世界で幅をきかせているのですから。ファック。
読書をするために、いわゆる”人生経験”が必要だとは思いません。しかし、世の中のままならなさにゲンナリしたことがある人ほど、幻想では片づけられないリアリティをカフカの作品に見出せるはずです。カフカの世界は、冷たく、理不尽で、疲弊と徒労感のイメージに満ちています。
ところで、カフカの凄いところは「ほとんどの作品が未完なこと」だと思いませんか?
最後まで書ききれなくて筆を折ってばかりなのに、死後には20世紀最高の作家のひとりに数えられる評判を得るって、凄いことですよ。ほんとに。
注。白水uブックスでは短編集の『流刑地にて』や『断食芸人』は品切れになっているのか、新品では手に入りにくくなっています。
余談:カフカ的な話
ひとつカフカ的な体験談をします。
くだらない話です。
わたしは大学を卒業してから実家を出て、ひとり暮らしをしています。
2つめのアパートに引っ越しをするときでした。
新居を決めた後、インターネットの開通手続きにはそれなりに時間がかかることを知っていたので、すぐに新居の住所でネット業者に開通を申しこみました。
ある日、ネット業者の担当者から電話が来ました。新居の住所に建物が見つからない、というのです。不審に思いながら仲介業者に問い合わせてみると、なんと仲介業者から教えられていた住所に誤りがあったのでした。
ネット業者の担当者に折り返して申しこんだ住所が誤っていたことを伝えると、住所の変更はこの電話では受け付けられないから、別の親会社の窓口に電話し、変更を伝えてくれ、と言われました。
その窓口についてはWebサイトを見てくれとのことだったので、自分で今回の件に該当しそうな問い合わせ先を探して連絡しました。
しかし住所変更を伝えたあとも、誤った住所が記載された回線の契約書面が来たり、回線工事当日に工事業者の人から住所について尋ねる電話が来たりしました。
結局、書類作成者や、工事担当者には住所変更が伝わっていなかったのです。
増え続ける窓口と煩雑な手続き。このゲンナリ感は、カフカの『城』を読んだときに鮮やかに蘇りました。
カフカの副読本 ——資本主義に疑問を投げかけること
もうひとつカフカを理解する手助けになったのは、マーク・フィッシャーとデイヴィッド・グレーバーの著書かもしれません。
どちらもすでに亡くなってしまっている、批評家 / 文化人類学者です。
資本主義社会の「生きづらさ」のようなものと向きあい、オルタナティブを模索する本を何冊も残しています。
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著書の中では、現代の状況を示唆する例としてカフカの作品が引用されることもありました。彼らの本を読めば、カフカの世界観により没入できるかもしれません。
サリンジャー、カーヴァー、テラン……アメリカ文学に酔いしれる
「村上春樹は好きですか?」と聞かれた場合「そこまで熱狂的な読者ではないけれど、わりと好き」と答えるようにしています(人生でそんな風に聞かれたことは1回か2回くらいしかないのですが)。
2022年はけっこうアメリカ文学を読みました。それでわかったのは、わたしは村上春樹が肌に合うというより、村上春樹のスタイルのルーツにあるアメリカ文学が好きだから、自然とその影響を受けまくってる村上春樹も「わりと好き」だったんじゃないかということです。
たとえばハードボイルド小説の『長いお別れ』や『マルタの鷹』はもう明らかに春樹に影響を与えてますよね。多くを語らない美学。思わせぶりで意味深なパンチラインの連発。間違いなくこのスタイルを継承していると思います。
それから本人も翻訳している、フィッツジェラルドやサリンジャー、レイモンド・カーヴァーといった作家たち。洒脱な比喩や、突き放すような文体がたまらなく格好いい。何度でも読みたくなる小説ばかりです。
ただ、カーヴァー以外の作品は春樹以外の翻訳で読みました。なんとなく……。
サリンジャー
2022年7月に、新潮モダン・クラシックスから『彼女の思い出 / 逆さまの森』が刊行されました。2018年に同レーベルから出た『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年』とあわせて、入手困難だったサリンジャーの作品が簡単に読めるようになったわけです。サリンジャーファン歓喜、ですね。
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『ライ麦畑でつかまえて』のイメージがそうさせるのか、ティーンネイジャーが熱狂する文学だと思われがち? でもわたしは大人になってからのほうが10倍サリンジャーを楽しんでいる自信があります。『ライ麦畑』は魂のピュアな部分をいくつになっても思い出させてくれる、パンク・ロックのような小説です。
それに『ナイン・ストーリーズ』をはじめとしたシーモア・グラースの話や、今年翻訳された『逆さまの森』なんて、ある意味オトナのほうが共感しやすい、しみじみした悲劇を描いた作品だと思います。
