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戦争体験を後世に伝える責任


はじめに

私は戦後生まれの、戦争を知らない子供たちと呼ばれた世代です。
しかし、戦争のことを語る人は周りに多かった世代でもあります。
中国人に助けられた話も多く聞きました。

私たちが、戦争体験者と共に生きることができる時間は残りわずかです。 あなたの身の周りにそのような方はいませんか?
それとも、もう遅かったですか?

私の近くには田原さんがいました。
お話をお聞きすると、彼ほど強烈に、「日本人が残酷で、無責任なことができる」ことを体験をした方を知りません。
敵を恨んでいる話は聞きました。
しかし、田原さんの日本の大人に騙されたという証言は衝撃でした。

アイヒマン(ユダヤ人をガス室に送った責任者)裁判で、個人だったらとてもできない残酷なことが、組織だったらできることが明らかにされました。
なお、温家宝首相の来日時の演説でこの出来事に触れ、半藤一利が「ソ連が満州に侵攻した夏」に引用したとのことです。

話の発端

今から9年前、2015年の話です。
単行本「ソ満国境 15歳の夏」原作者の田原さんは当時御年85歳で、中国語教室での私の同級生でした。
彼の本が映画になると聞いて、中国の友人記者に取材してもらいました。

私には田原さんがご存命のうちに取材して欲しいと焦りに似た気持ちがありました。
私は戦争を知らない子供たちと言われた戦後の生まれ。
田原さんたちは、多感な中学生時代に戦争を経験した最後の人たちです。
その人たちがどんどん世を去り、戦争体験直接を聞く機会が少なくなっていきます。
今のうちにお話しを聞いておきたいと焦る気持ちがありました。

なぜ戦争体験を伝えたいのか?

 戦争をしてはいけないと後世に伝えたいからです。 戦争体験者は誰もが戦争に反対です。
 体験者でなくても 、田原さんの話を聞けば、戦争の現実がこんなに苛酷で、現場の責任者がこれほどまでに残酷で無責任になれるのか、決して戦争をしてはならないということがよく分かります。
 生々しく説得力のある言葉で語ることができるのは体験者です。
 国民の多くが勇ましいプロパガンダに飲み込まれて、「戦争反対」と思っても言えない雰囲気に飲み込まれてはならないと骨に髄に染みているのは彼らです。
 戦争体験は戦争の最大の抑止力です。
 その体験者がこの世を去ってしまう。
 同時に、戦争の抑止力が失せてしまう、そんな時が近い。
 今の時代に生きる我々は、戦争体験者から直接話を聞くことができる最後の世代です。
 残り時間は多くない、それが出来るのは我々だけだからとの責任を自覚しなければなりません。

 若い新聞記者の友人には、なぜ急ぐのか それを説明できないまま焦る気持ちだけが伝わってしまった。
 今我々がやるべきことは何か、それは戦争体験を後世に伝えることです。

映画のパンフレット

 2015.8.1 田原さん原作の映画「ソ満国境 15歳の夏」が初上映されました。

映画の概要

 田原さんは、新京第一中学校クラスの120名の生徒たちと共に、ソ連と満州の国境近くの最前線の農場に実習生として派遣されました。
 時は終戦直前。既に関東軍の撤退が決まっていたのです。
 即ち、関東軍は生徒たちを置き去りにして撤退したのです。
 彼らはソ連軍の侵攻を知り、一人の教員と共に暑い中を歩き続けた末、ソ連軍の捕虜になり、寒くなってから放り出されるように解放され、中国人に助けられながら日本に帰ったという実話です。
 彼らを助け、食料の少ない中で宿を提供してくれたのは、黒竜江省の石岩鎭村(今の石頭村)の人たちでした。

 新宿のK's cinemaという85席しかない小さな映画館でした。
 私が中国人記者に代わって出席しました。
 9時45分に到着して切符を買うと、71番でした。
 しばらくするとチケットは完売となり、「満員御礼」と書かれた看板が掲げられました。
 上映後の式典には監督の松島氏、田原氏、若手俳優6名が参加しました。
 なお、この年の夏の戦争関係TV番組は、松嶋菜々子と西島秀俊が主演する「レッドクロス~女たちの赤紙~」でした。

映画上映日の田原さん

取材

 8月4日、友人記者は田原さんのご自宅で3回目の取材を行いました。
「田原さんのお家はとても素敵で、奥様もとても素敵な方です」    「映画の開会式の写真や、田原さんが60歳で黒竜江省の石岩鎭村にお礼に行った時の写真が欲しかった」と私に。
 8月6日、友人記者から「記事は環球時報で報道されることになったので、後で送るよ。」

書いた記事と掲載された記事の文章が違う!

