はも松 と 奈良「忍辱山円成寺」
少しずつ秋が深まるころ。
スーパーの立派な松茸を眺めながら、はも松 のことを思い出した。
昨年の十月。
何十年ぶりに訪れた大阪・堂島にあるホテルの日本料理店で、夫と同期入社の友人とその夫人、三組での懐かしき会食での席。
ちょうど鱧と松茸の土瓶蒸しが供されたとき、S氏が話してくれたのだった。
「これ、はも松というんだ。向田邦子と阿川弘之の対談にも出て来るんだけどね」
なんて粋な上方の食文化なのだろうと土瓶蒸しを味わいながら、しっかり胸に刻んだ単語が はも松 だ。
そして翌日の奈良での夫の先輩との食事で、はも松 のことを話題にした。
「ああ、関西では鱧鍋に淡路玉ねぎと松茸と鱧をいれたはずやで」
注文したはも鍋は玉ねぎと松茸とはもがお皿に並べられた はも松 で、二日続けての はも松 は深まる秋のころのキーワードとなった。
ちょうど一年前の写真データを見ていて、まだ note にこれらの写真を掲載していなかったなと思い、今更だけど、奈良の写真と合わせて、写真メインで辿る十月の風景として残すことにした。
大切な友たちとの、あの時代~1970年代から1980年代〜の様々な世相やそれらにまつわるエピソードなど話題は尽きることなく、深まる秋の日本の食を堪能し、ええなぁ、懐かしなぁ、大阪。
大阪の夜は更ける。
そしてこの旅のもう一つの目的は、忍辱山円成寺を訪れ、大日如来坐像にお会いすることだった。
半世紀前、夫の初任地だった奈良で、時間ができたら幾度となく寺に参拝し、一人、飽きることなく運慶二十歳代の像立の大日如来坐像の傍らにいたそうで、夫にとって「一番うつくしい仏像」だと誇らかに言う。
奈良を遠く離れ、夫にとって何十年ぶりの再訪、私は円成寺は初の参拝。
多宝塔などを拝み、境内に参拝客がいなくなった頃合いをみて、いよいよ大日如来坐像がいらっしゃる相應殿を訪れる。
(相應殿内は当然ながら撮影禁止なのでパンフレット画像を添付)
2017年12月から、大日如来坐像が安置されているお堂が、多宝塔から相應殿に変わっている。(東京国立博物館での運慶展の終了のタイミング)
多宝塔では桟の隙間からガラス越しに拝観していたらしいが、相應殿では正面だけではなく両側面からもお姿を拝むことが出来る。
運慶が康慶工房の図面を利用しながらも、造像過程で体幹部を約4度後傾させることで、運慶自身の大日如来像へと再構築したのではないかという上体の後傾も間近に拝観でき、机に置いてある美術本などの資料も読んだりしながら、小一時間そのお姿を拝んだのだった。
みずみずしく未来永劫の生命というものが体現された仏像に、清心さをいただき、相應殿を出て、庭園を散歩した。
夕刻から、奈良に住んでいたころよく行った酒房で夫の先輩と再会。
奈良二日目の朝、奈良女子大方面を散策。
それから馬の目に向かった。
(馬の目については昨年の旅の後、note に記事を書いています)
時間が止まったような、ノスタルジーの中にいるような余韻を抱いて、若草山から東大寺方面へと散策、近鉄奈良駅へゆるり、歩を進める。
あをによし 奈良の都は 咲く花の
薫ふがごとく 今盛りなり
小野老
遠くにいても、奈良を想うとき、いつも心には咲く花がある。
向田邦子全対談集 阿川弘之氏との対談。
最後は向田邦子の得意料理の梅そうめんの話になり、こう続く。
そして対談のあと、阿川弘之氏の風々録へと続く。
産卵を終えた鱧は、細った身を冬眠に向けて太らせる、それが鱧の第二の旬、秋深まるころ。
”はも松” のころ。
向田邦子作品をまた読み返している。