わたしは今年からサリンジャーにハマった口なので、今年放映された『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』は劇場で見るには遅く、Amazon Primeでレンタルして視聴しました。
思ったよりサリンジャーそのものに焦点はあたっていませんでしたが、本好きは楽しめる内容だと思います。あとファッションがみんな素敵。
レイモンド・カーヴァー
これも、初めて読んだ高校生のときにはよくわからなかった作家のひとりです(わたしの読書人生そんなんばっかです)。かつての自分に声をかけてあげたいですね。「無理してうたた寝しながら読まなくていいよ、そのうち時が経てば面白いと思えるから」と……。
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一般的には『大聖堂』が最高傑作とされてるみたいで実際すごく面白いのですが、個人的には『頼むから静かにしてくれ』が最高です。荒削りなぶんカーヴァーのスタイルが尖りまくっていて、短編小説を読む喜びが脳みそにブワアッと満ちていきます。
読者を突き放すような、ぶった切りの文体。きわめてリアルな、郊外の生活描写。しみったれた人々への挽歌のようなペーソス。これぞカーヴァー、とため息をつきたくなります。
カーヴァーは、文学におけるL.L.Beanの古着のようなイメージです。オーセンティックであり、ヘビーデューティ。決してラグジュアリーではないけど、ちょっと品がある。しかも、肩肘を張らずに楽しむことができる。来年も読み直したいと思います。
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ボストン・テラン
アメリカの作家ではボストン・テランを知れたのが2022年の大きな収穫でした。
ノワール文学とでも呼ぶのでしょうか。ドラッグ、借金、犯罪。荒廃したストリートの生活模様を通して、人間のリアルな”弱さ”と、それでもタフに人生を生き抜く”強さ”を描き切る。
どの長編も、読み終えたときには視界が晴れていくような充足感がありました。
そのなかでも『音もなく少女は』が抜群に好きでした。サスペンスドラマのような息もつかせぬ展開はひたすら面白いのですが、時おり出てくる詩的でクールな言語表現に、頭をぶん殴られたようにやられてしまいます。
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一語一句覚えてないのですが「黒人だらけのこの町でヘロインだけが白いまま残っている」とか「その鞄を持つと道に落ちる影すらも上手く着こなしている気分になる」みたいな、文章という表現形式でしか出せないようなパンチラインの応酬。”暴力の詩人”という二つ名がつくのも納得です。
ちょっと話がそれますが、最近、釣りやスケートボードが、ストリート・ファッションの隆盛にともなってクールな趣味として流行っている気がします。
わたしは、読書も同じようにクールでイケてる趣味として、もっと流行ってほしいと思っています。ボストン ・テランは、そんなストリート・カルチャーと読書をつなぐ橋のような存在になるでしょう。
スケートボードのスラングに”ポーザー”という言葉があって、見た目ばかりで実行がともなっていない人を指すようです。スケボーをしないのにスケーターファッションをしていたり、乗らないのにスケボーを持っていたりする人を揶揄するようです。ヒップホップにも”リアル””フェイク”という言葉がありますね。
でも、もう大丈夫。温室育ちのわたしたちにも朗報です。ボストン ・テランを読めばいいのです。
😎「お前、いいとこの坊っちゃん / お嬢ちゃんのくせに、そんな服着てんじゃねえよ、ポーザー野郎」
😕「はあ? わたしはボストン ・テランを読んでるけど……?」
グレート・ギャツビー
『ギャツビー』は学生のころに新潮文庫版で読んでいましたが、今年は装丁がリニューアルされたという角川文庫版で読みました。
文字組みは新潮文庫版より読みやすいと思いました。新潮文庫版はどうも、紙面いっぱいにぎっちり詰めこまれてるような印象がして読みづらいと思うときがあります。好みによるのだと思いますが。
角川文庫の大貫訳は、『ギャツビー』を彩る特徴的なワード「オールド・スポーツ」を「ねえ君」と訳しているのが印象的でした。
ギャツビーはいろいろな出版社から翻訳が出ていますが、次は光文社新訳文庫版で読みたいですね。村上訳は最後かな。読みやすさは必ずしも正義ではないとは言えども、基本的に翻訳なんて新しければ新しいほど良いはずだ、という気持ちはあります。
ところで『ギャツビー』の翻訳では、枯葉というペンネームの謎の人物が個人で翻訳したものがKindleで販売されており、これは2021年の年末に読んだのですが妙にしっくりくる文でした。しかも99円と安い。
電子版でも構わない人はまずはこれから読んでもいいかもしれません。
Kindle Unlimited は気分転換の読書にうってつけ
読書好きあるあるで”読書の息抜きに読書する”ことがありますよね?
