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はも松 と 奈良「忍辱山円成寺」 

少しずつ秋が深まるころ。
スーパーの立派な松茸を眺めながら、はも松 のことを思い出した。

向田 ・・・・・ 何を召し上がったかということも。まつたけとはものお鍋だったんですって?
阿川 ああ、あれはね、”はも松”といってね。まつたけのいい季節にちょうど秋はもがおいしくなるんです。はもと、こんな立派なまつたけと、それだけ土鍋に入れて、だしで煮て、すだちをちょっと落とすだけで食べる。
向田 聞いただけでうわぁ、すごく高そうって思ったんです。おいしいより前に。
阿川 季節が十月の一週間か十日ぐらいしかないんです。
向田 まつたけとはもがちょうど出会う時季ですね。とても微妙ですね。まだいただいたことないんです。
阿川 泣きたいぐらいうまいですよ。・・・・・

向田邦子全対談集 阿川弘之 より抜粋


昨年の十月。
何十年ぶりに訪れた大阪・堂島にあるホテルの日本料理店で、夫と同期入社の友人とその夫人、三組での懐かしき会食での席。
ちょうどはもと松茸の土瓶蒸しが供されたとき、S氏が話してくれたのだった。

「これ、はも松というんだ。向田邦子と阿川弘之の対談にも出て来るんだけどね」

なんて粋な上方の食文化なのだろうと土瓶蒸しを味わいながら、しっかり胸に刻んだ単語が はも松 だ。

そして翌日の奈良での夫の先輩との食事で、はも松 のことを話題にした。

「ああ、関西でははも鍋に淡路玉ねぎと松茸とはもをいれたはずやで」

注文したはも鍋は玉ねぎと松茸とはもがお皿に並べられた はも松 で、二日続けての はも松 は深まる秋のころのキーワードとなった。

ちょうど一年前の写真データを見ていて、まだ note にこれらの写真を掲載していなかったなと思い、今更だけど、奈良の写真と合わせて、写真メインで辿たどる十月の風景として残すことにした。


1991年まで堂島にあった毎日新聞大阪本社の跡地
旧毎日新聞大阪本社正面玄関モニュメント


ホテル エルセラーン大阪

日本料理「桂」

松茸、青菜、菊のお浸し



はも松 土瓶蒸し
猪口ちょこにスダチをしぼり、それからだしを注いで味わいます









大切な友たちとの、あの時代~1970年代から1980年代〜の様々な世相やそれらにまつわるエピソードなど話題は尽きることなく、深まる秋の日本の食を堪能し、ええなぁ、懐かしなぁ、大阪。
大阪の夜は更ける。


そしてこの旅のもう一つの目的は、忍辱山にんにくせん円成寺えんじょうじを訪れ、大日如来坐像だいにちにょらいざぞうにお会いすることだった。

半世紀前、夫の初任地だった奈良で、時間ができたら幾度となく寺に参拝し、一人、飽きることなく運慶二十歳代の像立大日如来坐像だいにちにょらいざぞうの傍らにいたそうで、夫にとって「一番うつくしい仏像」だと誇らかに言う。

奈良を遠く離れ、夫にとって何十年ぶりの再訪、私は円成寺は初の参拝。


朝大阪を出発し、近鉄奈良駅前のバス停からお昼過ぎのバスで訪れる
バスから見て、一目で気に入って昼食をいただきに立ち寄る


忍辱山 里食堂
親戚でお昼ご飯をご馳走になっているような懐かしい定食
滋味定食にほっこり


楼門 重要文化財
文正元年1446年応仁の兵火により焼失し
応仁2年1468年再建


風雪を耐えた忍辱山にんにくせんの扁額を彩る紅葉


本堂(阿弥陀堂) 重要文化財


春日造社殿両庇付寝殿造阿弥陀堂
堂内には御本尊阿弥陀如来坐像、四天王立像、
御堂、経蔵、局には十一面観音立像寺宝が安置されている
半世紀前に夫が参拝していたころはこの堂内の暗い中に、多くの仏像といっしょに 大日如来坐像だいにちにょらいざぞうがいらっしゃったそうで
その存在感は絶句するほどだったそうだ


