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エッセイとイタリアからのおいしいもの

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日々の何気ない事柄、ふと道で思いついたことを書き綴っている、そのエッセイとともに繰り出されるイタリア料理のレシピ。色々と考えていると結局何かおいしいものにたどり着きます。Prim…
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2020年5月の記事一覧

Formaggioの作り方

 いつも私が使っているイチョウの小さいまな板がある。これは私の実家の銀杏の木を切らなければならなくなった時に、父が切って、やすって、きれいにしたものだ。あの木はいつも2階の私の部屋から見える、本当に黄金に輝く、何か大きい浮遊体のようだった。父が幼い頃、昔はとても深く見えた、あの森で苗を見つけて、家の庭に植え替えたものらしい。(しかしその話は父本人が覚えておらず、誰が言ったのか、我が家に伝わっている話なだけで、真相は藪の中なのである。)  母は、父の思い出の木なんぞを感傷的に

Casa dolce casa

 義母は普段はローマに住んでいるが、よく実家に帰りたがって1ヶ月の半分ずつ2都市間を行き来している。電話をすると良く実家にいることが多い。 「今日は屋根にあれがいたのよ、あの鳥。なんだったけあの名前は・・・思い出せないわ。とにかくいたのよ!あの大きいのが!」 「お義母さん、Gabbiano(かもめ)でしょ?」 まるで初めて見たかのように彼女はいつも言うのだが、おそらく今回もかもめだろう。日本で自分の家でかもめを見かけたら相当驚くが、港町ではそう驚くことではない。なのに義

Aprile

 もう5月も末だが、今日はAprileについて語りたい。4月、エイプリルはNanni Moretti(ナン二・モレッティ)監督の映画である。私はナン二・モレッティのわりと初期の映画が大好きで、DVDで何回も見る。彼の映画は「息子の部屋」や「ローマ法王の休日」などが有名かもしれないけれども、昔の方がなんとなくしがらみがなく自由に素直に作っている感じがする。映画にはどれも彼自身が出ていることが多く、それもヒッチコック的なカメオ出演ではなく、ウッディアレンのように主役を自ら演じるこ

結婚主義〜恋愛主義〜それから

 今日は結婚記念日。厳密にいうと入籍をした日で、結婚式を行ったのは12月。なので私たちの両親たち(日本もイタリアも)は5月に入籍したことなんか覚えていないだろうし、私たちもどちらが結婚記念日というべきかいつも決めかねてのらりくらり、たまに忘れている時もある(やはり式がないと実感がない。当人たちが実感がないので誰もそんな実感ない)、もうサラダ記念日とあまり変わらない。とにかくその記念日だった。  結婚なんてつい六年前ぐらいは考えていなかった。そういうパートナーもいなかったし(

La torta di limone (レモンのケーキ)

 昨日は子供の一歳半記念だったので、レモンのケーキを焼いた。最近What'sappを始めた母にその写真を送ったら 「いつもそういうもの作ってるけど旦那さん太らない?」 というメールが返ってきた。孫への祝福の言葉も無かったことに加え、私のケーキの出来栄えに関する反応がそれのみでやはりちょっと嫌な気持ちになった。  やはり、というのはこれは彼女のお決まりの反応パターンなのである。安直な言葉で言ってしまえば、彼女は少し変なのである。私は表現の使い方が違うことを重々承知で、これ

なんてDolce!(さつまいものガトーショコラ)

 マスクをする生活になって残念なことがある。子供に対して私の表情がわかりにくくなったことだ。それにせっかく話しかけても、多分聞き取りづらい、それに話している時の口の動きを見せてあげることができない。これは子供の言葉の発達に酷く悪影響なのではと、気になっている。  しかし、外でもマスクを致し方なく外す瞬間が最近2つある。子供にたんぽぽの種を吹いて見せる時と、シャボン玉を吹く時だ。今子供と遊ぶ手段が限られている中、毎日の日課になっている。  この家に住んで3−4年になるが、最

AC:シンプルウーマン(野菜ストック術)

 今日は晴れた空の下、バリカンで髪を切った。なんて爽快。髪を切ると言う行動はどうしてこんなにもすっきりするのだろう。やっぱり髪って何かついているのかしら、と珍しくアミニズム的なことが頭をよぎるぐらい。  昨今行動範囲が限られて、経済的行動が限られるので、自分の身の回りにあるもので出来るだけなんでも解決するようになった。気づけばこれは私の理想的な姿にかなり近い。シンプルな生活の予感。  例えば、買い物に週1回しか行かないので、ビニール袋が減った。(マイバッグを持っていても、