読みごたえがある本や難しい本を読んでると、どうしても疲れてくる。そこで気分転換にリーダビリティが高い小説を読みたくなるのです。
そんなときの強い味方がKindle Unlimited。対象作品が読み放題のサブスクリプションサービスです。
正直、対象作品が幅広くて潤沢だという印象はないのですが、有名・人気作家の初期作品なんかが入っていることが多く、要するに「間違いなく読みやすいし面白い」本をとりあえず読むことができるのです。
ここからはKindle Unlimitedをきっかけにして電子書籍で読んだ本を紹介します(※対象作品は変わっている可能性があります)。
「シリーズモノは夢中で読み進めたくなっても、本棚のスペースが心配で手を出せない」それも電子書籍なら気にしなくて済むのです。
青崎有吾
昔、わたしはこんにゃくを食わず嫌いしていました。しかしあるとき、おでんのこんにゃくに柚子胡椒をつけて食べると感動的に美味しく、それ以来ほかの料理でもこんにゃくが食べられるようになったのです。
わたしにとって、ミステリーはこんにゃく、おでんは青崎有吾、柚子胡椒は”キャラクターモノ”といったところでしょうか。
……この例えは別に要らなかったかもしれません。
今年のある日、青崎有吾デビュー作『体育館の殺人』がKindle Unlimitedのレコメンドリストに載っておすすめされました(AIによって快適な読書体験を約束される世界がすぐそこまで来ています。ありがとう)。
これは学生のとき読んでいたのですが、なんとなく読み直したところ一気に青崎有吾づいてしまい、ほぼ1日1冊ペースで主要作を読み漁りました。『水族館の殺人』『図書館の殺人』と続く「裏染天馬シリーズ」は本当に面白いので、ミステリー好きじゃなくても楽しめると思います。
けれどやっぱり『アンデッドガール・マーダーファルス』が最高です。ここしばらく記憶から失われていたのですが、2021年に最新刊(3巻)が出ていたことを知り、電子書籍で1巻から読み直しました。
これも一応ミステリーなのですが、登場人物が不死、鬼、吸血鬼、人狼、戦うメイドなどB級映画感が満載な上に、ルパン三世やシャーロック・ホームズ、フランケンシュタインにオペラ座の怪人と、古典作品のキャラクターも普通に出てくる一大冒険活劇です。
非・人間だからこそ成立するトリックやアクション描写などエンターテイメント要素をこれでもかと詰めこんだ筆者激推しの本作。唯一の懸念は最新刊が出るまでの間に約5年が費やされていることで、『十二国記』ばりのロングスパンシリーズになるやもしれぬ、ということです。
全然待ちますけどね。面白いから。
シャーロック・ホームズ
明らかに上記の青崎有吾から影響を受けたんですが、今年は初めてホームズ・シリーズを読み始めました。ホームズって児童向けの出版もされていて、意外と周りにも読んでる人が多いんですよね。
素晴らしいことに、創元推理文庫と角川文庫の対象作を組み合わせることで、シリーズのほとんどをKindle Unlimitedで読むことができます! 全編同じ出版社で通して読みたい、というコダワリ派のひとは別ですが……。
個人的には角川文庫版のほうが読みやすいですが、創元推理文庫版は注釈が丁寧についている印象でした。
まあ、まだ『緋色の研究』と『四つの署名』しか読んでないんですけどね……。
2つ読んで気づいたんですが、ホームズはそれこそ青崎有吾とかと違って、トリックの解明をメインディッシュに据えた作品ではないのですね。
いかにも当時の娯楽読み物って感じで、船に乗って犯人を追いかけたり、荒野を馬に乗って銃撃戦したり、そういうアクション映画的な描写が多くを占めています。発刊当時もそのあたりが大勢の人気をさらったのかもしれません。
……ってことは。
やっぱりホームズの正統な後継者は名探偵コナンなのかしら!?
