海洋国家日本の構想
どうも、犬井です。
今回紹介する本は、高坂正堯(=1934〜1996)の『海洋国家日本の構想』(1965)です。本書は日本を代表する国際政治学者高坂正堯が、29歳から30歳の時に書いた7編の論文を収めた処女作です。今から55年前に出版されたものではあるものの、その内容は今なお色あせることがなく、一部に見られるその後の日本を見通すかのような先見性には唸るものがあります。
それでは以下で、簡単ではありますが内容をまとめていこうと思います。
*
現実主義者の平和論
私は、中立ということが今日あまりにもシンボル的に使われすぎることを残念にも、危険にも思う。なぜなら、中立は国際秩序の達成への過程の一つにすぎず、また、極東の勢力均衡を破り、権力政治的な平和に波乱を起こす恐れがあるからである。日本外交の目的は中立よりはむしろ、極東の緊張の緩和にあると思う。そのほうが、具体的でもあり、現実的でもある。そこで、現実主義者としての立場から、極東の緊張の緩和のための方策を簡単に列記してみたい。
1. 中共との国交の正常化
これが実現しなければ、極東の緊張を緩和するための交渉すらできない。実現の方法として、一挙に承認する方法と、現に日本が行いつつあると自認している段階的な方法はともに可能である。もちろん、台湾の問題は非常な難問を提出するが、このことについては、日本は沈黙することが最も賢明だと思う。早晩、中国人自身が問題を解決するだろうし、あるいは、国際連合における世論が解決のために重要な役割を演ずるであろう。
2. 朝鮮半島における兵力削減。朝鮮の統一は武力的手段によって行わないという協定
台湾については沈黙し、朝鮮については積極的に発言するのは矛盾だと言われるかもしれないが、しかし朝鮮の場合には南北朝鮮ともに政党の政府たることを主張しうる現実の基盤を持っているが、台湾の場合はそれが疑わしい。日本の安全にとって、朝鮮は台湾よりもはるかに重要である。
3. 日本の非核武装宣言
自衛隊承認決議とこの非核武装宣言を組み合わせるならば、自衛隊の地位を正常化するとともに、日本の非侵略的意図を明らかにする効果を持つであろう。憲法第9条について硬直した姿勢を取り続けることは、かえって自衛隊に法的規制を与えることを困難にさせ、野放しにしてしまうことを恐れる。
4. ロカルノ方式の議論の充実
勢力均衡の中心点である朝鮮をどのような形で条約に加えるかが大きな問題となってくる。また、不可侵条約を締結することが望ましいことは事実であっても、不可侵条約だけに安全保障を見いだすことが賢明かどうかは疑問の余地がある。
5. 日本からの米軍撤退と勢力均衡の維持
日本が戦争に巻き込まれる率を減少させる必要がある。また、日本とアメリカの友好関係をどういう形で続けるかを検討しなくてはならない。
核の挑戦と日本
バックス・ラッソ・アメリカーナの健全を示すあらゆる数字にも関わらず、フランスと中国はそれに挑戦している。それはなぜに可能なのであろうか。
私はその理由を核兵器の特異な性格に求めたいと思う。核兵器こそ、その巨大な力ゆえに超強国の軍事的優越を中級国家の比較的軽微な軍事力によって容易に中和されうるものとしたからである。ガロア曰く、核兵器は「飽和状態」に達することが極めて早く、そして根本的な技術的革新が容易に起こりえない武器である。その結果、フランスと中国はアメリカとソ連にその防衛を依存しなくてもよいようになるし、したがってアメリカやソ連に反して自己を主張することもできる。
これを踏まえ、日本の安全保障はいかにあるべきであろうか。この問題に対して、ガロアは日本独自の核兵器開発の必要性を述べている。このガロアの主張の正当性を検討する上で、核兵器使用の「代価」を考えなければならない。「代価」とは相手の反撃から受ける損害だけでなく、破壊そのもののマイナスの効果を全て含めた概念である。核時代においては、公然たる戦争を行いながら、その「代価」を制限することは困難である。少なくとも、戦争がいつの間にか拡大していく危険が存在する以上、暴力の行使の「代価」は予測できない。
