【トラウマ】料理&食事【最後の砦】
ども…意外と料理が得意なふくだです
この性格なので電子レンジは翌日に届いたのに未開封、ガス台は買ってもいなかったのですが、今日、ガス台が届いたので料理してみました
自分一人分てもしかしてほぼ初めてなのでは?くらいな
料理&食事を通してトラウマに少し変化が見られたので、いずれの摂食障害や食に難がある人に少しでも参考になれたら、と思います
意外と料理が得意
お菓子作りも得意で好き
しかし、今まで「食べてくれる人がいないなら作らなくていいし食べなくていいや」となりがちで、食はトラウマがバカでかなので中々取り組めずにいました
料理自体はかつてトラウマからの代償行為で文字通り死ぬほど国内外の料理番組を見たので知識もあるし実際に作ることも好きだし、食自体への興味はかなり強いです
だけど会食/外食恐怖特有の「残したらどうしようオバケ👻」や、「もったいないオバケ👻」「人としての終わりの烙印」などの背景のせいで「作っても食べられなかったらダメだし」という大きな心理的抵抗が働いていました
そしてあまりこの悩みの人がいないことから、誤解されたり理解されなかったり、そういった部分でかなり孤独でした
食べることって怖いとか意識しないですからね、普通は
今日は焼きそば
しかしソース焼きそばがあんま好きではない
あれば食べるけど自分が作るなら好きな味が良いし、とスーパーで逡巡して揃えてきました
誰でもそうだけど旬の野菜は理にかなっているし、その日の安い食材で作りたいのでスーパーを回りながら「どーしよっかなー」と思っていました
あと、電子レンジが無いので米のレンチンもできない
もっと言うと電子レンジはあるのだが開封していない
更に言うと炊飯器のご飯がダメなのでレンチン▶︎電子レンジない(いやあるが
ということで「麺にしよかー」となりました
食への潔癖
まぁ潔癖っていずれも強迫性障害の症状って思ってます
調べたことないけどどう見ても負の強化を起こしてるしメカニズム的にそれしかなくね?と
だから間違ってたらサーセン
玉ねぎとかわかりやすい
切ったら断面をラップでしっかり覆う
▼
それをビニール袋に入れて縛る
▼
ジップロックに入れる
冷蔵庫が玉ねぎの匂いが死ぬほどダメ
その流れなので必然的に野菜室がジップロックだらけになります
しかも私は生ゴミも潔癖なので作りながら捨ててシンク、コンロも全部掃除して、洗い物も食べたもの&フライパンを洗うだけにします
食べ残しを家に置いておくのも嫌なので、こういう季節とかは生ゴミを捨てる日まで冷凍庫に入れといたりもします
これは「すごいね」ではなく病的なので強迫性障害のひとつと思います
これを本当に人に言いたくなかった
わかってもらえる、わかろうとしてくれる人がいなかったから
だけどこうして正直に書けているのは文字通り相棒を始め、周りの人々のおかげだから言えるようになったのです
そして周りが理解を示して手伝おうとしてくれるその姿で、私も自分でできることはしよう、と思い始めました
結局、理解者なんだ、とわかりました
あまりにも今回の引っ越しで全員口を揃えて「…食べようね!」と言ってくれて、、、
▼相棒
需要は無いが焼きそば作り
ソース焼きそばあんま、なので使いません
手元にあった、買った調味料でどうにかしようと試みる
▶︎粉末だし
▶︎食べるラー油
▶︎めんつゆ
▶︎塩胡椒
▶︎料理酒
キッチンバットのお皿、良きです
周りの励まし
「残していいんだよ、夜は長いんだからだらだら食べたらいい」
やっぱり一人前は一度に食べられない
そうするとものすごい孤独というか、子供の頃に自家中毒(拒食)で食べられないのに、学校でも家でも「食べろ!」と言われて怒鳴られて殴られて外に放り出されたあの気持ちを思い出しますね、やっぱ
だから「食べられない私が全部悪いんだ」という認知が完成されてしまって、それが中々しぶとく治りません
これが認知の歪みですね
3年前にかなり良くはなれましたけど、いまだに人と食べることはすごくプレッシャーです
なのでできれば食べたくないのが本音
でも少しずつ改善もしたかった
今日、友達が「残していいんだよ」と言ってくれて、心の底から安心しました
当たり前かもしれないけど、それが当たり前で来れなかった、理解もままならなかった、だから言わなければいい、そこで人への拒絶がありました
そして何より「私ならそんな対応しないのにな」と思っていたその気持ちを理解して実際に行動してくれる人に出会えた、私は間違ってなかったんだ、という実感が一番大きいのかも
私のことを好きな人が沢山いるという実感
私のことなので認識上、脳内でそう思わせることは簡単なんです
だけどそれを実感させることは難しくて、だけど相棒のゆみさん始め、今の周りは
「一緒にがんばろー」
「隣でずっと「大丈夫」って囁いてやる」
こういう言葉をたくさんかけてもらえるようになって、その時に初めて「私はダメでも大丈夫で、ちゃんと愛される資格があるんだ」と実感レベルに来ることができました
わかりやすい我
ここ最近、実感できてきて、わかりやすく変わったことがあります
お腹がちゃんと減って、残してもちゃんと作れるようになれた
つまり、自分を大切にできるようになった、かなと思います
以前の一人暮らしはそんなに期間はありませんでしたが、恋人に作る以外はやりませんでした
でも今は「自分の稼ぎで生きてるし、私が潰れたら終わるから、ちゃんと食べなきゃ、みんなも隣にいてくれるし」と思えるようになってきました
私はそこ以外は自分を大切にできてると思いますし、この課題が最後の牙城だということもだいぶ前に理解していました
でも、今思うとそれは1人ではできなかった
だけどそれを伝えることも助けを求めることもできなかった
しかし今は信頼できて私のことを考えて動いてくれる人が沢山いると実感できているんだと思います
だから自分を大切にしようと思えるし、相手も大切にしようと思える
トラウマは簡単にはどうにもできません
私も治そうとは思ってないし、そこを力むと良くないからそう思っています
なぜならそこができなくても私には愛される資格があると今は無条件で思えているからです
摂食障害は根深いです
しかも体に深刻な影響も与えます
だけど、1人で取り組むのは、特に会食/外食恐怖は不可能に近いと思っています、少なくとも私は
人への不信感や猜疑心、憤りや悲しみ、辛さ全てがここにあるとも言えるからです
だけど少しずつ取り組んでいれば「大丈夫かもしれない」「あ、大丈夫だ」と思える日は来ます
私は他にもトラウマが結構あったのでその感覚がわかるんです
そして「思わぬことにトラウマや悩みを抱えている人もいるんだな」という自分の経験から人にも寛容になれる副産物も手にしました
このトラウマとうまく付き合って、もっと人に優しくしたいなと思いました
みんなが私にしてくれるように
おまけ
椎茸が安かったので一夜干しにしています
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