コナンも、推理パートよりスケボー乗って犯人追いかけたり、サッカーボール蹴ったり、悪の組織と銃撃戦をしたりするくだりがクライマックスですからね(偏った知識)。
伊坂幸太郎
ほぼ灰色に染まった義務教育期間の思い出で、たったひとつ感謝しているのは毎朝読書のきっかけを与えてくれたことでした。
小学生のときは星新一ばかり読んで、中学生のときは伊坂幸太郎ばかり読んでいました。
それ以来ずっと伊坂作品から離れていて、『あるキング』くらいから新刊もまったく追わなくなってしまったのですが。ある日、Kindle Unlimitedで『オーデュボンの祈り』をレコメンドされ、思わず懐かしくて読み直してしまったのです。
とにかく、一瞬で読めるこのリーダビリティの高さがすごいですね。
ただ『重力ピエロ』『魔王』とか、当時は好きだったのにいま読むとイマイチ乗り切れないところはありました。あんまり良い言い方ではないですが、中学生のときはこのへん読むと根拠もなく自分の頭が良くなったような気がして、それが快感だったのかもしれません。さすがに歳をとってくるとそういう昂揚感は得がたくなってしまいます。
今のわたしなら『砂漠』を最推しします!
大学生活が舞台で、伊坂作品特有の”そのへんにいそうで絶対いないキャラクター”がいい塩梅で描かれた青春小説です。軽妙で気のきいた会話が脳みそをほぐしてくれます。
秋山瑞人
秋山瑞人も昔よく読みました。Kindle Unlimitedでは『猫の地球儀』『ミナミノミナミノ』が読めます。しかし彼の最高傑作といえば満場一致で『イリヤの空・UFOの夏』でしょう。
完全に持論ですが、ラブストーリーの完成度って”どうやってキャラクターに「好き」と告白させるか” に大きくかかっているのではないでしょうか。映画『君の名は。』や小路啓之の漫画『Lovely』は「好き」に至るまでのギミックの鮮やかさが強烈に記憶に残っています。『イリヤの空・UFOの夏』の「好き」もまた、痛みをともなった感動を呼ぶ名シーンです。
ところで「セカイ系」という言葉がありますよね。言葉としてはもう流行りを過ぎてしまっているのかもしれませんが、エヴァやこの小説に見られる「今日もどこかで戦争が始まる」世界観は、最近のウクライナ情勢などを見ても今なおリアリティをもって迫りくるように思えます。
この小説は、「代替案なきシステム」「一般人たちの分担作業によってなしくずしに進行する戦争」といった、今の世の”生きづらさ”とそれにストラグルする少年の揺れ動く感情をみずみずしく描いていると思います。
ただ、オチには物足りなさが残るというか、これほど示唆に富んだ物語でありながら、結論を出さないままスケールのデカさで押し切られた感がありました(明確な結論を出せるような問題ではもちろんないですが)。この読後感が「セカイ系」批判の一因だったのかもしれませんね。
音楽本はカンパニー社がアツいのです
本を読むのと同じくらい、乱雑に音楽を聴きまくるのが好きです。年代を問わず毎日ジャンルを変えた音楽をヘッドホンから流しています。
それに、音楽を聴くのと同じくらい、音楽について書かれた本を読むのが好きです。
今年もいろいろ読みましたが、なかでもカンパニー社という出版社が音楽関連では今いちばんアツいと思います。
2021年末に刊行された『魂の形式 コレット・マニー論』は、フランスのジャズ / シャンソン史に多大な影響を与えながらこれまで研究が進められていなかったコレット・マニーという歌手について書かれた、世界初(!?)の研究書。
故・大里俊晴さんが日本で紹介してから長い年月を経て、ついにその全貌をまとめた書物が現れました。
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音から聴くでも、本から読むでもいいけれど、コレット・マニーという人物の物語やアティテュードを知ることによって、より音楽を聴く際に彼女の”魂”に近づけると思うのです。
この本に触発されて、ついコレット・マニーのCD-BOXも買ってしまいました。でも、Spotifyなど各種サブスクリプションでもほとんどの音源を聴くことができます。
