Casa dolce casa
義母は普段はローマに住んでいるが、よく実家に帰りたがって1ヶ月の半分ずつ2都市間を行き来している。電話をすると良く実家にいることが多い。
「今日は屋根にあれがいたのよ、あの鳥。なんだったけあの名前は・・・思い出せないわ。とにかくいたのよ!あの大きいのが!」
「お義母さん、Gabbiano(かもめ)でしょ?」
まるで初めて見たかのように彼女はいつも言うのだが、おそらく今回もかもめだろう。日本で自分の家でかもめを見かけたら相当驚くが、港町ではそう驚くことではない。なのに義母は毎回とんでもないものを見たという感じで教えてくる。
「Madonna!(ええ!なんと!)あなたなんで分かるの!そんな単語よく知ってわねえ!Brava! 」
私はこの義母の大袈裟な反応「Madonna!」という口癖がたまらなく好きだ。どんな些細なことにも「Madonna!」という。Madonnaとはつまり聖母マリアのこと。決まり文句だから「聖母マリア!」なんて言っているつもりはもちろんないのだが、私はなんて仰々しいイタリア人なんだろう、といつも思ってしまう。何回聞いても大袈裟な感じが際立ってて可笑しくてしょうがない。私は「Madonna!」と言われたくて、何か少しでも驚かせることを考える。(夫の友達が、義母の物真似をする時に「Madonna!」と言うので、やはり一般のイタリア人よりも頻繁にあの人は言うのだろう)
それに私がびっくりしたのだ、夫の実家の屋上で一度かもめを見た時に。もう日が暮れる頃だった。なんとも悠然と、屋根の上に一本黄色い足で立っていて、橙と紫色の空、そして坂道が多いこの町だからこそのオレンジ色の屋根が並ぶ住宅街とをバックに、何か物思いに沈むようにたった一匹で、それはいた。私は家の中でかもめに出会したのも驚愕だったが、群れておらず静かに佇むかもめを初めて見た。鳴かないので最初は何の鳥だかわからなかった。今までで一番静かなかもめだった。
Home sweet homeとはよく聞くけれど、これはイタリア語ではCasa dolce casaという。前にも書いたことがあるが、イタリアの人たちは気づけば家のことばかり話していて、叔母があそこの家を売っただとか、あのCasa di mare(夏だけ行く海辺に保有している家のこと)のメンテナンスが大変だとか、あそこの町の家がなかなか売れないだとか・・・日本よりも当たり前のようにセカンドハウス、それ以上を持っている人たちが多い。やはり家族の絆が強く、その箱である家がとても大事にされているし、とても重要な”財産”として(金銭的な価値だけでなく)家族代々ずっと受け継がれるので、みんなベースとして立派な家をだいたい一つは持っているからだと思う。(定職についていなくても家があるから生活費はなんとかなるという人も多く、就職率が悪いとは言えども、日本とはまた状況が違うだろう。)立派と言っても、もちろんアメリカなどの方が広くて大きい一軒家などが多いと思うが、(イタリアの国土は日本よりも狭いので)イタリアはなんと言ってもその古さである。新しいものをあまり受け入れず、歴史的建築物をそのまま残し、そこに住み続ける。築100年などザラである。(日本で100年続いているお店などをイタリア人に紹介しても、反応が薄い。さすが歴史の桁が違う。)私たちが「東京で新築を建てた」と義母に報告したときは、Madonnaどころかあまり理解されなかった。(もはやMadonnaを言えないぐらい驚いていた)
もちろん一軒家も田舎には多いが、都会ではPalazzo(パラッツオ)と呼ばれる建物の一角に住んでいる人が多い。一般的な間取りとしては日本でいう2LDKというところだろうか。しかし一部屋がもっともっと広いし天井も高いので十分広々している。(私たちの家より大きい)本当に古びた建物で、しかし寂れたと言う印象はなく、きれい好きなイタリア人がせっせとメンテナンスしているからもう家全体が美術品のようで美しい。
夫の実家もやはり築100年のPalazzoである。イタリアの家が古いことの何が良いって、街に統一感があることだ。日本の街並みは電車から見たりすると、いろんなところからそれぞれの好き勝手な家がポコポコ建てられているので「バラバラだなー」と思うが、イタリアは大抵色とかデザインがさっと統一されている。しかし夫の実家がある大通りは面白くて、突然建築デザインが私でも分かるぐらいふっと変わるところがある。通りの中であるところを境にファシスト政権崩壊以前、以後としっかり別れているそうだ。あまりしっかり勉強をしていないので明確には言い表せないが、ファシスト以前の家の方が少し色合いやデザインがゴテゴテしておりもっと丸みを帯びているように思う。
