「古代の世界遺産とアレクサンドロス東征記(前編)」世界遺産の語り部Cafe #25
今回の世界遺産は、前編をギリシャ🇬🇷の【エゲ(現代名ヴェルギナ)の考古遺跡】、後編をイラン🇮🇷の【ペルセポリス】についてお話していきます。
本編は、敬愛する塩野七生先生による名作小説『ギリシア人の物語 III 新しき力』の内容を踏襲させていただきつつ、“アレクサンドロス東征記”とそれに関わりの深い世界遺産について、前編と後編に分けて語っていきます。
古代マケドニア王国の都
ギリシャ北部中央マケドニア地方の「ヴェルギナ」は、「テッサロニキ」から南西に80キロに位置する小都市です。
1977年、「フィリッポス2世」のものと思われる墳墓がこの地で発見されます。
フィリッポスは敵の矢を受けて片目を失い、負傷が原因で関節が硬直して足が不自由であったと言われており、その特徴と墳墓に眠る遺骨の状態が一致していました。
フィリッポスの遺骨であると確証を得たことで、この地がかつて「マケドニア王国」の都として栄えた「エゲ Aegeae(アイガイ Aigai)」であったことが判明します。
墳墓からは遺骨とともに金製の骨箱など、副葬品が出土しており、骨箱には“光線を有した星の模様”が描かれていました。
「ヴェルギナの太陽」と呼ばれるその模様は、マケドニア王国の象徴であった紋章です。
蛇足ですが、ヴェルギナの太陽は天皇家の象徴である十六菊紋にも似ており、もしかすると何かしらの関連性があるのかもしれませんね。
ギリシャ人国家であるマケドニアは、紀元前5世紀末に首都を「ペラ」に遷都、フィリッポスの時代にはギリシャ世界に覇権を唱えました。
また、その息子である「アレクサンダー大王(アレクサンドロス大王)」は、数々の伝説を残すとともに、アジア世界を制圧した「東方遠征」を敢行した人物としてあまりにも有名です。
ある英単語の語源にもなった戦術とは?
ギリシャ神話の英雄「ヘラクレス」を祖に持つと言われるフィリッポスの即位時、マケドニアはまだギリシャ世界における弱小国に過ぎませんでした。
しかしフィリッポスは国政改革を施し、「ポリス」と呼ばれる、先進的な都市国家を形成した南部諸国にも劣らない強国にマケドニアを押し上げました。
フィリッポスは、そうした有力都市国家の1つ「テーバイ」に人質として幽閉されていた頃、長槍を携えた重装歩兵の密集陣形「ファランクス」を学び取りました。
そしてマケドニアに帰還後、5メートル超ほどのさらに長槍の「サリッサ」を採用し、方陣を大型化させた「マケドニア式ファランクス」を創始します。
フィリッポスの用いたファランクスは、「密集」を意味する英単語“Phalanx”の語源となりました。
アレクサンドロスの初陣であり、アテネ、テーバイの連合軍と交戦した「カイロネイアの戦い」ではファランクスが絶大な威力を発揮しました。
岩明均先生の漫画『ヒストリエ』でも、ファランクス戦術を用いるマケドニア長槍部隊の様子が描かれていたりしますよね。
カイロネイアの戦いを制したフィリッポスは、弱小国だったマケドニア王国を政治面・軍事面で改革を断行して、「コリントス同盟」の盟主となる強国に押し上げていきます。
ところが、ギリシャ世界の覇権を手にしたのも束の間、フィリッポスは娘の婚礼の席で、パウサニアスという護衛兵の手によって暗殺されてしまいます。
“万学の祖”の門下生アレクサンドロスの即位
フィリッポスの息子、アレクサンダー大王こと「アレクサンドロス3世」は、弱冠20才にして亡き父の跡を継いで即位することになります。
16歳までのアレクサンドロスは、父フィリッポスが招き入れた“万学の祖”として高名な「アリストテレス」により、学友たちとともに英才教育を受けていました。
アリストテレスを最高の師と尊敬していたアレクサンドロスは、
という言葉を残しており、青年期にアリストテレスから多大な影響を受けていたことが伺えます。
アレクサンドロスと苦楽を共にした、親友の「ヘファイスティオン」をはじめとする学友たちは、その後、アレクサンドロスを支える右腕・左腕として、優秀な将へと成長していきます。
アレクサンドロスの愛馬“ブーケファロス”
アレクサンドロスについて語る上で有名なエピソードとして、愛馬として寵愛した“ブーケファロス”との出会いがあります。
ギリシャの著述家、プルタルコスの『プルターク英雄伝』によれば、フィリッポスの貢物として捧げられたブーケファロスは暴れ馬で手に負えず、誰も乗りこなすことが出来なかったと言います。
ところが、若き日のアレクサンドロスは、ブーケファロスが自身の“影”に怯えていることに気が付き、目線を太陽の方に向かせることで落ち着かせ、いとも簡単に手なづけてしまったといいます。
彼の愛馬となったブーケファロスは、アレクサンドロス共々「古代オリンピック」にも出場して優勝を飾ったそうです。
こうしてブーケファロスを見事に扱いこなしたアレクサンドロスは、即位後まもなくして父の悲願であった東方遠征へと乗り出していきます。
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【エゲ(現代名ヴェルギナ)の考古遺跡:1996年登録:文化遺産《登録基準(1)(3)》】