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つけものこわい

こんにちは、グルンハールです。


ひとりでふらふら食事に行くことも好きです。


ほとんどの場合、食べることにとても集中していて、美味しいものを食べていると、しあわせが表情に滲み出てしまうくらいで、たまに遠くの席からでも視線を感じる時があります。


今回は、いろんな意味で、本当にあったこわい話をします。おばけは出てきませんのでご安心ください。




「地域の人が作ったのだから食べなさい」

当時、私は11歳、小学6年生でした。


自分が通っていた小学校と、近所にあるもう1つの別の小学校との共同開催による、林間学校行事で長野県のとある場所に集団宿泊に行きました。


季節は夏で、期間は1週間くらい。山の中にある、廃校になった建物をレクリエーション施設として使い、そこで宿泊したり、ゲームをしたり、自然の中で楽しく時間を過ごしていました。


ある晩、夕食にカレーライスが出されました。普段食べているようなカレーライスです。

ここでもう1品追加されました、漬物です。


漬物は普段の食卓に出なかったものなので、自分にとっては不思議な食べ物だったのと、なぜか直感的に「食べたくない」と心の中で拒否していました。

そこで先生たちに気づかれないように漬物を残そうとしたのです。今思うと、本能的なリアクションだったのだと思います。


が、隣の小学校の先生に見つかり、こんなことを言われたのです。


「地域の人が作ったのだから食べなさい」



命がけのクイックタイムイベント

みなさんだったらどうしますか?

目の前に食べ物が差し出され、食べるように促されます。きっと少し複雑な気持ちになるかと思います。


地域の人が一生懸命作ってくれたのですね、わかります。冷静に考えてみると、その後の部分「だから食べなさい」がなんだか引っかかります。

「AだからB」の形になっていてロジカルな一方、「だから食べなさい」と聞くと強制力を感じてしまいます。


11歳の私は、先生という構造的に逆らえない存在に当然何か言えるわけでもなく、無理して食べました。

リアルで命がけの、クイックタイムイベント(QTE)だったのです。




11歳で死んでいたかもしれない

翌日の朝、息が苦しくて少し早く目覚めました。体中がなんだかかゆかったです。なんかおかしいなと思ったのですが、寝起きのせいか、あまり意識がはっきりしませんでした。

同級生たちを起こさないように、静かに布団の中が抜け出し、とりあえず顔を洗いに洗面所に向かい、鏡を見たらホラーでした。


これでもかってくらい、顔が赤く腫れていて、自分の顔だと思えませんでした。めちゃくちゃこわいアンパンマンってかんじでした。


びっくりしすぎて自分でもどうしていいのかわからず、鏡の前に立ったまま、自分の顔をまじまじと見ていたのです。

目の周りの腫れがすごくて、目があまり開いていませんでした。


11歳でもさすがに自分の身の異常事態を感じたので、近くにいた先生に助けを求めたところ、

思い出すだけでも身の毛がよだつのですが、

オロナイン軟膏を顔に塗られておしまいでした。病院に連れていかれて診察されることも一切なし。


同じ日の夕方頃には顔の腫れが引いてくれましたが、あの何とも言えない恐怖感は抜けきりませんでした。


林間学校から自宅に戻った後、あの怖い体験を両親に共有して、アレルギー反応とやっとわかったのです。


人生はじめてのアナフィラキシーでした。


もしかしたら11歳で死んでいたかもしれない。


それから、私は漬物恐怖症になってしまいました。




さいごに

結論から言うと、生きていて良かったなぁ、と思います。


漬物アレルギーと言うと、なかなかニッチな分野なのか、「うそだぁ」「そんなものない」と信じてくれない人も過去にいました。


こんなに怖い思いをしたのに、否定されてしまうとどうしても悲しくなってしまいますが、それでも「私は食べない」と芯を持つようになり、人間として少し強くなったと思います。


牛乳が苦手です、だとか、にんじんが苦手です、だとか。
人によって食わず嫌いは確かにあります。


自分が普段飲んだり、食べたりしているにもかかわらず、食事を共にしている誰かが明らかに手をつけていないな、ともし気づいたら、何かを言う前に、一瞬だけ、考えてほしいのです。

もしかしたら何か事情があるのかもしれない、と。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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