どっちでもよくない
どっちを選んでも同じ。最近よくそう思う。
きっかけは1年ほど前、思い悩んでいたころに先輩から掛けてもらった言葉だった。
当時のわたしというのはすこぶる調子が悪く、眠れない食べられないいっそもう生きられない、そのようなところまできていたのだった。わたしを悩ませたものの一つに「外食できない」というのがあり、こうなると人と会う約束が途端に崩れる。だれかと会う時、一番多いのは「ごはん行こ~」という触れ込みであるせいで、私は人と会うことも億劫になっていった。
この頃のわたしにとって「人と会えない」というのはずいぶんと大きな問題だった。好きな人たちにも会えないのなら、一体なんのために人生があろうか?とまで考えが行きつき、狭い世界の中で絶望したのである。
これを涙ながらに先輩に相談すると(ほんとうに恥ずかしい、でもほんとうに感謝)、「どっちでもええやん」と言われた。
飯なんか食わんでもええ、治そうとするからおかしくなる。ちょっとぐらい食わんくても大丈夫。ちょっとぐらい人と会わんくても大丈夫。え、今禁煙してるん? 禁煙してもせんでも一緒。どっちでもいい。どっちでも同じ。
そしてもう一度、「治そうとするな。治そうと頑張るな」と言われた。わたしはそれもそうだと思い、しんどくなった時には「どっちでもおなじ」と自分に言い聞かせた。
外食恐怖症で適応障害で鬱気味のわたしだったが、この言葉には何度も救われた。元に戻るには時間がかかると思っていたのに、症状はすべて一年もかからずなくなってしまい、今は元気に暮らしている。
・・・それで思うのだけど、「やっぱりどっちでもよくない」って。笑
どっちでもいい、どっちでも同じ。って思うことに救われたからわかる。
どっちでもよくない、こともある。
どっちを選んでも同じだとしても、こっちを選びたいと思うことがある。しんどくなってもなにかがすり減ってもたとえもう一度生きることがいやになったとしても、やっぱりわたしはこっちがいい。
そう思えるものがあること、ほんとうに幸せだと思う。
たいがいのことは気にしないよ~って言う、こだわりのない人にすごく憧れていた。なんか包容力が高いっぽくて、かっこいいと思っていたのだ。でもわたしは、そうはなれない。
たぶん思い悩む人って、めちゃくちゃ考えたり過敏だったりすると思う。最近ではHSPと言うのかな、わたしも漏れなくそうなのだけど、それはまじで才能。たいがいのこと気にしないこだわりないのも才能、だから逆も然り。
どっちを選んでも最終的に同じところに行きつくのでは、という理論もわたしの中には仮説としてあるので、そんな中でも「どっちでもよくない」って言えるのはすごいことだと思って。だって結果は同じなのにわざわざ選ぼうとするなんて、本能だろうがなんだろうがエネルギー使ってるわけだから。
しんどくなった時は「どっちでもいい」と言い聞かせて、言い聞かせ続けて「どっちでも・・・よくない!」ってなった時、それを大切にすればいい。それが大切にすべきもの。