ヤマグチノボルという尊敬すべき作家について語る。
「ヤマグチノボル」
その名前を知らない人はいるかもしれないが、彼の代表作を知らない人は少ない。彼の代表作とは超人気ライトノベルの「ゼロの使い魔」である。
「ゼロの使い魔」は累計発行部数1000万部を超え、アニメは4期に渡って放送されるという快挙を成し遂げた人気作品である。ほぼ同年代に出版されたライトノベルには「涼宮ハルヒの憂鬱」や「とある魔術の禁書目録」などの化け物じみたタイトル達があるが、それらにも引けを取らない程の人気を誇っていた。
そんな大人気作品「ゼロの使い魔」の感想は、はっきり言って調べれば山のように出てくる。あえて、僕が文章にするほどのことでもない。
だからこそ、今回は作者である「ヤマグチノボル先生」に焦点を当てたい。
彼の小説家としての生きざまは「ゼロの使い魔」に劣るとも勝らない壮大な物語だ。この記事を読んだ後にゼロの使い魔を読むと、また違った感動が味わえるかもしれない。
ヤマグチノボル先生は、元々ライトノベル作家ではなくゲームのシナリオライターとして活動をしていた。2000年に自身の作品である「カナリア」のノベライズで小説家デビュー。2004年に「ゼロの使い魔」を発表した。
その後、19巻まで人気を保ったまま6年間刊行を続けたが、2011年の7月に衝撃的な発表がされることになる。それは、ヤマグチノボル氏が末期癌であり抗がん剤治療で延命措置を受けているという発表だった。
この発表を受けて、ファンの間では「ゼロの使い魔」は完結しないのでは…という空気が流れた。「ゼロの使い魔」のストーリーはクライマックスに近づいており、これからどうエンディングを迎えるのかという、佳境だっただけにファンは嘆き悲しんだ。
癌の公表から約2年後の2013年に、惜しまれながらもヤマグチノボル先生は死去。41歳の若さで亡くなられた。作者の死により、いよいよ「ゼロの使い魔」の完結は絶望的になった。
彼の死後、続編については何の音沙汰もなく「ゼロの使い魔」は徐々に人々の記憶から薄れていっていた。しかし、2年後に衝撃的な発表がなされた。
それは、ヤマグチノボル先生及び遺族の意向により、選任された別の人物に引き継ぐ形で続巻が刊行されるというものだった。この時点では、作品に先入観を与えることを防ぐために、作者は公開されなかった(後にファンブックで志瑞祐氏であったことが明かされた)。
これはファンにとっては衝撃的な発表だった。一度は続編を諦めた作品が完結するという期待に皆が胸を膨らませた。
僕も一ファンとして、続編が出ることを喜んだ。だが、それ以上に代筆を提案し完結を選んだ、ヤマグチノボル先生に作家としての誇りを感じずにはいられなかった。
当たり前だが、抗がん剤による癌の延命治療は決して楽なものではない。しかし、ヤマグチノボル先生は、病魔に侵されながらも「ゼロの使い魔」を完結させるために全力を尽くした。
始めは、自身で「ゼロの使い魔」を完結させることを望んだが、残された期間を考えるとそれは厳しいようだった。この事実を受け入れたヤマグチノボル先生は自身での完結を諦め、編集部にプロットを託し、別の作家による代筆を提案した。
「ゼロの使い魔」はヤマグチノボル先生が人生をかけた作品であり、代表作にほかならない。そんな作品を誰かに託すことは、苦渋の選択だったはず。しかし、彼は自身で描き切るという事以上に、物語の完結を優先させた。この決断は、おそらくファンのためであり、「ゼロの使い魔」を終わらせることが、作品に関わる全ての人に対する責務と考えたに違いない。
彼の提案を受け、編集部は代筆作家を選び「ゼロの使い魔」完結に動き出した。続編が敢行されるとの発表から8カ月後、2016年に21巻が刊行。更に1年後には最終巻となる22巻が発表された。
代筆された2冊の出来栄えは素晴らしく、文句のつけようがなかった。それは、代筆であることを知らされていなければ、本人が書いたと疑うことすらないほどに。僕は作品の面白さに感動し、それと同じくらい「ゼロの使い魔」という作品に注がれた情熱に感涙せずにはいられなかった。
そこには、人気作品故のプレッシャーを感じながらも代筆を行った志瑞祐先生。ヤマグチノボル氏の意思を引き継いで完結をさせた編集部。続編を望み続けた全国のファン達。そして何よりも「ゼロの使い魔」の完結を望んだヤマグチノボル先生。
数えきれないほど多くの人の情熱が注がれた「ゼロの使い魔」は作者の死すらも乗り越えて2017年に堂々の完結を迎えた。
情熱は人の死すらも乗り越える。
僕は生涯、忘れることはない。
「ヤマグチノボル」という尊敬すべき小説家がこの世にいたことを。
MF文庫J編集部より⇩
https://www.zero-tsukaima.com/editors/