「酸味」と「苦味」
珈琲豆の味について語る時、「酸味」と「苦味」を避けては通れない。
焙煎前の生豆(なままめ)は、すり潰して舐めたら酸っぱい味がする。
だから当然、焙煎が浅いほど仕上がるコーヒーも酸っぱい。
そして世界各国のどんな栽培種の豆も深く焙煎すれば苦くなる。
だからどんな珈琲にも「酸味」と「苦味」が共存している。
しかし、珈琲という飲料の主成分であるカフェインであるが故、どんな珈琲であっても飲料としては「苦い」ものであり、それはカフェインが本来「毒」であるということに起因している。
人間の体は「毒」を苦いものとして認識する。 事実カフェインは、コーヒーノキが虫などから自らの身を守るために体にまとった毒だ。このため、コーヒーノキは樹木としては異例なほど寿命が短いが、種子が残る確率が高く生存圏を速く広めることが出来る。
本来毒であるカフェインを、ある種の興奮剤として摂取することを人類は覚えたが、やはり味覚はそれを恐る恐る味わう。だからそもそも、苦味を理解するのは相応の経験が必要だ。たくさん飲まないと、そこに潜んでいる複雑な香味はわからないものなのである。
その上苦味というやつは、それが毒であるがゆえに、その味覚の快感を誰かと共有する言葉を纏う代わりに、なぜわざわざ苦いものを飲むのかという「自己」を前面化させる。
誰にとっても美味しいボンゴレビアンコは存在しても、万人に旨いコーヒーはきっと無い。
自分のためのコーヒーを選ぶことができるのは自分だけなのだと思う。
それがどれほどの情熱を注いで焙煎され、丁寧に抽出されたものなのかを頼りにできるだけ多くのコーヒーを飲んでみて欲しい。
いつかきっと「腑に落ちる」コーヒーに出会う日がくるはずだ。