尾崎豊を崇拝する人間は過去に幸福とは何かを考え、やさしさとは何かを考え、君の佇まいはどうしてこうも綺麗なのだろうと想い、荒れ果てた檻の中で怒りと狂乱の境地に立ったことがある人たちだと思う。言葉にできない苦しみを詞にしたのが尾崎豊だった。哀しみに儚さが混じり合えば美しさになる。尾崎豊はそれを体現した。 「シェリー」音楽を追求し詞にしてきた尾崎豊が残した曲だと思うと泣きたくなる。鬱屈と葛藤を形にするのが本当に上手。「自由への扉」明るい曲調から成る端的なメッセージ。美しい
とんでもない映画を見た。 窮屈な世界から蠢く2人の少年は俺らがどう見ても美しかった。すべてが繋がってるお話が好き。ごめんねって抱きしめたくなった。自分を軸に生きてる人間には分かるはずもない卑屈さ。細やかな憎悪を俯瞰して見たとき、俺らがどう見ても彼らの存在は"怪物"そのものだった。初めて映画でこんなにもゾクゾクした。儚い子どもは新しい思考を湧出させてくれるなと思った。現実でもフィクションでも。視聴者に考えを巡らせる作品が好き。生涯明かされることのない、創作者に秘められ
瞳と瞼の影を、じっと見つめて得たものは、その場限りの偽りでした。白肌に触れるたび身体に走る電流の余韻は冷めることなく、今も尚私の心を苦しめます。記憶は、人を悦ばせ哀しませる、非常に鋭利なものです。日月の経過により蓄積される感情と共に生きていくしかないようです。涙を流しても感嘆しても、生きていくしかないようです。 忘却することは、ある意味幸せなことなのかなと最近思うようになりました。ただそれは、傍観者(いわゆる観客)側の意見でしかなく、いざ舞台に立ってみると、本人にし
明かりが灯った空間を通り抜けると異世界へ来たかのように景色が変わる会場は、うっすら視界を遮るスモークと照明を知らない客席、待ち望んでいた瞬間がやってきた高揚感と人混みで感じる臨場感。ひとつのものを愛する人間だけが集まる夢みたいな場所で歌を聴く喜び。 装った社会人でなくて、丸裸な人間が見れるライブハウス。全員楽しむことだけを考えて、感電したかのように騒ぎ合ったあと、蒸し暑い四角の中で汗が滲んだTシャツを肌に擦り付ける。もうなんだっていいよと、君が言う。もはや音楽と表裏
小学生の頃から抱きしめていた好きを、私よりも抱きしめてる𝐡𝐮𝐦𝐚𝐧🧝♂️(ヒューマン)に出会った。 同年代でおなじものを愛してる人が本当にいなくて、自分だけが良さを知ってるんだ!と思い上がっては共感してくれる人がいないことに寂しさを覚える、、、みたいな循環が数年前から私の脳内で密かに行われていた。 最初からこの生き物と話すことになれば離ればなれになるとき、ひどく悲しむ自分の姿が想像できたので、少しづつ会話をして生活の糧にしようと心掛けた。月日が流れ、最近はよく𝐭
我が家に革命が起こりはじめた。古びたキタナイ冷蔵庫が捨てられて、なんともまあ綺麗な、銀色BODYの、新しい冷蔵庫が家にやってきた。リビングは見違えるほどにすんばらしい。すごく綺麗です。それから毎日、嬉しくてダンスしてる。頭振りながら歌とかうたう。 最近18歳になった。何かをやりたいという情熱だけが生きてて、自分は死んでいるみたいな毎日。好きなことをしているときと、ご飯を食べているときは生きてる。それ以外はまあなんとも悲しげな、平凡な、空虚な日々です。だけどそれを楽しもう
目の前を永遠に蝿が横切り、家電やドアノブを素手で触ることさえも躊躇する、牢獄のような家で生活を送り続け、手にしたやさしさは時に自分を地獄へ突き落とす兵器となって脳みそをうろついていました。助けを求めることができないと気づいたとき、人は空虚の中で哲学を見つめ、自分の存在意義を見出そうと努めます。愛とはなにか。生きるとはなにか。おれを殺した、お前とはなにか。感情という切り札を消費しながらおこなうコミニュケーションがやがて憎悪を生むきっかけとなるのなら、ドンタコスを食べてメキシコ
宮本浩次さんが存在しない世界に辿り着いちゃう事実に畏怖されて、どうすることも出来ずに、詞を憶えようとする。マシュマロが乾燥してカチカチになるのを眺めてるみたいな下ない時間とずっと戦ってる。自分のために書いてくれたんじゃないかと錯覚するようなすんばらしい歌詞が、世界中に広まってたくさんの人に支持されてることが嬉しい。自分にとっては抽象的だけど、世間から見たら具体的だった。エレファントカシマシさんの曲の魅力は、繊細なところだと思う。「ドーン!」が、「漣(さざなみ)」になる。この
持て余す程の時間を手にした途端、抱いていたはずの欲望はあっけなく姿を消して、その場凌ぎで息をするような生活を繰り返すようになった。スーパーヒーローになりたいと前々から心の中で思っていたのに、いざ力を手に入れるともう夢が叶ったかのような優越感に浸ってしまう。その癖なにもせず、時間が過ぎて、もう自分はスーパーヒーローになれないのだと気づいたとき、周りは皆、スーパーヒーローになっていた。溶けた歯と狂った思考回路はまるで獣のように見えて、これ以外の甚だしい人間は在りはしないようにも
17の身体は未だ憧れに熱を帯びていて、初夏の風にふかれて揺れる緑葉は煌びやかに陽を集めていた。坂をのぼった先に見えるいつも通りの景色に安堵したその刹那、ビリビリと体じゅうを駆け巡る緊張の2文字が、時間をかけてゆっくりと消えていくことに安心を覚える。我々はそうして段々と大人になってゆくのだと思う。確実に階段をのぼっているなと感じる瞬間は誰にでもあるけど、繊細に生きるを続けているから俯瞰的に考える余裕がない。自分が思ったこと考えたこと伝えたかったこと、ぜんぶ形に残って雲みたいに