MP091_冷静と情熱のあいだ?一生懸命になりすぎないことと遊び心について
※【MP】=Make Progress:成長+書いてきた記事数
仕事をするにおいて、覚えておきたいこと。
世の中にはいろんなノウハウやスキルがあるが、今日は気持ちの「持ちよう」について個人的にしっくりきていることについて。
つい集中すると忘れてしまうけど、大切にしたいポイントを備忘録として書き留めてみようと思う。
1、仕事を通して成長すること
仕事はあらゆる種類の気づきをくれる場。人間関係しかり、自分の至らなさしかり、仕事のスキルしかり・・・。
私は、仕事をしていると成長できると感じている。
だから、どれだけお金持ちになって仕事をしなくても生きていけたとしても「仕事」をしていたいと思う。(どれだけの量するのかは変わってくるとは思うが・・・)
もちろん仕事は、生活をするために必要なものでもある。(金銭的な面や、コミュニティに属する面など・・・)
それは支柱としてあるのだけれども、かといってただただお金を稼ぐためだけに時間を売るような感覚や、好きでもない人達の輪に属しているとか感じながらやっていたらとってもつまらない。
つまらない・・・とか思える暇もなく、仕事をしないといけない時もあると思う。仕事をしないとどうにもならない、大切な人を守れないなど・・・。
ただ、どんな状況や背景においても、この「成長する」気づきをもらえる場所という位置づけを自分の中で持ち、仕事に取り組んでいたい。
2、遊び心をもつこと
20代の時は、ただがむしゃらで一生懸命。仕事は、大変さ、辛さ、厳しさ・・・そのような類のものがあるからこそお金を頂けると思っていた。
真剣でなければいけない・・・がんじがらめの自分。
けれども、そのようなことばかりでは、よほど強くない限り簡単に疲弊してくる。発散できるような疲弊の仕方だったらまだいいが、発散しきれず心身ともに倒れてしまうこともある・・・。
仕事において、それらの苦行的な要素が含まれることを全削除することは難しい。しかし、1つ1つを楽しんだり、気持ちを入れすぎなかったり、加減したり・・・苦行を加工していくことが大切だとしみじみ思う。
加工時に、健全な「遊び心」を添えられるといいなと感じている。
例えば・・・
ケース1 上司や部下とうまがあわない
こんな場合は勝手に【うまがあわない博士】として裏の顔を持ってみる。
(いつもは女学生、ピンチの時にはセーラームーン的な感じ)
様々なうまのあわない人たちを分析する研究者として、研究結果をnoteに投稿してみたり。分析した内容を自分の生活に取り入れてみたり。
こんな裏の顔を持っていたら、日々のうまのあわないモヤモヤ時間が、noteのネタとしての興味深い研究対象に変身してくれたりする。
(そのほうが感情的にもならず客観的にもなれるし)
ケース2 休憩時間:在宅ワークの時はベットでお昼寝、外勤の時はカラオケとか
オフィスにいると、横になってお昼寝はできない。ましてや休憩時間に娯楽に行くのも憚られる、見られ方があるから。
でもちょっとした機会に、自分の好きなことを取り入れられたらいいなと思う。
自分を律し、また会社から求められている役割や成果水準を満たせるのであれば、自分を心地よい状態にしていることは全く問題のない事だと思う。
背徳感は蜜の味。
このような、プチ背徳感を仕事中に持てると楽しい。
3、一生懸命やりすぎない
一生懸命な人、私は好きだ。
例えばアイドルの方など、「そのお仕事が小さい時から夢で何が何でもそれになりたい!」など思っている場合”一生懸命”がとっても大切なのだと思う。
ただ、私自身については仕事に対して一生懸命=命がけだと危ういと感じる。
今のお仕事は好きなのだが、何が何でもそのお仕事でないといけないかというと、そうでもない。
自分の中で替えがきく物事において、一生懸命の命がけでやっていると、チョットした時に何かの歯車が狂ってしまう感覚がある。
疲れ果てて嫌いになりそうになる。全部が嫌だと丸投げしたくなる。すべてがひっくり返ってしまう感覚。(この文章で伝えられているだろうか・・・)
少し話はそれるが、根はかなりまじめなタイプな私。(自分で言うのもなんだが・・・)
まじめ、頑な、1か100か、白黒はっきりさせたい、正しさを求める・・・
融通がきかない性分の人(わたし)はストレスがたまりやすい。挙句の果てに、仕事に感情をかなり持ち込んでしまうこと多々ありけり。
「こんなに無理してやったのに・・・(無理してとは頼まれていないのに、勝手に無理して疲れている)」
「もっと気を遣ってよね・・・(相手によく見られたいから自分のための気を普段使っているから求めてしまう)」
「なんでそんな意見や対応なの?信じられない!(自分が疲れているから相手の事情や背景が見えてこないからすぐ腹が立つ)」
仕事に気持ちを持ちすぎて、疲れるくらいになるのはよくない。
割り切る感覚、無理しないやり方の模索、自分の限界値を認める・・・などなど、あえて一生懸命にならない感覚を持っていたいと思う。
それは、手を抜くことではない、なまけることではない、あくまでも「一生懸命になりすぎない」といった感覚。
冷静と情熱のあいだ?
一生懸命となまけるのあいだ?
その「あいだ」にいるために、1や2で書いた心持が今のところ程よく効いてくると感じている。
最近すぐにイラっとしてしまう。
それは、1で書いた「仕事を通して成長すること」は、無意識に感じられるのだが、2と3はそうしよう!と思わないとあまり持てない感覚レベルだからだと思っている。
それらの感覚はもとう!と思って、意識したらうまくいくものなので自分の中で振り返って書いてみた。
書いてみて「仕事をするにおいて・・・」と書き出したが、日々の生活のどのシーンでも私にとってはあてはまる法則なのかもしれないと今感じている。
本日もご一読ありがとうございました。
朝から大好きなアンバターパンを食べてエネルギーチャージした!