 その後送られてきた記事は友人記者の文章と違った。環球時報の編集者が彼女の文章の一部を削り、原稿にない文章が加えられたのだという。
 加えられた文章は「日本の映画やTV番組は被害者の立場でのみ描いており、加害者の立場での反省がない」という批判的意見でした。
 だから、彼女は新聞記事を田原さんに送れないという。

环球时报 第3676期 2015年8月6日 星期四 要填醬 赵晓松 美編 本报驻日本特派记者贾文婷

 以下を中国語(簡体)→日本語でGoogke翻訳して、読んでみて下さい。

战后70年,日本影视缺反思

侵华背景被“忽略”“战争创伤”成主题
 "罕见反 侵华战争”的日本电视剧《红十字~女人的人伍令》(以下简称《红十字》)近日引发中国网民关注,这部“战地护土戏”,月初首播后在日本的收視率也不错,在日本各界都密集纪念战后70年的同时,该国也在今夏陆续推出多部以二战为背景的影视作品不过,像《红十字》这样对侵华战争反省的作品实属少数。
中国人救日本人被搬上银幕
 8月1日,以同名小说改编的影片《苏满边境,15岁的夏天》(以下简称苏满边境》)在东京首映,这部以日本华战争末期中国东北为舞台的作品,在日本受到的关注度并不高。
 《苏满边境》(海报如图)采取倒叙手法,在2011年东日本大地震中失去采
访器材的15岁中学生吉川,为完成夏天最后一项采访任务赴中国东北石岩镇,
听那里的村长讲述了1945年120名日本中学生如何在日军投降后,从中苏边流
逃往长春的故事。片中中国村民在极度困难的情况下,仍对“敌国的孩子”给
予很多帮助。
 日本电影网站“Natalie”透露,《苏满边境》2009年开始筹备后,曾因“中国反日情绪爆发”影响拍摄进度:《苏满边境》小说原作者,事件亲历者田原和夫1日在电影首映式上表示,希望影片可以让观众重新思考战争的残酷性,他《对《环球时报》记者说,非常感谢当年中国村民的“一饭之恩”
 参加《苏满边境》首映的观众有84人,有青年日本观众观影后对《环球时
报》记者说,影片从15岁少年的视角出发,有利于现在的日本青少年了解战争
的残酷性,也有日本观众认为,《苏满边境》让观众明白,战争中日本对中国造
成伤害,而中国人民还能以德报怨。
 《红十字》“传递人道主义精神”
 《苏满边境》得到的好评不少,但该片目前仅在东京、大阪和名古屋的三
•座影院小范围上映。除专业电影网站外, 少有日本媒体对该片进行报
道日本《每日新闻》认为,《苏满边境》中部分情节“太善良”,是影片的瑕疵
 《与《苏满边境》相比,同样聚焦于侵华战争的《红十字》人气好得太多。调查显示,该剧1日、2日的收视率分别达到8.2%和10.7%在日本社交网站上,也有不少讨论《红十字》的留言,大部分日本网民认为该片反映了生命与和平的珍
 贵,是符合纪念战后70周年意义的经典之作,有日本网民说,剧中女主角们提
“最后无奈”被派往战场的人:面临最糟糕的战况,她们在战场是只能成为“单纯
的消耗品”。
 参演《红十字》的中国演员黄实认为,这部电视剧表达了“跨越国界的博
爱和人道主义精神”,中国人救了日本人,日本护士救了中国军人。也有日本
网民认为,看过《红十字》才知道,并非所有的中国人都仇日,“许多善良的中
国人将日本孩子当做自己的孩子养育”。
 主人公多是“受害者”
今夏日本播出的纪念战后70年影视作品还包括电视剧《和妻子一起飞的敢
死队员》《第一列电车运行》和电影《日本最长的一天》《妈妈的树》等。不过这些作品,多聚焦“日本方面的战争创“伤”,突出本国也是“受害者”的身份,
缺少对侵略行为的反思。
 《第一列电车运行》由日本实力男星阿部宽主演,讲述了广岛遭原子弹轰
炸后,电车在变成焦土的街道上恢复运行的过程,剧中的主角坚信“电车运行
能让广岛复活”;《和妻子一起飞的敢死队员》中,一对夫妇为“阻止苏联红军
虐杀日本平民”,而一起乘上战斗机;《日本最长的一天》讲述日本决定无条件
投降前夕,主战派、主和派之间的博弈;《妈妈的树》以母爱为主题,讲述日
本母亲为被派往战场的孩子各种一棵栢桐树,以祈祷他们平安的故事。
  此外,借战后70周年,1970年美日合拍的《虎虎虎》等二战老片也通过重
新发售蓝光光盘等形式“借商机。

