躁鬱病。個人的見解。
やはり根がフリーダムで、アナーキーなのであると思う。
自分の中にちゃんと、正義はあるし、まわりとのギャップ。大きいからだと思う。
産まれた時からあるルール。法律。全てが正しいわけじゃないし、今の常識だって100年前では絶対に違うわけで。
今のルールが当たり前だと、疑わない人は上手に生きれるのかもしれない。
ダメなものをダメと、そのまま鵜呑みにできなのである。
ちゃんと正しさはある。真面目である。正義感が強すぎるせいで、躁転したときは、まわりにきつくなってしまうのではないか?
僕の場合は小さい頃から母子家庭で、母親も病気で、早くに自然に帰ってしまった。
自分の頭で昔から考えて生きてきた。子供の頃はそれは、どこかで自信もないし、不安で、自分の意見をあまりいえなかった。
躁転したときは、人に寛容に。
鬱の時は甘えよう。本当に。誰でもいい。眠いなら寝ればいい。不安なものは部屋から無くして。
うまく言葉も出ない。あのいつまでも続きそうな絶望感は、その雰囲気は、人は助けたいと思う心理にある。それは、悪いことじゃない。きっとあなたも人助けは好きなはず。
困ってる人助けるって気持ちいいことだから。
みんなどこかでお互い様。
一点ばかりを見つめないで。
いつか助けることがあるかもしれない。助けようと無理に思うこともない。
この文章も誰かの助けになれれば。と、思いました。なんかおこがましいですが。
マイペースに。人生は点じゃない。線です!笑