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人間は壊れてから気付くでは遅い。
手を差し伸べたとしても、その手を取る事はできないし気付く事もできない
そして、味方も敵も区別できないから壊れている部分を壊し続けるかもしれないし、奇跡的に治るキッカケにもなるかもしれない。
ーーーー壊れてしまったら視野が狭くなってしまうから。
壊れている環境と安全な環境の違い
まず初めに人間と環境、二つの要因に分けられると思っている。
環境がそもそも良くない場合はそのグループ全員が壊れている事に気付いてない。自分が変わろうとしても、やはり同調圧力で誤った方へ修正されやすいだろう。その環境から逃げる勇気が必要なくらい危険な状態。
安全な環境はまず人権も発言権もしっかりある場所。
裏切ったり、信用も期待もされていない場所は壊れている環境として見ていいだろう。判断するのは言葉ではなく、行動だ。
教育なのか、洗脳なのかを今一度考えた方がいいという事になる。
信用しているよと言いつつ疑われている状況はどう見ても信用されていない
言葉より行動を見るというのはこういう事である。
私って優しいんだ!って言いながらぶん殴ってくる人は優しくないだろう。
この場合はこの人から距離を置くだけで問題は解決するので逃げる必要はない。度合いにもよるけど。
根は良い人はそもそも攻撃してこないよ。それは悪い人だ。
赤の他人の方がフラットに状況を見れる。
変だと思う事を変だと言えない。これは中立の立場ならよくある事だ。
年齢は関係なく、グレーな部分を言ってしまったらその人の評価は落ちてしまう危険性があるからだ。その点、子供なら評価は存在しないので的を得た発言はしやすいかもしれない。
人権はあるけれど、その場所では発言権がないという事になる。
思い込みとかではなく、いつでも排除できる関係性だから言える事だろう。
他の世界の人の方がフラットに物を見られるので、意見は参考になると思う(その場にいる訳ではないので現場の説明は必要だが。)
人間はすぐに治る訳ではない。
やはり一度壊れてしまうと100に戻る訳ではない、良くても80くらい。
そもそも傷の治りも一瞬ではないし、体力も一日で回復する訳でもない。
考えたら当たり前だけれど、段々とその事実を忘れていく。
ゲームじゃねえんだからさ、一瞬で回復する方が怖いだろ?
休む練習もまた必要になる。
飯を食って寝る。そして運動をする。
これに限るのだ。動かなかったら体と心は急速に衰えていくし、そういうものだと思う。壊れている環境だったらいい方向へ変わりづらいのは事実。
自分を責める必要はないと思う。
壊れてしまったら手を差し伸べていたとしても気付かない。
もう目が霞んでいるのである。見ているようで何も見ていないのである。
虚無。これが壊れてしまった人間。
世界の全てが敵に見えてしまうような状況に陥るのだ。
世界の全てが敵に見えるのではなく、その壊れた環境にいるのが全員、敵というだけである。
損得勘定抜きでお人好しは実際に存在する。
僕も何故だか人を助けることもある。理由はないけれど。
そう、誰かにとっては世界中が敵に見えるかもしれないけれど、僕は誰かの味方になれるかもしれないから、その言葉は嘘になる。
僕が少なくとも中立か、味方になれるかもしれないからだ。
ただ、何度も裏切られ続けた人間はその一歩を踏み出すことはできない。
勝手に期待して、勝手に裏切られただけかもしれないけれど。
結局は相手が壊れていることに気付けたなら、もっと被害は少なく収まったかもしれないという事でもある。
カンは当たる。
なんかこの人、良くない雰囲気だな…
実際当たります。人間の相性の問題かな?誰かにとっては相性最悪でも、誰かにとっては相性最高かもしれない。だからそんなに気にしなくていい事だと思っている。良くも悪くも代わりはいるからさ。
一度立ち止まることも一つの手だろう。
本当にこの人の事を信用できるのか?
この環境は安全なのか?
見つめ直すいい機会になってくれると嬉しい。