風にのれば

   小学生の頃から抱きしめていた好きを、私よりも抱きしめてる𝐡𝐮𝐦𝐚𝐧🧝‍♂️(ヒューマン)に出会った。 同年代でおなじものを愛してる人が本当にいなくて、自分だけが良さを知ってるんだ!と思い上がっては共感してくれる人がいないことに寂しさを覚える、、、みたいな循環が数年前から私の脳内で密かに行われていた。

  最初からこの生き物と話すことになれば離ればなれになるとき、ひどく悲しむ自分の姿が想像できたので、少しづつ会話をして生活の糧にしようと心掛けた。月日が流れ、最近はよく𝐭𝐞𝐥𝐞𝐩𝐡𝐨𝐧𝐞😆(テレフォン)をしている。初めて話した日、お互い「時間が止まればいいのに」と言った。それは本当の意味で、間違いなくふたりは、共に"今"を抱きしめていた。想像してクレメンス。君が好きなアニメがめちゃめちゃマニアックで、クラスの誰も知らなくてテレビでもやってない。無断転載された動画のコメント欄には自分と同い年ぐらいの子が残した愛溢れる言葉がのってる。でも当たり前に現実ではそんなキラキラとした人物は登場せず、辛いことがあった夜更けもそのアニメを見て独り涙を流しながら耐えた。試験の前も主人公の言葉を思い出したりして頑張った。ずっとひとりで愛撫し続けた。そんなとき君は、同じ境遇の𝐡𝐮𝐦𝐚𝐧🧝‍♂️と出会ったのだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!間違いなく私は今、人生で一番濃い時間を過ごしてると思う。ただ真っ直ぐに「生まれてきてくれてありがとう」と言い合った。何もかもがすごく綺麗だった。途端に視界が煌めきだすけど、いつかこの喜びは思い出となって、自分自身を殺すのだと知る。超越した感情のすべてが駆け巡って、ひとつの哀しみが生まれることに落胆する。何も失いたくない、目の前のものを信じ続けたい、今が過ぎてくことが一番辛い。小さな徳を積んで完成した幸せがいつか無くなるなら、ない方がいい。刹那に朽ち果てて、美しい記憶のまま終わりたい。とすら思った。風呂に入り、服を着て、満たされた腹を横に倒し、寝床で趣味について語り合う。めちゃめちゃポジティブな意味で、今死ぬのが1番いいのかもしれないなとか考えた。また生活を送れば雑念がそんな気持ちを拭うのだろうなと思ってその日は眠ったけど、次の日にも何故だか視界は輝きを失うことなく自部屋を映していて、「やっぱり死んでおけば良かった!!!!!!!!!!!!!!!!!」と後悔ではない後悔を感じながら意味もなく朝ごはんをチビチビと食べた。

  綺麗な言葉も人の感性も、全てが生活を彩る花になってる。執着するとその花は枯れ、やがて捨てられる。私の生活を数秒でも彩ってくれた花たちを並べて、モザイクアートを作りたい。この世の中の、形に残るものだけを信用したい。哄笑する2人を収めた写真とか、喜ぶ顔を想像しながら選んでくれたプレゼントとか。うごぉ、何も     失いたく

           ない…        
    


                     

  


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