境内から楼門を眺める
様々な精緻な浮彫が施された楼門


多宝塔などを拝み、境内に参拝客がいなくなった頃合いをみて、いよいよ大日如来坐像だいにちにょらいざぞうがいらっしゃる相應殿を訪れる。

(相應殿内は当然ながら撮影禁止なのでパンフレット画像を添付)

忍辱山にんにくせん円成寺えんじょうじ発行 パンフレット "円成寺”
表紙

結んだ智拳印のアップだけでみなぎる溌剌さ、力強さが伝わってくる
運慶の現存する最初の遺作


忍辱山にんにくせん円成寺えんじょうじ発行 パンフレット "円成寺” 
大日如来坐像だいにちにょらいざぞう


2017年12月から、大日如来坐像が安置されているお堂が、多宝塔から相應殿に変わっている。(東京国立博物館での運慶展の終了のタイミング)
多宝塔では桟の隙間からガラス越しに拝観していたらしいが、相應殿では正面だけではなく両側面からもお姿を拝むことが出来る。
運慶が康慶工房の図面を利用しながらも、造像過程で体幹部を約4度後傾させることで、運慶自身の大日如来像へと再構築したのではないかという上体の後傾も間近に拝観でき、机に置いてある美術本などの資料も読んだりしながら、小一時間そのお姿を拝んだのだった。
みずみずしく未来永劫の生命というものが体現された仏像に、清心さをいただき、相應殿を出て、庭園を散歩した。



走りの紅葉のころ
澄んだ空気 秋の青空

夕刻から、奈良に住んでいたころよく行った酒房で夫の先輩と再会。



奈良での はも松
はも
玉ねぎ、はも、松茸、スダチ


卓上ではも鍋を味わい奈良の酒を酌み交わす
あの頃の思い出や近況など話も弾む


奈良二日目の朝、奈良女子大方面を散策。



ちょうど講義が始まるところだった


それから馬の目に向かった。

奈良旅の大きな楽しみが馬の目での食事


(馬の目については昨年の旅の後、note に記事を書いています)


時間が止まったような、ノスタルジーの中にいるような余韻を抱いて、若草山から東大寺方面へと散策、近鉄奈良駅へゆるり、歩を進める。

東大寺二月堂


二月堂裏参道


「旧奈良県知事公舎」をリノベーションした 紫翠しすいラグジュアリーコレクションホテル奈良に併設
茶寮「世世」
お茶の時間は終わっていて残念…
次回の奈良旅ではここでお茶したい!


あをによし 奈良の都は 咲く花の 
にほふがごとく 今盛りなり

小野老おののおゆ

遠くにいても、奈良を想うとき、いつも心には咲く花がある。


画像はお借りしました


私が大日如来坐像を初めて拝んだのは運慶展だった
東京国立博物館の展覧会で一番感銘を受けた展覧会が運慶展だった





向田邦子全対談集 阿川弘之氏との対談。
最後は向田邦子の得意料理の梅そうめんの話になり、こう続く。

阿川 あなた聞かすだけじゃなくて、食わしてくれたらどうかね。
向田 そんな。簡単すぎちゃって申し訳ないです。
阿川 その代わり”はも松”をご馳走するからさ。
向田 うわあー。はしたない声を出してお恥ずかしい。


そして対談のあと、阿川弘之氏の風々録へと続く。

・・・・・ 三遍しか会つたことのない女流作家の急死に、何故なぜかうセンチメンタルな感慨が湧くのかよく分らないが、たつた一度の対談以来、自分で意識してゐる以上の向田ファンに私もなりかけてゐたらしい。・・・・・

阿川弘之 風々録より引用
対談は「ミセス」昭和56年  8月号掲載
向田邦子さんの不慮の死は同年8月22日


産卵を終えた鱧は、細った身を冬眠に向けて太らせる、それが鱧の第二の旬、秋深まるころ。
”はも松” のころ。

向田邦子作品をまた読み返している。


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