物語の主人公は共感できて、学ぶことがあって、応援したくなって、最後に勝つ価値があって、原始的でシンプルな動機があるのが鉄則だって。noteの場合は書き手自身が主人公。さあ鉄則を守れているかな…?
しゅんしゅしゅんです。
映画の脚本術の中からnoteに使えるワザを抜き出してみよう。
このnoteの続き。
では、ワザをご紹介。
4、伝統をしってこそのひねり
「同じものだけど…違ったやつがほしいんだ!」これが映画会社の会議中に出る言葉。何かを生みだすことは-映画のアイディア、登場人物の話し方、シーンなど何であれ-新鮮なひねりを加えるということ。しかし平凡ではないもの、伝統を超えて一歩前進したものを作るには、まずはそれまでの歴史や伝統をしる必要がある。名監督はみな引用ができるのだ。(SAVE THE CATより)
アイディアは既存の要素の新しい組み合わせだと言いますよね。守・破・離って言いますよね。伝統を知ってこそのひねり。ひねりがあると刺激的で面白いけど、ひねりを生むためには「何が差分になるのか」がわかっていないといけない。差分がわかるためには、世の中一般を知らないといけない。
これ改めて大切だなと思って。世の中にはブログなど文章はごまんとある。本腰をいれて取り組もうと思うのならやはり他の人の文章は見る必要がある。
自分の書く内容が属するジャンルにおいて帝王的なブログ(note)に目を通す。そこを基準とした時に、自分が書いている内容は何が「ひねり」なのかってこと。基準がないと「ひねり」かどうか判断できない。
ブログやnoteは自分の得意分野や経験分野で書くことが多いからこそ、基準確認を怠る傾向もあるのではないか。自分の意見が「正しい」「新しい」と思っても、もしかすると井の中の蛙かもしれない。
5、主人公の条件
設定された状況の中で一番葛藤する。感情が変化するのに一番時間がかかる。楽しんでもらえる客層の幅が一番広い。これが主人公の条件。そして主人公の動機は原始的でなくてはならない。生き延びること、飢えに打ち勝つこと、セックスをすること、愛する者を守ること、死の恐怖に打ち勝つこと。などなど根本的な欲求には万人の心をつかむ力がある。主人公は共感できて、学ぶことがあって、応援したくなって、最後に勝つ価値があって、原始的でシンプルな動機がある。この基本を忠実に守ろう。(SAVE THE CATより)
映画や小説にしか主人公は登場しないから、文章には関係ない?いやいや。文章でいうと、書き手そのものが主人公だと考えることができる。
そう考えると恐ろしい。書き手である自分は主人公の鉄則に当てはまっているか。別に誰しもがドラマ的な主人公である必要はないと思う。平凡な人生だからダメなんてこともない。でも人を引きつけるアウトプットとなると、やはり分が悪いのか。
一番葛藤する、一番時間かかる。つまり、振れ幅がある方がよいってこと。例えば、ビリギャルとか。偏差値底辺のギャルが、慶応に受かる。振れ幅がある書き手だからこそ、そのアウトプットに興味がわく。
でも多分。壮絶な人生。特異な人生。そんなんじゃなくても、いいんだと思う。人は誰だって葛藤しているし変化する。大切なのは、それをさらけ出すということなんだろう。葛藤や変化がないと、人は共感しない。共感しないと物語を読み進めることはできないってことだろう。
あと、高尚な言い回しとか、複雑な動機や目的とか。かっこつけることに意味ないってことなんだろう。原始的なレベルまでかっこつけをそぎ落とさないと、人は共感が難しい。共感しないと物語を読み進めることはできないってことだろう。
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今日はここまで。続きはまた次回。脚本術の中からnoteに使えるワザを抜き出してみようは次が最後。
では。