カンパニー社の音楽本では『AA 五十年後のアルバート・アイラー』と『フィールドレコーディングの現場から』もとても面白く読みました。
前者はジャズ奏者についてさまざまな論者が寄稿したアンソロジー。後者はフィールドレコーディングを実践する録音家たちへのインタビューとコラム集。
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50年以上前のアーティストから最前線の表現手法まで、音楽の深い深い楽しみ方を教えてくれる書物ばかりです。
何より、どれも手ごわいテーマにもかかわらず”読んでて難しくない”ってのが良いなあと思いました。
レーベル名もちょっとトボけててかわいいですよね。カンパニー社。
奇跡的に手に入れた河原枇杷男全句集
詩 / 俳句 / 短歌 のジャンルでは、今年読んだ数は10冊にも届きませんでした。
短歌では川野芽生『Lilith』はまた読み返したくなる歌集でした。帯文やオンラインページでも引かれている <harassとは猟犬をけしかける声 その鹿がつかれはてて死ぬまで> には全身をぶった斬られるような衝撃を受けました。全体として古語を用いて少女的なモチーフを詠まれますが、こういう格調高い文学表現に弱いのです、わたしは。
俳句もあまり読めませんでしたが、たまたま河原枇杷男全句集という特級呪物のような本を手に入れました(すみません、これはただの自慢です)。
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何年も前から欲しくて、だけど世に出回っている本ではないので売られている場すら見たことがなく。ときどき思い出したようにメルカリや古書サイトで検索していたのですが、本当にたまたまAmazonのマーケットプレイスに出品されているのを見つけたのです。
賽銭箱はどこにありますか? 古書の神様は、地道な努力を積み重ねている者を見捨てはしないのですね。
ぶっ飛んだ俳句は本当に元気をくれます。『河原枇杷男全句集』からいくつか、わたしの好きな句を引用しておきます。
身の中のまつ暗がりの螢狩り
我ばかりに逢ふ蠛蠓のなか行けば
てふてふや水に浮きたる語彙一つ
月天心家のなかまで真葛原
身のなかの遠野分きく月夜かな
蝶卍今なにを神なし給ふ
魂魄も袂あるべし黒揚羽
深夜かなこころの周りの萍も
蝶昏れて水鏡に棲む貌ひとつ
枇杷男忌や色もて余しゐる桃も
影と来てもどらぬ影や墓参り
家霊みな嫗のかほや稲の秋
2023年の目標
2023年も通勤時間や昼休みを活かして、会社員らしく読書を続けていきたいと思います。ただ、あくまで量は結果であって目標ではないので、マイペースに読み続けていきます。
じゃあ何を目標にするかというと、これまで読みたい読みたいと思っていながら歯が立たなかった、ヘビーな積読をやっつけたいと思います。
メルヴィル『白鯨』
講談社文芸文庫の上下巻で持っています。
言っときますが、めちゃくちゃ面白いんですよ。めちゃくちゃ面白いんですが、いつも上巻の半分くらいで止まってしまいます。どうしてでしょう? 面白いんだから最後まで読めばいいのに。
名作の持つ魔力、あるいは”アメリカでもっとも偉大な小説”とやらが持つ威圧感のようなものが体力を奪い、ページをめくる手を疲れ果てさせるのでしょうか。
まるで鯨と立ち向かう船長そのものではありませんか。2023年はぜったいに読み切りたいと思います。
ジョイス『ユリシーズ』
おお、なんと無謀な。正直まったく読める気がしませんが、『ユリシーズ』は存在そのものがカッコいいので読んでみたいのです(面白そう、ではなくカッコいいのです)。
河出書房から出ていた柳瀬尚紀訳『ユリシーズ 1-12』はぱらぱらめくってみたところとっても読みやすそうだったのですが、残念ながら翻訳者の方がすでに他界しているので12章までしか読めません。これはだいたい全体の半分くらい。もうひとつの選択肢は、全4巻の集英社文庫版です。
迷いますが、基本的に外でちまちま読むスタイルなので集英社文庫で読み始めようと思います。どうしても立ち向かえなかったらひとまず柳瀬訳から挑戦するかもしれません。
トーマス・ベルンハルト
ベルンハルトは『私のもらった文学賞』というエッセー本が本当に好きで何度も読み返してるのですが、肝心の小説はあまりにも晦渋でぜんぜん読み通せたことがありません。
