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書評。物語はこんな宇宙#17:小川洋子 「薬指の標本」





1.小川洋子という作家の生い立ちと背景


小川洋子は、1952年に岡山県岡山市で生まれた。祖父は金光教という新宗教の教師であり、彼女の家族は教会の離れで生活を営んでいた。

金光教は、江戸時代に備中国(岡山県西部)で始まった神道系の新宗教であり、小川洋子自身も金光教のホームページでコラムを連載するなど活動を続けている。

宗教教義をホームページから引用すると

金光教では、人間をはじめ、あらゆるものを生かし育む、大いなる天地のはたらきを「天地金乃神てんちかねのかみ」と、そしてこの天地全体を御神体として称え仰いでいます。

天地金乃神てんちかねのかみは、神様と人との関係について、「人間がおかげ(神の助け、恩恵)を受けないで苦しんでいるようでは神の役目が立たない」と言われ、「人あっての神、神あっての人」と教祖・生神金光大神いきがみこんこうだいじんに伝えられました。

この関係を「あいよかけよ」と呼んでいます。 天地金乃神てんちかねのかみは私たちの親神おやがみであり、子である私たち人間が神様とのつながりを持ち、人間同士互いに助け合い、幸せに生きてもらいたいと願われています

金光教ホームページより


これは私個人の感想であるが、この困っている人間を放っておけない神というのは人間味がある神だなと率直に思う。そして人間同士が互いに助け合う、ある種の大きなものの構成員であるという観点は彼女の文学を読み取るヒントであるように思える。

2.文学少女としての成長と作家への道


彼女自身は、教えのもと幼少期を頭ではなく心で感じ取りながら成長したとインタビューで振り返っている。

幼い彼女の楽しみは毎月家に届く児童文学のダイジェスト版であり、図書室にもよく通っていた。シートン動物記やファーブル昆虫記などに親しんだ文学少女だった。

高校は、岡山朝日高校に進学し、弓道部に入った。また本格的に文学を読み漁った時期でもあった。中原中也の詩集や川端康成、太宰治など日本文学に多く触れたが、感銘を受けたのはアンネフランクの「アンネの日記」であった。

読書を重ね文学の道を志すようになった彼女は、早稲田大学文学部に進学を決め、東京に上京し岡山を離れた。そして上京後は、金光教が持つ東京学生寮に住み、その一軒家で女子学生5人の生活を送った。

小川自身は、学生時代を振り返り、「私たちがこの生活で分けあったのは金や物だけではなく、それは時間だった」と答えている。

早大在学中は、フランス文学者で芥川賞に2度候補になったこともある平岡篤頼に書いた作品を見てもらったり、四年生の時に海燕新人文学賞(現在は廃止)に応募したが一次で落選し、結果を出すことはできなかった。

3.デビューから芥川賞、海外へ


彼女は、その後川崎医科大学の秘書室に就職し、2年後にはエンジニアの夫と結婚する。そして結婚を機に退職し、彼女は創作に熱心に取り組むことになる。そんな彼女の夫は最初のうちは彼女が何をしているのか知らなかったという。

そして彼女は、大学の卒業論文として提出した作品の改作を行い、1988年にこの作品で再び海燕新人文学賞に応募した。そして今回は見事受賞し、「揚羽蝶が壊れる時」として掲載された。

そして1991年には「妊娠カレンダー」で芥川賞を受賞する。私は、このタイトルを初めて見た時に無機質さに驚き、何の作品だろうと感じたことを覚えているが、あらすじを述べると、妊娠した姉を持つ女性の心理の揺らぎを日記形式で書き綴ったものである。

彼女の作品で一番知られているのは1回目の本屋大賞を受賞し映画化した「博士の愛した数式」だろう。新聞小説として掲載され、谷崎潤一郎賞を受賞した「ミーナの行進」も愛されている。

また、近年日本文学が海外でも評価を受けるようになってきたが、彼女のSF小説のスタイルをとった「密やかな結晶」が翻訳され「Memory Police」として国際ブッカー賞にノミネートされ話題になった。