ここにこそ、中級国家の通常兵力と同盟の意義があるのだ。軍事力行使の「代価」の全般的上昇のゆえに、現在ほど、より強い国がより弱い国を攻撃したいときはないのだ。特にアメリカとの間に適切な友好関係があるならば、たとえ中国がかなり侵略的であっても、中国が攻撃してくることはないであろう。何故なら、その場合、暴力行使の「代価」が予測不可能だからである。アメリカは助けに来ないかもしれない。しかし、戦争の進展によっては助けにくくるかもしれないのである。それは「代価」の予測を不可能ならしめる。
かくて日本の安全保障は核兵器を持つことなく、かつ現在の軍備を強化することなしに保障されるであろう。力の役割と必要性を認める立場から、アメリカとの適切な協力関係を続け、日本自身は間接侵略に有効に対処するだけの能力を持てば安全は保障されうることを私は主張したい。
戦後日本の功罪
戦後日本の経済立国主義に妥当性を与えている理由として二つ挙げられる。
一つは、核兵器の出現によって、軍事力がその具体的有効性と、倫理的正当性を失い始めたことである。このことは日本の世論によってしっかりと把握され、再軍備反対の理論歴基礎を与え、本格的な軍備を日本が持つことを制約する最大の要因となった。
二つ目は、日本が第七艦隊という強力な盾によって守られているという事実である。日本がアメリカの軍事力の傘に入っている以上、日本が独自の軍事努力を行うことは、その必要もなかったし、その意味もなかった。だから、我々が、軍事力を日本が持つことの無意味さを意識し、その非正当性を正面に掲げて、軍事努力をできるだけ制限し、経済発展に励むことになったのは当然であったかもしれない。
しかし、戦後の政策は極めて賢明な政策であったにも関わらず、アメリカへの追随と自己主張の放棄という犠牲を伴わなくてはならなかった。それは敗戦後の国民心理と結びついて、対外関係はお付き合いにとどめ、国内経済発展に全力をあげるという態度を生み出すことになったのである。
我々は、経済発展のみに注視するばかりで、それ以外の世界をきわめようとする意欲と行動力に全くかけているのだ。日本は、認識と行動の基礎でもある視野の広がりと、その広がりをきわめようとする意欲とを、失ってしまったのである。
この問題はまだ重大な形をとって現れていないが、いずれ現実的な問題となって現れてくるであろう。アメリカの「力」の傘が日本を覆っているうちはまだよい。しかし、その傘が有効ではなくなったとき、それは問題となるのだ。
日本は海洋国として独自の力を持たなくてはならないのに、それも持っていない。その場合、我々はガロアが指摘した対米従属か対中従属のいずれかに追い込まれるだろう。それは10年以上先のことではあるに違いない。しかし、それに対する対策は今から立てておかなくてはならない。
海洋国家日本の構想
まずは我々は、視野の広さを回復しなければならない。そして、大きな構想力を持ち、10年後の世界政治がどのような力を中心に展開しているかを考え、長期的な施策を立てていかなくてはならないのである。そこには、もちろん不確定の要因が入り、当て推量も含まれるであろう、しかし、我々はそれを論じなければならないのだ。
私は施策の一つとして、海の開発を推したい。海は残されたフロンティアとして、今後重要性を増大させてくるであろう。開発のためには、大規模な科学的基礎調査が必要であろうから、その費用と人材は、公的資金と海上自衛隊を中心に請け負うのがよい。これはかなり思い切ったことではあるが、10年後にはその効果を現し始めているに違いない。
こうした施策の必要性と効果は、現在はそれほど明らかではないかもしれない。確かに、それは未知の要因を含んではいる。しかし、我々に現在最も必要なのは、この未知のものを求める視野の広がりなのである。
*
あとがき
「われわれ(=日本)は隣り合っているが東洋ではなく、「飛び離れた西」ではあるが西洋ではない」という地政学的視点から、日本の歴史や国際政治での立ち位置を論じた本書は、時代は違えど、地理的条件が変わらないため、現代でも通ずるところが多く見られる良著でした。
それにしても、その後の日本が「対米従属か対中従属か」の二者択一ではなく、「対米従属も対中従属も」を選択するという、高坂正堯ですら予見できない未来に進んだことは、誇るべきか誇るべきでないか分からない複雑な気持ちになりますね。
では。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?