図書館で借りた『消去』は10ページくらいで諦めて返却、なんとなく買った『凍』もさっぱり読めないままスタックしています。
でも大丈夫です。高校生のころさっぱり読めなかったカフカやカーヴァーをいま楽しめるようになっているのですから、やがてベルンハルトも鼻歌まじりに読めるときが来るでしょう。
トマス・ピンチョン
いっぱしにアメリカ文学好きを自称するならピンチョンも読まないわけにいかなそうです。
前に文庫で出ていた『スロー・ラーナー』と『競売ランナー49の叫び』は一応読み通したことがあるのですが、すべて何が書いてあったのか完全に忘れました。
とりあえず100ページくらい進んでは止まり、最初から読んでを繰り返している真っピンクな装丁の『ヴァインランド』を読み終えてから、実家でホコリをかぶっている『V.』に挑みたいと思います。
同時代の小説
本も、音楽もそうなのですが、「名作」と呼ばれる作品が多すぎて同時代の作品に触れる時間がなかなかとれません。
本来、作品をリアルタイムに楽しむのは同時代を生きる者の特権のはず。もうわたしたちはサリンジャーにファンレターを送ることはできないのです。
出版文化を活発にするためにも、その年に出た本をその年のうちに読む気概を持たなきゃなあと思ったのでした。
といっても、読みたい昔の本が多すぎて、どうしても文芸誌とかまで買う気にはなれません……。なるべくWebメディアとかをチェックして、話題作は読むようにしたいと思います。健全なミーハー心は、大切。
2022年に読んだ本 全リスト
最後に、読んだ本をひたすら列挙して終わりにします。
★マークがついている本は再読、マークがないものは初読です。
読んだ順ではなく、作家とジャンルにわけてなんとなく並べています。
小説
カート・ヴォネガット・ジュニア - プレイヤー・ピアノ ★
カート・ヴォネガット・ジュニア - タイタンの妖女 ★
カート・ヴォネガット・ジュニア - 猫のゆりかご ★
カート・ヴォネガット・ジュニア - ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを ★
カート・ヴォネガット・ジュニア - 母なる夜 ★
カート・ヴォネガット・ジュニア - スローターハウス5 ★
吾が魂のイロニー カート・ヴォネガットJr.の研究読本 ★
カフカ - 審判 ★
カフカ - 変身 ★
カフカ - 城 ★
カフカ - 失踪者
カフカ - 流刑地にて
カフカ - 断食芸人
リチャード・ブローティガン - アメリカの鱒釣り ★
レイモンド・カーヴァー - 頼むから静かにしてくれ( I , II )
レイモンド・カーヴァー - 大聖堂
レイモンド・カーヴァー - 象
ダシール・ハメット - マルタの鷹
マルコムX自伝(上・下)
ブコウスキー - 勝手に生きろ! ★
ヘミングウェイ - 老人と海 ★
ボストン・テラン - 神は銃弾
ボストン・テラン - 音もなく少女は
ボストン・テラン - ひとり旅立つ少年よ
ヴィッキー・ストリンガー - ワケありってことで
J・G・バラード - 時の声
サリンジャー - フラニーとズーイ
サリンジャー - 彼女の思い出 / 逆さまの森
サリンジャー - このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年
サリンジャー - 大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア-序章-
サリンジャー - ライ麦畑でつかまえて ★
サリンジャー - ナイン・ストーリーズ ★
レイモンド・チャンドラー - ロング・グッドバイ ★
フィッツジェラルド - グレート・ギャツビー ★
スタージョン - コスミック・レイプ
シェイクスピア - 新訳 ハムレット
シェイクスピア - 新訳 オセロー
カミュ - 異邦人 ★
デパント - アポカリプス・ベイビー
デパント - ウィズ・ザ・ライツ・アウト
セリーヌ - 夜の果てへの旅(上) ★
ソローキン - 親衛隊士の日
ソローキン - 愛 ★
