詩)うつくしく生きることとは〜ぼくのなかのあなについて
私達男は、一生の大部分を、女の人への関心とかかはりあひで、むなしくつかひすててきた。 身分や境遇の屈辱的な立場に眼ざめた新しい女たちは、学校で、家庭で、職場で、男たちと対等にはりあふやうになりはしたが、 それはただ、男たちに背丈が届くといふだけのことで、 女の虚落は、埋めやうもない。むなしい故にひとしほに、あえかにうつくしい女の開花。 産みおとしたいのちを、むざんに殺める男たちの専断への女のかなしい憤り。 娘や、妻や、母の切れ目のない行列はどこまでもつづいて、 晴れの若さでかがやく美貌が、つぎつぎに受けわたされる。 それをながめては見送るだけで、しらぬまに十年、二十年が、私の一生が過ぎてしまひさうだ。
「女の一生を詩ふ」金子光晴より
ぼくのなかに まんまるのあながありまして
まっしろになったり まっくろになったり
あかいつきがうかんでいたり しろいわかれを
おもいだしたり。
ぼくのなかに まんまるのあながありまして
あまいにおい はちみつをこがしたような
すこししたで あいぶしてしまいました
うるうると ねっとりと ゆっくりと
ぼくのなかに まんまるのあながありまして
ときどきながいかみ あるときはとてもあかい
なだらかな そうっと なでて めでて
あなはときに こきゅうして からむので
ぼくはもう あなのなかで ほのかなゆめを
みつづけて いたい それがゆめだとしても
ゆっくり ずっと いつまでも
ひとつの あなが いつまでも
ぼくたちなかに まんまるのあながありまして
なかよくきょうも うたたねしたりして
すごしてみたいなあとおもっていて
もうわかくもないし
ぶらとにっくだよね とかってにあなになっとくしてもらいました
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