世界遺産の語り部Cafe
今回は、オーストリア🇦🇹の世界遺産【ハルシュタット=ダッハシュタイン/ザルツカンマーグートの文化的景観】についてお話していきます。 “世界一美しい”と称される湖畔の街 オーストリア中央部に位置する「ハルシュタット」は、「ザルツカンマーグート地方」に位置するアルプス山脈に囲まれた湖畔の街です。 ザルツカンマーグートとは“良い塩の産地”という意味を持つように、この地は古来より塩の産地として栄えてきました。 古くは「ローマ帝国」の時代より採掘が行われてきた岩塩は、
今回の世界遺産は、前編をギリシャ🇬🇷の【エゲ(現代名ヴェルギナ)の考古遺跡】、後編をイラン🇮🇷の【ペルセポリス】についてお話していきます。 本編は、敬愛する塩野七生先生による名作小説『ギリシア人の物語 III 新しき力』の内容を踏襲させていただきつつ、“アレクサンドロス東征記”とそれに関わりの深い世界遺産について、前編と後編に分けて語っていきます。 古代マケドニア王国の都 ギリシャ北部中央マケドニア地方の「ヴェルギナ」は、「テッサロニキ」から南西に80キロに位置す
今回はヴァチカンの世界遺産🇻🇦【ヴァチカン市国】についてお話していきます。 “世界最小国”キリスト教世界の最重要聖地 ヴァチカン市国は、世界最小国として知られるカトリック中枢の独立国です。 イエス・キリストの1番弟子「聖ペテロ」の墓所があったとされるヴァチカンの丘には、壮麗な建築様式が魅力的な「サン・ピエトロ大聖堂」がそびえ立っています。 “聖ペテロ”の意味を持つサン・ピエトロ大聖堂は、1506年に着工され、「ドナート・ブラマンテ」や「ミケランジェロ・ブオナロ
今回の世界遺産は、ウズベキスタンの🇺🇿【文化交差路サマルカンド】についてお話していきます。 東西の文明が交差する“青の都” ウズベキスタン東部の「サマルカンド」は、「シルクロード」のほぼ中心に位置し、紀元前から東西文明が交錯する街として、繁栄を極めてきました。 「サマル」は“人々が出会う”、「カンド」には“街”という意味があり、その名の通り世界各地の文化が交錯する地点でした。 紀元前よりシルクロードの要衝として栄えたサマルカンドには、古くは「玄奘(三蔵法師
今回は、エジプトの世界遺産🇪🇬【ヌビアの遺跡群:アブ・シンベルからフィラエまで】についてお話していきます。 プトレマイオス朝時代の古代遺跡群 エジプトのナイル川上流に位置するヌビア地方の遺跡群は、古代エジプトの新王国時代(紀元前1570年頃~前1069年)、プトレマイオス朝時代(紀元前340年~前30年)に建てられた建造物群です。 同時代に繁栄を極めた「ヒッタイト」、「バビロニア」に比類する大国であったエジプトは、古代世界における三大強国と呼ばれていました。 ヌビア地
今回の世界遺産は、コロンビアの🇨🇴【カルタヘナの港、要塞、歴史的建造物群】と【サンタ・クルス・デ・モンポスの歴史地区】について。 “英雄都市”カルタヘナの成り立ち 後に「英雄都市」と呼ばれるカルタヘナは、インカ帝国が滅亡した1533年、スペイン人の「ペドロ・エレディア」により建設されました。 湾が細長く、多くの船が停泊できることで繁栄したこの街は、イギリスの「フランシス・ドレーク」などの海賊に度々狙われ、襲撃に備えて「サン・フェリペ要塞」などが建設されます。 フラ
今回、お話する世界遺産はイギリスの🇬🇧【ローマ帝国の境界線】について。 ローマ帝国の栄枯盛衰を物語る長城 世界遺産に登録された、ローマ帝国時代の境界線で最も有名なものは、グレートブリテン島北部にある「ハドリアヌスの長城」です。 ハドリアヌスの長城は、ローマ皇帝「ハドリアヌス帝」が2世紀頃に築いた120キロに渡る防壁で、「ケルト人」や「ピクト人」など、ローマ帝国に与しない北方民族の侵入を阻む目的で建造されました。 ハドリアヌスの長城より以北は、ローマ帝国によってかつ
今回、お話する世界遺産はマダガスカル🇲🇬の【アツィナナナの雨林】について。 生物の標本室 アツィナナナの雨林は、世界で4番目に大きい「マダガスカル島」の世界遺産です。 動植物が独自の進化を遂げたこの地では、1万2000種の植物の固有種が確認されており、動物の固有種も多数に上ることから「生物の標本室」とも呼ばれています。 マダガスカルで見られる120種以上の哺乳類のうち、78種類はアツィナナナの雨林に生息しており、そのうち72種類は絶滅危惧種に指定されています。 絶滅
