社会貢献43
今回のテーマは、『平和』。
昨今、世界各地で未だなお続いている戦争や内戦。
今だからこそ考えたい。
『平和🕊️のために出来ること』というテーマで今回は、平和🕊️について考える機会を届けたいと思い、発信しています。
♦️前回の記事はコチラ⬇️♦️
広島平和祈念公園を散策
未だなお戦火が絶えない、この時代において、日本語教師として何が出来るんだろうと、広島平和祈念公園、原爆ドームを訪れながら、感じる今朝。
埼玉大学に留学していた留学生がモンテネグロの首相に就任したニュースを見て感じたのが、「世界を平和にすることは難しいかもしれないけど、世界を平和にするための一歩を働きかける何かは出来るんじゃないかな」と感じる。
日本語教師は多国籍の人が集う時間であり多国籍の人々と関わる数少ない仕事でもあるため、「お互いの良さを知ること」を大切に
自分が日本語を教えたなかの学生が、もしかしたら国際政治の世界で活躍するかもしれないと考えると自分に出来ることは1%でもある限り、頑張らないと!
平和のために出来ること
「平和」を作り出すことは不可能に近いぐらい難しく簡単なことではない。
ただ、「争いや憎しみ、憎悪」など戦争の根源ともなるモノは僕らの意識が同じ方向を向いてさえいれば、一時的にはなくすことができる。
戦火が絶えない、この時代において一番大事なのは、国際社会、特に常任理事国と核保有国に対して「核爆弾を使用することで、どんな被害が出てしまうのか。」を訴え続けることが重要。
そのためには、様々な国の人に、まずは広島を知ってもらえるようSNSや国際交流イベント、自分が海外行って仲良くなった人に広島について日本について紹介したり、その小さな行動をし続けることで
そのなかの誰かの心には同じ思いを持った人が生まれると思うからこそ、語学学習と国際交流は継続していきながら不可能と言われても「核なき世界の実現」に向けて、今は亡き人のためにも発信し続けていきたいと
平和祈念公園や原爆ドーム、原爆の子の像、原爆死没者慰霊碑を訪れながら、そう強く感じた。
平和への感謝
当たり前の日常って、当たり前ではなくて、その裏では犠牲になられた先人たちの明日を生きたくても生きられなかった人たちの想いが残されているというのを考えると涙が止まらない。
忘れてはいけない。
命をかけ敵と戦った若者たちが
いたことを。
忘れてはいけない。
我々に時代をつなぐために
沢山の方々が命を
落としたということを。
絶対に風化させては行けない。
絶対に美化してはいけない。
空や海に散っていった彼らに
いつかちゃんと胸を張って
我々が貴方達の願った平和な世になったと言えるその日まで。
我々が生きて彼らの分までしっかりと、この時代を生きるのだ。
コテツ 戦争の悲惨さを発信するYouTuber
平和の大切さ、戦争が齎す残酷さを発信し続けるコテツさん。
非常に分かりやすい説明がされており、中学生や小学生にも分かるように難しい言葉は使わず、動画投稿されている点も彼の優しさを感じます。
幾つか動画を見てみましたが、過去に行ったことがある場所でも、『え?そんなことがあったの…』という歴史も知れるため
自分のためにも、戦争を知らない人に伝えるためにも、是非、多くの方に視聴して頂きたいと思います。
♦️YouTubeはコチラ⬇️♦️
あの花が咲く丘で君とまた出会えたら
今ある当たり前な世の中って、僕らと同じ年齢の若者が命を懸けて国を守るために命を捧げた未来と思うと、
「今を生きる」ということが、どれだけ重要なのか、また今日を生きたくても生きられなかった人たちに対して恥じぬよう「感謝の気持ち」を忘れず、生きていく使命があると映画を通じて感じた。
僕らのように死ぬほどの恋をしたくても、これ以上ないぐらいの恋をしたくても戦争が理由で出来なかったり
夢や目標、なりたい将来像がある若者が命を引き換えに散っていた過去を絶対に無駄にしてはいけないし
戦争がなく笑顔が絶えない平和な世界を、未来永劫続けていくためにも、より多くの人に伝え続けていかなければならないと強く感じた。
今まで色んな作品を観てきたけれど、これほど泣いたのは初めてかもしれない。ハンカチが涙で溢れるほど泣けた。
特攻の母:富屋食堂
来年、鹿児島にある知覧特攻平和会館に行った際に、また改めて詳しい説明を述べたいと思いますが、今回は多くの人に知って欲しいという名目で話していきます。
特攻の母と呼ばれる鳥濱トメさん(享年89歳)。
太平洋戦争末期、10代から20代と非常に若い若者たちが沖縄へ出撃しに行き、片道の燃料と飛行機に爆弾を積み、敵軍の空母に体当たりをする『特攻作戦』。
トメさんは隊員らをわが子のように慈しみ、私財を投げ打ってまでも親身に接していた。
※画像のほど、お借りしました。
若くして日本を守るために海へと散っていった特攻隊員に対し、平和への感謝は勿論ですが、この事実があったということを絶対に風化させてはならないものです。
知覧は、大東亜戦争末期、沖縄に上陸した米軍に対し、 20歳前後の若者達が250kg爆弾を飛行機に積み、 敵艦に体当たりをしていった「神風特攻隊」陸軍最大の特攻基地となっていました。 軍は、特攻隊員の食事などの場として「富屋食堂」を軍の指定食堂としました。 ここでは、食事の他、身の回りのお世話などもされていました。 富屋食堂は現在、検閲を通っていない特攻隊員の遺書や写真を多数展示している 「ホタル館 富屋食堂」という資料館になっています。 資料館では、特攻隊員の遺品や遺書が展示されております。
♦️参照記事⬇️♦️
平和とSDGs
最後に、平和関連の記事として、2021年にオンラインで過去に登壇した時の内容を綴った記事を乗せておきます。
今日は以上です。
次回の社会貢献44は、今回とはガラリと違ったテーマで話していきます。
最後まで読んで頂き有難う御座いました。
今後とも宜しくお願いします。