マーサ・ウェルズ - マーダーロボット・ダイアリー(上・下)
コナン・ドイル - 緋色の研究
コナン・ドイル - 四人の署名
アーノルド・ローベル - ふたりはいっしょ
ポーランド民話 - くった のんだ わらった ★
坂口安吾 - 不連続殺人事件
坂口安吾 - 桜の森の満開の下・白痴
坂口安吾 - 堕落論・日本文化私観 ★
藤枝静男 - 虚懐 ★
藤枝静男 - 田紳有楽 ★
柴崎友香 - 寝ても覚めても
柴崎友香 - ビリジアン
村上春樹 - 世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド( 上 , 下 )★
村上春樹 - ねじまき鳥クロニクル( 1 , 2 , 3 )
村上春樹 - 海辺のカフカ(上・下)★
安岡章太郎 - ガラスの靴 悪い仲間
町田康 - くっすん大黒 ★
吉田修一 - パーク・ライフ ★
長嶋有 - 猛スピードで母は ★
長嶋有 - ジャージの二人 ★
保坂和志 - 季節の記憶
町屋良平 - 青が破れる
桜坂洋 - All you need is kill
檀廬影 - 僕という容れ物
梶尾真治 - おもいでエマノン ★
秋山瑞人 - ミナミノミナミノ ★
秋山瑞人 - イリヤの空、UFOの夏( 1 , 2 , 3 , 4 ) ★
伊坂幸太郎 - オーデュボンの祈り ★
伊坂幸太郎 - ラッシュライフ ★
伊坂幸太郎 - 重力ピエロ ★
伊坂幸太郎 - アヒルと鴨のコインロッカー ★
伊坂幸太郎 - グラスホッパー ★
伊坂幸太郎 - 砂漠 ★
伊坂幸太郎 - 魔王 ★
青崎有吾 - アンデッドガール・マーダーファルス(1,2,3)
青崎有吾 - 体育館の殺人 ★
青崎有吾 - 水族館の殺人 ★
青崎有吾 - 風ヶ丘五十円玉祭りの謎 ★
青崎有吾 - 図書館の殺人 ★
青崎有吾 - 早朝始発の殺風景
米澤穂信 - 氷菓 ★
上橋菜穂子 - 獣の奏者 I 〜 Ⅳ
評論 / エッセー / ノンフィクション
ポーリン・オリヴェロス - ソニック・メディテーション
MOMENT JOON - 日本移民日記
ナット・ヘンホフ - ジャズ・イズ
中村隆之 - 魂の形式 コレット・マニー論
細田成嗣 編 - AA 五十年後のアルバート・アイラー
Weiss, Jason - Always in Trouble: An Oral History of ESP-Disk'
マーカス・J・ムーア - バタフライ・エフェクト ケンドリック・ラマー伝
リュック・フェラーリ - センチメンタル・テールズ
新蒸気波要点ガイド ヴェイパーウェイヴ・アーカイブス2009−2019
ディスク・ガイド・シリーズ アシッド・フォーク ★
能勢伊勢雄 - 新・音楽の解読
小方厚 - 音律と音階の科学
柳沢英輔 - フィールド・レコーディング入門
津田貴司 - フィールドレコーディングの現場から
デヴィッド・グレーバー - 負債論
デヴィッド・グレーバー - アナーキスト人類学のための断章
デヴィッド・グレーバー - ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論
マーク・フィッシャー - ポスト資本主義の欲望
マーク・フィッシャー - 資本主義リアリズム ★
マーク・フィッシャー - わが人生の幽霊たち
小野和子 - あいたくてききたくて旅にでる
植本一子・滝口悠生 - ひとりになること 花をおくるよ
ヤニス・バルファキス - 父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。
ユリア・エブナー - ゴーイング・ダーク 12の過激主義組織潜入ルポ
ジェフリー・ケイン - AI監獄ウイグル
津野海太郎 - 編集の提案
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二階堂奥歯 - 八本脚の蝶
大里俊晴 - ガセネタの荒野
伊藤公一 - なんだ、けっきょく最後は言葉じゃないか。
羽田康祐 - ブランディングの教科書
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