環球時報記事を活字化

別の紙面に全文掲載

 その後、彼女は原稿を人民網に送り、2015.9.30全文が掲載されました。終戦記念日からかなり遅れての掲載です。
 私はそれを印刷し、掲載が遅れたおわびを添えて田原さんに送りました。
 田原さんは環球時報の記事を知らないと思います。

2015.9.30 人民網 取材記者の原稿そのまま掲載

田原さんが我々の中国語クラスで映画の概要を説明

 「大人たちはなぜ子供たちに何も知らせず前線に送り、日本人を守るべき軍隊が子供たちを置き去りにして逃げたのか、誰が決めたのか、その理由は何か、と当時の関係者に聞いて回った。彼らは誰もが『上が・上が・・・』と言うばかりだ。天皇が我々を最前線に送ったはずがない。我々の近くの誰かが決めたはずだ。と探し回った。しかし、彼らは責任転嫁するばかりで真の責任者は誰か分からなかった。」

 映画の監督・脚本・脚色の日大松島哲也教授は、この戦時の国民守護責任体制を2011.3.11東日本大震災の原発の安全管理責任体制に重ねて描き、主人公に「大人たちはこんな残酷なことをして、誰も責任を取ろうとしない」と言わせています。
 現在、平和になったと言われている日本で、こんなことはもう二度と起こらないと言えるのだろうか、またこのようなことをやってしまうのではないか、と問いかけています。

最後に

 何も知らない子供を最前線に送り込み、軍隊は先に逃げてしまう。
 こんな残酷な計画をする人も、その計画を承認する人も、個人なら誰もする人はいないでしょう(と信じたい)。
 繰り返しになりますが、この記事で伝えたいのは「組織になると残酷なことをして、誰も責任を取ろうとしなくなる」ということです。
 戦時だからではありません、イスラエルやハマスやロシアだからではありません。
 日本で実際に起こったことなのです。
 そしていつまた同じことが起こるかわからないのです。
 今起こっているかも知れないのです。

あなたへのお願い

 前項で書いたことは戦時という特殊な状況だけのこととは思えません。
 今、実際に起きていて知らないだけかも知れません。
 この記事を「戦時にはこんな酷いことがあったのか」と読むだけではなく、「実際に近くで起きていないか」と思いを巡らしていただきたい。
 もし危険を感じたらあなたのnoteに書いて、note民に注意を促していただきたい。
 それが事実だと確認出来たら通報していただきたい。

 例えば、2024.3.11朝日新聞の「訪問介護事業30%赤字」の記事です。
「高利益率理由に報酬減 中小は苦境」だそうです。
 予算を絞る側から見れば、30%が赤字でも、高利益率を問題視です。
「現場を知らない誰かが予算を削減、それが原因で生死に関わる問題が起こって、誰も責任を取らないということはないか」という怖さを感じました。

2015.8.15朝日新聞 横浜版
中国関係者への映画製作経緯説明資料


映画ポスター




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