(連載19)「衣服とは何か?」「着るとは?」を深く掘り下げた結果:ロザンゼルス在住アーティストの回顧録:1991-93年
前回はなんかブラピの話がメインになってしまいましたー。苦笑
あとで読み返しても、ただ「芸能人に会ったミーハーな話」以上の何モノでもなかったでス。ぶふ。
しかし、ナマなハリウッド情報を知りたい方(しかも20年前の、笑)
こちらをご覧ください。
さて、今回は襟を正して、っと。
ちょっとまともに作品についての事を語ってみたいと思います。
「衣服とは何か?」
「着るとは?」
「その目的、実用性、イメージ」
など、など、まあ「どうでもいい人には、どうでもいい事」であります。
しかし、それを掘り下げるのが、ゲージツ家というものなのでした〜。
自分の中に毒をっ!
前回の「箱のドレスのシリーズ」など、、たとえば、コレですが。
スクっ!
一人で、立ってます。そして着用可能であります!
勢いにまかせてこういうの、作ってしまったのは、いいけれど、
他人様から「これは、いったい何???」と、きかれるたら?
なんて、言おうか?
モジモジして、「何も答えない」というのも、なんだかなぁ〜。
はっきり、「それは、自分で考えてください!!」ってのも、作った責任を放棄しているみたいで、嫌われそうだし。。。。
また「芸術は、どう感じるか?です。それだけで十分なのです!!」なんて、もう、何万回もきいた事あるようなセリフも、言いたくない。
自分的には、涼しい顔をして、
「これは、コレコレこういうものです。」と、パシっと答えたい!
ただ、あまり難しい言葉で「なんとかイズム」を主張するのも自分ぽくないしなー。
第一、イズムの人たちって、怖い!!!!
前に「ファッション・アンド・シュルレアリスム」の、お話をしましたが、あの展覧会と本に対して、現存のシュルレアリスト達が、マジ文句つけたらしいですよ。
「おんどれ、なんで、ファッションが先にきとるんかいの〜?」
(文句系はいつも広島弁にさせていただきます。理由は「ピッタリくる」から。)
「それ、言うんやったら、『シュルレアリスム・ア〜ンド・ファッション』や、ないんかい?」
まあ、アーティストはいつも本気ですからね。汗
シュルレアリストからしたら、まずファッションのレベルで自分らを語られるというのが、気に食わん!のでしょう。わかる気もします。
たとえば、本物のサーファーの方達が、サーファー・ファッションという枠組みで語られるみたいな感じですよ。ムカつくでしょうね。
あ、微妙に話がそれた。。。10秒前に、もどしてください。
私の服の作品をみて、「これは何か?と、きかれたら?」という話でした。
そのために何か短くていい、ので、答えを準備しときたい、と思った次第。
別に細かく、言葉にしなくてもいいのですが、ある程度は意識しておくと、自分の頭の中でも整理されますしねー。
まず、その実用性は、どういうものがあるのか?
寒いから着る。原始時代からはじまった、キング・オブ・実用!!
そして直近の例だと、コロナの防護服→→→→→バイキンから守る
ミリタリー関連、戦闘服→→→→→→戦いの服
労働着のつなぎ→→→→→→汚れてもいい、動きやすい労働のため。
こういう例は、動きやすいなどの、肉体的な実用性のみ特化している。
他の実用性として考えられるのは、「自分のイメージを作る」というのもあります。
白衣→→→看護婦さんやドクターの白衣(労働着+わかりやすい)
ユニフォーム全般→→→ある一定のグループ精神性を表現するものある。
また、そういう社会と自分のかかわりそのものだと、
スーツ→→→ちゃんとした人に見せるとか、
お正月の着物→→→伝統をリスペクトしている人に見える
また舞台衣装のように、その劇での役柄を表現するという実用性もありますね。
箱の服を思い浮かべてください。
これって???