4.作品のあらすじ


ジュース工場に勤めている私は、ある日事故により左手の薬指に怪我を負い少し欠けてしまう。私は工場に居づらくなりやめてしまうが、街に出たある日、不思議な建物の門の前に求人のチラシが貼ってあるのに気づく。ベルを押し尋ねると、その建物は、かつて女子寮だった建物を改造した標本室であり、人々の依頼に合わせあらゆる標本を作っていると男性が答える。こうして標本室に事務員として雇われた私は、女子寮から住み続けている老婆、そして彼ととも依頼人に標本を作っていくことになる。

5.作品の特徴:静謐さと硬質な世界観


最初に小川洋子の作品を読むと感じることになるのは、その文体やそこから生じる落ち着いた雰囲気である。彼女の文章は静謐というか硬質なガラスのような雰囲気をもつ。

みなさんにも、直接文中で性格が優しいとか、世界は怖いとか言及されていないにもかかわらず、それらの雰囲気を作品から直に味わった経験があるだろう。

しかし考えてみればこの経験は謎である。この語られずとも文から滲む成分の正体はなんであろうかと。

語り手の人格に関してみれば説明はしやすいかもしれない。

語り手には大きく分けて2人いる。登場人物か作者だ。このどちらかが語ることによって私たちは内容それ自体と、語っている語り手の性格や考えの癖、何に対して焦点を合わせる人間かがわかる。

語れば語るほど情報をばら撒くわけで、それを辿れば、物語のテーマに行き着くことも多い。

以前の書評で取り上げた太陽の塔のような主人公の自意識がひねくれ作品だったりすると、語り手がうまくハマれば物語は抜群に面白くなる。語る人間が面白い、ならば作品は面白い、まさしく語り手=世界といってもいい。

しかし今回「薬指の標本」で注目するのは人ではない。
なぜなら当然のことだが作者は、登場人物を創り出すと同時に世界も創り出している。

登場人物は光り輝いているが、それでも登場人物はそもそも世界の成り立ちからは逃げられない。世界の中に彼らはいるのだ。

本作の登場人物は全員個性に満ちており、標本をつくる上司を筆頭に、依頼人、アパートに住む老婆と全員にユニークな魅力がある。

だが今回の作品の静謐さは、それぞれの登場人物それぞれ単体が発しているのではなく、世界を一体となって覆っている膜のようなものだ。

本作は作品構造的には、主人公が上司の謎を考える展開で話が進んでいく。このミステリーさは、言い換えると状況が不確定でわからないということだ。

不安定な状況はそもそもが静謐とはかけ離れるはずだ。なのに作品の雰囲気は全く損なわれない。

さらには象徴的な魔法を帯びた靴も登場する。上司が主人公にプレゼントし、彼女の足にぴたりとはまって吸い付いていく。これもオカルトいうか幻想というか謎である。

こういった不思議な状況に対し個性ある登場人物が応対する。しかしそれでも纏う膜、すなわち作品の土台は全く揺れないのだ。

疑問に思うのは、なぜここまで作品世界が盤石なのだろう。この動じなさ、それは登場人物たちが世界と安定的な関係を持っていることにあると思う。

彼らは、世界から役割を与えられている。そして世界がどうあるか、どう解釈すべきかも与えられている。
この約束から出発するから、この作品は静謐であるのだ。彼らには共有する安定した道理があるといってもいい。

登場人物たちは、その都度作中の状況に対し解釈をし、説明もする。不思議な靴に対して靴磨きの依頼人は考えを述べたりもする。
ただそれはキャラクター個人の驚きや探究以上に、もとからあった世界の役割について彼ら自身が仲間同士再確認し合っているように思える。

そして標本室も、世界の役割を果たす以外のものではない。そこは突き止めれば、運営も謎、経済的にも謎、個人の目的を超えた謎の施設である。しかし依頼人の思いを標本にするという役割を根拠に確かな実体を持ち、私たちを納得させる存在である。

ここまで書いてきたが、私の書き方のせいでロボットみたいな登場人物が役割を果たすだけの動きのない小説のような印象になってしまったかもしれない。

もちろんそんな小説ではないし、本作品の凄いところは、静謐な雰囲気が築かれた幻想小説であると同時に、個性ある登場人物たちが登場し謎が展開するという、読ませる小説であることだ。

ならば特筆すべき点は、静謐な雰囲気をもち、尚且つ話がよく作られている、この両立性なのかもしれない。

彼女の作品を読んだことない人は、せびこの不思議な魅力について考えて欲しいと思う。

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