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一度誕生日を忘れられた話

親が子供の誕生日を完全に忘れる


小2くらいのころ、一度親に完全に誕生日を忘れ去られたことがあります。
ご馳走も、ケーキも、お誕生日おめでとうも何もなかった。
ただ、幸いだったのは、毎年プレゼントを買ってくれていたのは両親ではなく祖母だったため、祖母にはちゃんとプレゼントは買ってもらったし、祖母は誕生日を覚えていてくれてお赤飯を炊いてくれました。

誕生日を過ぎてから、母親に「なんで誕生日をわすれたの?」と聴いたところ、「あんたの誕生日は年末年始の忙しい時期が終わってからだから(一月末)忘れやすいのよ。」と言われました。
誕生日を忘れたことに関しては謝罪も何もなかったなぁ。

一応忘れ去ったのはその年だけで、他の年はちゃんと祝ってもらっています。

ちなみに私が大人になってからは、私が子供の頃誕生日を忘れられたことをショックに思っていたことを親に伝えたことと、大人になった私は親の誕生日を毎年ちゃんと忘れずに祝ってプレゼントもあげたこと、小学生の誕生日を忘れるとか親としてやったらいけないことである、ということに母が発達障害支援の施設で働き始めて気がついたこと、父は仕事が大変じゃなくなり余裕ができたせいか、母から私が根に持ってることを聴いたからかわかりませんが、両親共に、誕生日をちゃんと覚えていてくれて、祝ってくれるようになりました。
子供の頃より今の方が全然祝われてる感じがします。


誕生日会をしてもらえない

あと、子供の頃私は自分の誕生日会というものをしてもらえませんでした。
私、すごく誕生日会をしてほしいタイプの子供で、何年も誕生日会をしてほしいと母に訴え続けていたのですが、結局母が自分の中のいいママ友の子供二人と私との合同の誕生日会というものを一回開いただけで、私が主役の誕生日会というものは行われることはありませんでした。

誕生日会が却下された件について、大人になってから母親に話を聴いたところ、祖母との兼ね合いで、うちに他者を招きたくなかったから、だそうです。
うちは同じ敷地の中に、私たち家族の家と、祖母の家が庭を挟んで別々に建っていました。
どうやら、母は祖母がよそから人が我が家にくることを嫌がっていると感じていたらしい(本当にそう思っていたのかは謎ですが)
でもそんな理由を子供にいうわけにはいかないので、ダメだからダメ、うちはうち、よそはよその一点ばりをしたらしいです。

この辺りは我が家のわかりにくかったところで、子供の目から見ると、母も祖母も二人で笑顔で玄関で立ち話をしたりしていましたし、全く仲が悪いようには見えていませんでした。
けれど、実は祖母がかなり母が嫁に来た当初からこちらの家族の生活に干渉をしていたようで、母は祖母がこちらの家の何かに関わってくることに警戒をし、監視されているような気持ちであったようです。
祖母も祖母で、子供のいないところでさりげなく小言を言っていたようなので、神経過敏気味になっていた母としてはそういったちょっとしたことでも嫌だったみたいですね。

誕生日会に限らず、母の子供に対する理不尽な怒りや禁止事項は、結構祖母が絡んでいると発現しているところがありました。
ただ、母が日頃からあまりにも些細なことで起こるために、子供たちは祖母の家に逃げ込むことが習慣化しており、そこもまた母の気に入らないところで、関係が捩れる原因にもなっていたようです。
ただ、そこは、祖母も「(母は)もっと子供と遊んであげればいいのに」と言っていたのですが、母は多趣味で自分の好きなことはよくやってはいましたが、子供とはあまり遊んだりしない人でしたし、子供自身のことに対して興味が偏っていたところがあるので、しょうがない気もします。


友達を呼ぶと掃除をしなければいけなかった話

家に人を招く話ついでに、小学生の頃、私が友達を家に呼んで遊ぶ場合、友達がくる前に必ずトイレ掃除をしなければいけない、という決まりと、友達が帰ったら使った食器類は全て自分で洗い、掃除機で使った部屋の掃除をしなければいけないという決まりがありました。

これも、トイレがいつも綺麗に掃除されていて、人を招く際のマナーとしてトイレ掃除を課していたのであればまだわかるのですが、母親はあまりトイレ掃除をする人ではありませんでした。トイレはだいたいいつも汚かった。
なのに、なぜ友達を呼ぶ時だけ、トイレ掃除をしなければいけなかったのか、汚いから洗っておきなさいということだったようですが、なんだか腑に落ちない部分がありました。
あとこの決まりは私だけに適応されていたルールで兄には適応されていませんでした。ここも腑に落ちない感じでした。
友達が帰った後の片付けと掃除が結構めんどくさくて、その文句を毎日宿題で書いていた担任の先生との一言日記に書いた思い出があります。

うちが他の友達の家から遠かったこともあり、私が自分の家にいたくなかったこともあり、あまり家に友達は呼びませんでしたが、他の子がおそらく私が帰った後に掃除などはやっていないだろうことは知っていたので、なんで私はこんなことをしなければいけないんだろうと子供心には思っていました。

まぁ、私も母親の負担を軽減とか、考える子供でなかったので、そう言った気の利くタイプではないから文句が出るというのもあるのかもしれません。
でも、母は専業主婦だったし、いつも家で自分の趣味の編み物をしたり、裁縫をしたり、刺繍をしたり、ママバレに行ったり、エアロビやったりしていたので、なんともいえないです。


この出来事がプラスになったこと


誕生日の件に関しては、この経験のおかげで、基本的に友達の誕生日とか意識的に祝うようになりましたし、子供達の誕生日は絶対に祝うようになりました。(ただ、それが嫌だったんだということを、ちゃんと把握するまでは、人の誕生日に興味もなかったですし、かなり蔑ろにしていました)
あと、私の親は子供達のプレゼントを自分で買ったりはしなかったので(全て祖母が買っていた)、私はちゃんと自分で考えてプレゼントを買おうと思って、いつも人にあげるプレゼントを自分で選んでいます。それは相手を見ていなければ難しいことで、大変であることを知っているからです。なので、ちゃんと相手に興味を持って接することができるようになった気はします。

掃除に関しては、それがあったからというわけではありませんが、トイレ掃除をすることで、トイレが汚いことを知っていたし、嫌だなと思っていたのでトイレ掃除をちゃんとするようになりました。

子供がいて、もし友達が遊びに来た子供達の食器の片付けなどはややってあげると思います。反面教師としてそういう大人になれたからよかったのかな。


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