【詩】内省
目を薄く閉じて深呼吸を繰り返していると、どこからどこまでが自分なのかわからなくなって来る。そこに在るものがいつも自分を形成するから、どれもこれも大切だと感じる事が当たり前だと考える様になった。
愛すれば愛されて、嫌えば嫌われて、知らず知らずのうちに、その痕跡は深く心へと刻み込まれ大概は人生へと流れる様に滲み出る仕組みだと理解する。
それが、どんなに嫌でも人は外に出て内省しなければならない。そう教え込まれて来たから、周囲もそうしているから、そうしなければならないと思い込んで居た。
でも、そうでもしなければ、ここに居る意味がないのだろうか。解って貰えないなら自分の中だけで生きても良いのかも知れないとも思えた。
一生懸命に冷静に内観して、この身が此処に有る意味や意思を理解するのにそれ位割り切るのも大切なのかも知れない。けれど、その意図は有るというものを知るだけで、少しだけ孤高でも儚くて小さな意識に止まる。結果としては同じ事でも、やはり色んな道を通って色んな人を観て、自分とは違う自分を発見するのも、内側だけでは見つからないあり方を感じる事が出来る良い機会である。
内外共に深く考えずに程よく感じ取り組み上げて行けば、そのうちに何か外的に大成する事もあるかも知れない。決まった時を繰り返している訳ではなくなり、次第に自分の刻を刻んで、いつしか自分というものも、この世界に馴染んで行ってゆっくりと消えて無くなり、その事も全てが忘れ去ってしまったとしても生きた証にはなる。その後、残るものも他者にとってはどうでも良くても、大切な人には大切であり続けるかも知れない。私は、それを知る為に生きて居るのだろう。