数え切れないほどの再読(からっぽ男の憂鬱・2023/07/06)
いろいろと言いたいことがあるが。
直近の自分のしたことを書いた日記を残そうと思う。
かつて、演劇ぶっく社が出していた「ヨムゲキ100」という1冊1,000円の戯曲シリーズがある。
2000年前後、小劇場の作品を主に刊行していた。
俺が大学のころ、もう23~4年前のこと。
「ヨムゲキ100」というシリーズタイトルから察するに100冊出したかったんだろうが、半分自費出版のような戯曲、では売れなかったようで100冊行かずに終わってしまった。
それでも平田オリザの「ソウル市民」・「カガクするココロ」
中島かずきが何冊も。
その他、ブルースカイ(当時)とか演劇マニアには堪らないラインナップだ。
特に目玉だったのは、松尾スズキ初期作12冊一気刊行だ。
『ファンキー』で岸田賞を獲りアブラののっていた時期で、『キレイ』の初演に合わせてだろうが、12冊の戯曲本を一気に出す、というのはあまり聞いたことがない。
他の書籍を読む限り、刊行されたのは大人計画の実質第1作『手塚治虫の生涯』からの「親切伝三部作」、初期の代表作『ゲームの達人』から当時の近作『ちょん切りたい』『生きてるし死んでるし』までの劇作をほぼ網羅している。
あえて『ふくすけ』と『愛の罰』は外されている。
『ふくすけ』は再演を重ね、のちに単行本化もされている。
『愛の罰』は上演時に物販されていたせいか、今では近年WOWOWがリマスターして放送したものを見ることでしか存在を確認できない。
俺はこれを、紀伊國屋のサザンシアターのあった方の紀伊國屋書店(今のでっかいニトリ)の演劇コーナーに山積みにされていたのを見つけ、ページ数の多さとタイトルとで『ゲームの達人』を買い、ノックアウトされた。
初期松尾作品の中で、「親切伝三部作」の『マイアミにかかる月』と『ゲームの達人』が大好きで、もう数え切れないほど読み返している。
『ゲームの達人』は、「嘘の昭和史」という俺好みの題材で、めっちゃくちゃをやりつつ、バランスの取れている、ブラックコメディの大作。
『マイアミにかかる月』は、三部作の中で唯一独立した作品として読めるもので、偏愛する戯曲のひとつ。
どっちの戯曲にも言えることは、「カート・ヴォネガット」と「モンティ・パイソン」の影響が大きく、時間軸を揺さぶりながら観客の脳ミソに挑戦しつつ、毒のある、というか毒そのものを見せている。
もっと言えば、俺の敬愛するケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)と通じる一点、宮沢章夫が書いていた「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を越えてやろう、というのが見える。
当時の「大人計画」と「劇団健康」(「ナイロン100℃」の前身)は、並び称されていた、小劇場界の雄で、異端児だった。
スタートこそ「ラジカル」の影響ではじめたとは言え、その後二人の作風は大きく変わっていく。
松尾スズキはブラックユーモアの、ブラックの部分を膨らましていき、KERAはユーモアの部分を膨らませていった。
上演時期の似ているKERAの『カラフルメリィでオハヨ』(初演版)・『マナイ』・『ウチハソバヤジャナイ』を読んでも、その差はわかる。
松尾スズキはブラック、というか人間の業をユーモアとストーリーテリングで煮詰めていき、KERAは「笑い」を中心に「人間」を描いた舞台(と言っても凡百の舞台とは違う種類だけれど)に移行していった。
俺は、大学でこのふたりに出会い、ものすごいショックを受けた。
俺は自称キチの付くモンティパイソン好きだ。同時期にカート・ヴォネガットも読んでいた。マルクスMro.の洗礼も受けている。
「そのすべてをひとつにしてやっている人がいる!」
俺には充分すぎるショックだった。
「俺のやりたいことはもうすでにやられてしまっている」
という、大学生時のショックは大きかった。
でも、同時に思ったのは、
「だけど、俺がやっていないじゃないか」
ということ。
今、俺の中で、沸々と出来上がりつつあるテーマがある。
俺はまだ作品数が、威張れるほどには多くない。
だからこそ、42を越えた現在だからこそ出来ることをやりたいと思っている。
だから、今、まずは初期衝動・原点のひとつ、何万遍も読んだ『マイアミ」と『ゲームの達人』を読み込んでいる。
(「ふくすけ」もだけど)
数え切れないほどの戯曲集を持っていて、その総ざらいもしないといけないと思っている。
今年の夏は暑そうだし、熱そうだ。
何万遍も読むに耐えるモノを書くために。