「正義とは何か」神島裕子著 書評
<概要>
ロールズ「正義論」を訳した著者が、ギリシア哲学を確認した上で、6つのアメリカ政治哲学(リベラリズム、リバタリアニズム、コミュニタリアニズム、フェミニズム、コスモポリタニズム、ナショナリズム)をジャンル別にわかりやすく解説した著作。
<コメント>
後半のフェミニズム・コスモポリタニズム・ナショナリズムの議論は、私の知識不足・理解力不足であまりよく理解できませんでしたが、前半の3つの政治哲学に関しては、より深く理解するには、ちょうど良いボリュームでした。
ちなみに最初のソクラテスに関する解釈は、最新の解釈ではないので、改訂時に見直したほうがいいのではと思います。具体的には、ギリシア哲学専門家の納富氏曰く、「無知の知」は「不知の自覚」であって「無知」の境地をソクラテスが主張していたわけではない、という理解です。「知っていることは知っている、知らないことは知らない」と明確に認識できる知性のことをソクラテスは主張しているのですね。
ソクラテス曰く
それぞれの理論は、先に展開したブログで紹介したので省きますが、本書で興味深かったのは、ロールズ(リベラリズム)もノージック(リバタリアニズム)も、サンデル(コミュニタリアニズム)も、みなさん晩年は、さまざまな他学者からの反論を受けて、現実的な理論に軌道修正している点。
尖った主張では墓穴を掘ってしまうので、より具現化しやすいマイルドな主張になっていくのは、必然的なようです。つまり宗教同様、アメリカ政治哲学の場合、原理主義ではツッコミどころ満載になるわけで、何事もアリストテレスが訴えたように「中庸」が落とし所なのかもしれません。
例えばリバタリアニズムでは、福祉リベラリズムと称して「最小限度の生活保障は認めるが、所得格差の是正それ自体を目的とした再分配は認めない」として、ほぼロールズ流のリベラリズムに近い主張になっています。
ロールズも正義論は政治的な領域(公共的空間)に限定した思想であって、コミュニタリアンが重視している物語(伝統や文化、宗教など)は、私的空間の領域として肯定し、政治的領域とは別物として認識しているようです。
サンデルも同様に、複数の物語の共存は当然であるとして、一つの物語が他の物語を排除するようなこと(=原理主義)は否定すべきと主張。
個人的に興味深かったのは、コミュニタリアン、アラスデア・マッキンタイアの主張。
ただ、これに反論して、アマルティア・セン(ノーベル経済学賞受賞者)は、自分が生まれ育った環境における文化や伝統は、自身にこびりついて離れられないものではなく、自分の自由意志によって、いかようにも変えられる、として人間は物語を選択できる可能性を持つと主張しています。
いずれにしても物語(私にとっての個人の虚構)は、誰も何らかの物語を皆まとっているのであり、それを外から目線で相対化していくことが哲学によって可能だということは、改めて認識した次第です。
*写真:長野県安曇野(2022 年6月撮影)
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