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こどもの機嫌をとるのをやめた

残り7

わたしはこどもにNOが言えなかった。
とくにむすめに対して。

子育てというのはとにかく親の独壇場だ。
間違っていようとも親が白といえば白。黒といえば黒。
親にはそれだけの強大な権力が与えられている。

親の機嫌がいい日にはおもちゃ付きのお菓子を買ってもらえて、親の虫の居所が悪い日にはお菓子を買ってもらえないとか、そんなことはよくある話だし、そんなことで子どもはトラウマを負ったりしない。そんな日々の小さな間違いも笑って済ませられるくらいの深くて大きな愛に支えられていれば。

普通はその権利をなんの躊躇もなく行使できるのだろう。
自信を持って「それは黒だよ」「こっちは白だよ」と言えるのだろう。そんな人たちは自信を持って堂々と間違うことができるのだろう。そう言える人たちが心底うらやましい。

わたしは自分の価値観に自信がなかった。
自分のエゴでNOを判断する自信がなかった。

それはおそらくわたしの中に『わたしは間違っている』という観念が強力に沁みついているから。

『間違っているわたし』がこどもの選択をNOと判断することなんてできないと思っていたんだ。

わたしはいつも正解がわからなかった。世界にはハッキリとした正解があると思っていたし、それをわたしだけが知らないのだと思っていた。

なぜそう思っていたかといえば、それは幼少期の環境だろう。
なにを言っても肯定されないどころか否定されたり怒鳴られたり嘲笑されたりする環境で、わたしはわたしに対する信頼感を育てることができなかった。

わたしは悪い子でいつだって間違っていた。

そう信じて生きてきた。

他人の不機嫌はわたしのせいで、不機嫌な他人の気持ちをわたしが一生懸命考えて機嫌をとらなければならないと思っていた。

だからこどもにNOと言って、こどもが不機嫌になるのが怖かった。
わたしが間違った判断を下したせいでこどもが傷ついたりトラウマを負ったりすることが怖かった。

だからNOが言えなかったのだと思う。


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