今回の世界遺産は、ノルウェー🇳🇴の【ガイランゲルフィヨルドとネーロイフィヨルド】について。 フィヨルドの定義 “フィヨルド”とは、ノルウェー語で「内陸部へ深く入り込んだ湾」を意味しており、氷河の侵食作用によって形成された湾、入り江のことを指します。 フィヨルドの土台となる「深く削られ、狭く急な崖が海中まで続く谷」は、氷河によって運ばれた岩や粘土などが、堤防のように堆積した「モレーン」と呼ばれるものです。 約100万年前、北欧全体を覆っていた分厚い氷
前編に引き続いて、トルコ🇹🇷の世界遺産【イスタンブール歴史地区】についてお話していきます。 前編はこちら↓ 難攻不落の城塞と門外不出の秘密兵器 既に大国となっていたオスマン帝国であっても、“難攻不落”を誇っていたコンスタンティノープルの攻略は至難の業でした。 その理由の一つは地形です。 コンスタンティノープルの都は半島の先端に位置しており、全体を「テオドシウスの城壁」と呼ばれる3重の高い城壁で囲まれた、三角形の形状をしています。 さらに南側の「マルマラ海」は、世界
今回は、トルコ🇹🇷の世界遺産【イスタンブール歴史地区】についてお話していきます。 “歴代大国の首都” トルコ北西部に位置する「イスタンブール」は、ローマ帝国やビザンツ帝国、オスマン帝国といった大国の首都であった歴史を持つ都市として知られています。 イスタンブールの起源は、紀元前7世紀頃にギリシャの都市国家である「メガラ」のビザス人が建設した都市とされています。 ビザス人にちなんで「ビュザンティオン」と名付けられたその都市は、ローマ帝国に占領されると「ノヴァ・ローマ」と
今回は、フランス🇫🇷 の世界遺産【アヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教の建造物群、アヴィニョンの橋】についてお話していきます。 ↓十字軍編の過去記事はこちら↓ 十字軍遠征はまさかの失敗… 第1回十字軍で「エルサレム」を奪還したのも束の間、アイユーブ朝の「サラディン」はエルサレム王国に侵攻して“再奪還”を果たしました。 十字軍がエルサレムを追われた後、獅子心王らが奮闘の舞台となった中東の拠点「アッコ」までも、陥落してしまいます。 結局、十字軍の目的は果たされること
今回は、日本🇯🇵の世界遺産【長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産】についてお話していきます。 “潜伏キリシタン”に焦点を置いた世界遺産 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、いわゆる鎖国をしていた日本国内において、文字通り“潜伏していたキリシタン”に着目した世界遺産です。 仏教徒などにカモフラージュしていた「隠れキリシタン」とは根本的に違って、禁教時代に離島や僻地に潜伏し、教えを守り抜いたキリスト教徒のことを指します。 その点からも特殊な世界遺産登録の一例と
本日は、ギリシャ🇬🇷の世界遺産【ロドスの中世都市】とマルタ🇲🇹の世界遺産【バレッタの旧市街】についてお話していきます。 前回、前々回に続き、【十字軍】関連の世界遺産についてお話します。 ↓十字軍編の過去記事はこちら↓ 十字軍の拠点となった【エルサレム王国の首都アッコ】が陥落して以降、第9回十字軍を最後に、再び組織されることはありませんでした。 中東を追われた十字軍の足取り しかし、中東を追われた十字軍の残党は、その後もイスラム勢力との小競り合い
今回は、イスラエル🇮🇱の世界遺産【アッコの旧市街】、そして【リチャード獅子心王とマグナ・カルタの関係性】についてお話していきます。 ↓十字軍編の過去記事はこちら↓ エルサレムではないのに“エルサレム王国”? ローマ教皇によって呼びかけられた第1回十字軍によって、奪還された「エルサレム」にはかつてエルサレム王国と呼ばれる国が建国されました。 しかし、アイユーブ朝の英雄「サラディン」の活躍により再びエルサレムを失った十字軍国家は、その後パレスチナ海
今回は、シリア🇸🇾の世界遺産 【クラック・デ・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーン】についてお話していきます。 「クラック・デ・シュヴァリエ」と「カラット・サラーフ・アッディーン」 2つの名城は、いずれも「十字軍」時代を象徴する世界遺産です。 「クラック・デ・シュバリエ」は、1142年から1171年まで「聖ヨハネ騎士団」が拠点とした、当時の建築技術の粋を究めた難攻不落の名城として知られています。 一方、その北方に位置するのは、1188年にサラディンが陥落させ