もちろん実用性ではない。(着て歩けるけど。笑)
そして世間様との関係を直接表現してる服でもないし、、、、
じゃ、何との関係かというと、「空想の世界と自分の関わりを表現している服」だと言えるかもしれないです。
コスプレでアニメのキャラの服を着るというのがありますが、私の服の場合、それを着てみんなで集まったりして、楽しむというような立派なエンターテイメント的な目的があるわけでもない。。。。
これを着て、誰と気持ちをシェアするわけでもなく、
じっ、としてるっていうか? だからと言って、フェチとも違う。。。。
着る事自体を考えるというか。
着るとは何かを考える着用物!!
それを、ゲイジュツ作品?と呼ぶ???
ウェラブル・アート!、、、多分? そうでしょう。苦笑
洋服のイメージが強ければ強いほど、着る人は、それに閉じ込められてします。
その閉じ込め具合いの事を衣服の「強制力」とか「拘束力」と呼ぶ事にしました。
衣服というものは、着用すると
着る自分と着られる自分のふたつが、インスタントに発生する。
これが衣服の不思議な「強制力+矯正力」でありましょう。
もし、私の作品をみて、舞台衣装?ステージ衣装?と聞かれたら、
お答えは、イエス アンド ノー !!
私のドレスは、たしかに、ステージ衣装です。が。
パチ!パチ!パチ!パチ!パチ!
ありがとうございます。
このように、相成りまして〜〜。
そして、これを土台にして、衣服を「人間の体をを入れる容器」として考えていったら、いろいろと作りたいものが、またしても、広がってゆきました。(もうアイデアは無限や〜〜!)
容器、つまりそれは=入れ物。
それに、ただ入れるだけでなく、他の「機能」をもたせると、
それが、「装置」というものになるんだ!と思いついた。
これは面白いぜっ!
つまり入れ物自体が何か次のアクションに広がるようなものを搭載しているという事です。
ゲームで考えると、キャラが武器を持つみたいな感覚?かな?
そうすると、行動の可能性がぐっと広がり、その目的やイマジネイションの裾野も広がるではないか!!どこまででも、行ける!!
などなど、思案しながら、作っていったこの頃の作品をお見せします。
「自分と本との関係」それがこんな形になりました。。。。
これを着る事で「見る自分」と「見られる自分」が同時に派生する。
本というイメージに拘束される「自分」。。。。
開きますよ。
そして自分自身の体が本の中の登場人物になるという、オチ!
これを着て何かをする事で、物語が生まれて、自分がシアター化します。
もう見るからに身体の劇場化を試みています。苦笑
体が手品の箱みたいなイメージですで、彼の股間は扉になっていますよ。
この前の格言の続き。。。。
男の股間は 開けるか、閉めるかの2種類のみ。
一方。彼女の方は、下半身がカーテン。
女の下半身は台本にそって、演じられる。
以下。着用したところ。
このコンセプトから発展して、箱ではなくても、体の周りを囲うものだった、衣服として成立するか?やってみたのが、以下の2点です。
つまり、衣服の伝統的なパターンは脇において、この枠組みに布をつけ、服という限界にも挑戦してみました。
体の回りを布で囲っているもの。それが服だという事で考えると、ここまでいけました。
胸の部分は開け閉めできる。
この装置自体に段階があって、世界が広がってゆく。
しかし、それをコントロールするのは、「着る人」です。
着るものによって、自分のイメージを作る。
着るもので強制=矯正され、
そして、着るものを通して世界と向き合う。
着る人がいなければ、ただの抜け殻。。。。。。
これらは、箱から発展して、人間の身体が作品の中に入れる事で完成する。
それが「着る」という事だという、コンセプトに落ち着いた。
(ふーーーーー、、落ち着いてよかったです)
しかし。
一件落着だと思うと、スイッチが爆発するルンナであります!!!
悲しいかな、この落ち着けない性格。
そうこうしてるうちに、だんだん作品が溜まってゆき、
再び、キラッ!!
これらを一同に集めて、ランウェイで歩いてもらって、つまり
ファッション・ショーなるものをブチかましたら、
面白いのではないか?
次回はこのとんでもないファッション・ショーについてお話します!
L*