実家は義父がアンティークコレクターであったことから、リビングは昔の宮殿さながらである。床も家具も暗めの木の目で統一されているので重厚な感じが漂う。この重厚さはふと、義父がそこのベルベット生地の椅子にまだ座っているような錯覚を覚えるほどだ。私ももともとアンティーク家具が好きなので、義父とはお話ししてみたかったなと思う。(けれど私のイタリア語が拙すぎて、イライラして怒られたかもしれない)
いつかここに住みたいと私は言っているのだが、家族たちはもう売りたいのだと言う。この町ではなかなか仕事を探しても見つけにくいし、みんな住環境、コミュニティがローマに移ってしまっているのだ。高齢の義母だけと言うわけにもいかない。
「お義母さんもこの家売りたいの?」と聞くと
「色々と古くてメンテナンスが大変だからね」と言うが、なんとなく自分の子供たちが言っていることを鸚鵡返ししているだけのようにも聞こえる。
しかし確かに一度、私が5日続けてお風呂にお湯をためて入ったとき、実家は大惨事となっていた。正確に言うと、我々がローマへ帰宅した後、実家の水道管から水が漏れて、下の階が大惨事になったのだ。下階は頑固そうだが品のあるおじいさんが一人暮らししていて、1月の冬真っ盛り、しかも祝日だと言うのにストーブが全て壊れてしまったのだ。私はかなりの罪悪感を覚えた。家族たちは習慣的にシャワーを浴びるだけで決してお風呂にお湯をためたりしないからだ。謝ってもしょうがないのだが、義母に何度も何度も謝った。
「あなたは悪くないわよ。もともと古かったからしょうがないの。やっぱりもうあの家は直さないと住めないのよ」
イタリアはPalazzoの管理人がいても特にこう言う時に何かやってくれるわけではなく、直接そのおじいさんから電話で義母のところに苦情がきた。とにかく義母は急いでもう一度来た道を一人で帰した。幸運にも、イタリアの祝日には珍しく(!)水道工事の業者が来てくれて、そのおじいさんは無事に(残りわずかであったが)穏やかな祝日を過ごせたのだった。その後、実家のお風呂場は全面的に改装がなされた。壁から洗面台から何から何までValentinoのシックなブルーのタイルで敷き詰められた、あの素敵な風呂場ももう無い。こうしてさすがのイタリアも少しずつ古いものがなくなっていく。
残念ながら今は州を超えることができないので、義母はいつも電話で、あの家の植物や水道管のことばかり心配している。(心配することが仕事みたいな人だ。)義母はあの家の話ばかりいつもしているようだが、実は彼女のあの家に対する思い入れみたいなものは、まだ一度も聞いたことがない。
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さて、夫の実家の近くにはPasta Shopといういろんな種類のパスタが売られているお惣菜屋さんがある。ピンクのエプロンをした化粧が少し濃いめのおばさんがいつも量り売りで売ってくれる。私はそこのほうれん草とリコッタチーズのCannelloniというパスタが好きで、いつも行くと「Cannelloni!」とそればかり注文してしまう。
Cannaというのはイタリア語で「管」のことで、こういう筒形のものは”Canna"が変形した単語であることが多い。このパスタも筒形で中にほうれん草とリコッタチーズをクリーム状にしたものを詰めて、上にベシャメルソース、パルメジャーノを載せてオーブンで焼く。乾燥パスタも売っているのだが、イタリア中部はこれを生パスタで作ることが多い。我が家もLasagnaを作った時にパスタが余ると、次の日はCannelloniにしたりする。
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※レシピ Ricetta
Cannelloni ricotta e spinaci(ほうれん草とリコッタのカンネッロー二)
ラザーニャと作り方はほとんど一緒なので、以下記事もご参考までに
<材料>
①詰め物
・ほうれん草 400g
・リコッタチーズ 200g
→この2つをフードプロセッサーで混ぜてクリーム状に。
②パスタ
・Farina00もしくは強力粉、薄力粉 200g
・卵 2個+卵黄1個
→パスタをこねて、平らに厚さ2mmに広げる。5x15cmの長方形に切り分ける。
③ベシャメルソース
・バター
・薄力粉 100g
・牛乳 500g
・塩少々
・マルサラ 大さじ3杯
・ナツメグ 少々
→バターと薄力粉を混ぜ、牛乳とマルサラで溶かす。ナツメグを少々追加。
②に①を線状に置き、海苔巻きみたいに筒状に巻く
それを容器に並べて③を塗り、最後にパルミジャーノを乗せ、オーブン200度で20分焼いたら完成。
Buon appetito!