Farinaが肌に触れる(北イタリアのパスタ)

 今朝は子どもと一緒に屋上へ出て、ヒッチコックの裏窓で覗かれるダンサーみたいな格好でストレッチをしていたら、やっぱりこの気持ちいい陽射しがもったいないなと思いはじめて、かけ布団を洗うことにした。真っ白の羽毛布団を四つ折りにして、浴槽の中で足踏みして洗うのは、うどんの生地が素肌に触れる感覚を思い出すような、そういう心地よさがあった。  私は粉が大好き。食べ物として好きなのもあるが、やはり自分でこねる時の感触がたまらない。いつもまとめて10kgぐらい様々な種類を買いおきし、和洋

AC:ヒッチコック裏窓チック(ポレンタのフリット)

 昨日も「ヒッチコックの『裏窓』でジェームス・スチュワートに覗かれているダンサーみたいな格好して、私は屋上でストレッチをしていた」みたいなこと書いたが、たぶん最近自分がよその人のうちを覗くことが多くなったから、知らず知らずのうちにそういう気分になっていたのだと思う。たぶん覗いているし、覗かれている。それを背中で感じながら行動している雰囲気。これって本来地域コミュニティにかつて当たり前のように根付いていた意識だと思う。  覗くというと語弊があるのかもしれないが、つまり今大人も

料理と真摯に向き合うこと

 先日マレーシアの友達がFacebook上にて、「Western foodは本当に早く作れるから、最近はWestern foodばかり作っている lol」みたいなことを書いていて、いやいや何言ってんだ君!って書き込みたかったところをグッと堪えた。しかし言いたいことを言わないとかえって疲れる気がしたのでここに書く。  私は声を大にして言いたい。あなた何言ってんの!!イタリア人とか、どんだけ時間かけて夕食作ってると思ってんの!夕食のために1日が始まると言っても過言ではない。(イ

Lost in translation(花クレソンのリゾット)

 うちの子はブランコが大好き。本当に遠くからブランコ目掛けて走っていって「うーっ!」と言いながらブランコを指差し、私に座れという。私はブランコの鎖を手で握らず肘で挟み、この子を膝の上に載せると、空を見上げてその時の空の様子を歌にして口ずさむ。夕方だったら、見え始めた白い月の歌とか、青空に松の幹の茶色が映えていたら松の幹茶色いの歌とか。だから毎回違う詩とメロディ(大抵短調)なのだが、なぜか息子は落ち着くらしく、8割型そのまま揺られて寝てしまう。  そういえば曇り空の日、私がま

イタリアのレストランの吉野家化もしくは一蘭化への危惧

 昨年末イタリアでクリスマスを過ごしている時は思ってもいなかった。まさかこんな報道のされ方でこの国が世界から注目されるときが来るとは。私たちが1月6日に北京経由で帰国した時、武漢で良くわからない肺炎が流行っているというのは小耳に挟んでいた。イタリアではそんなニュースはまだ全然報道されていなかったと思う。しかし今やイタリアのコロナ感染は把握されているだけでも感染者数223,885件、死者数31,160人と日本とは比べ物にならないぐらいのパンデミックだ。総人口60.6百万人と日本

Mammaとの約束(乾燥パスタの茹でかた)

 このコロナ騒動下、80歳の義母はローマのアパートで一人きり家に篭っている。そのことを思うと毎日気の毒で仕方ない。しかしもちろん高齢なので外には出て欲しくない。けれどもあの人は無駄に散歩して、出会した犬という犬に「bello? o bella?」と話しかけて、(『可愛い』を男性名名詞と女性名詞両方で聞いて、暗にオスかメスか尋ねている。AnconaのVittoria通りなんて犬の散歩だらけで、1mごとに立ち止まるので全然目的地につかない)何かにかこつけてすぐに銀行に行って、美容

ファッション化する料理 (Amor polenta)

 今日は少し悲しいことがあって珍しく心が沈む。心が沈むと文章は書けないのだろうか。そんな気もしていたが、とにかく書き始めてみる。もしかしたら書いているうちにテンションが上がっていくかもしれない。それに今朝読了したアガサ・クリスティーの「春にして君を離れ」がどうもシンクロしてしまっていたのだ。(あとがきは後で読んでみる。自分の感覚が他人に被せられて、知らず知らずのうちに自分の元ある感情が消えてしまいそうで怖いから)この小説はミステリーだけれども実際には何も起こらない。ずっと母で