酒のある幸せ
大伴旅人の歌がある。
験なき物を思はずは一坏の
濁れる酒を飲むべきあるらし
豊臣秀吉が聚楽第から伏見城に移ると、大規模な都市計画で城下が賑やかになる。慶長四年(1599)の『多聞院日記』(奈良興福寺塔頭多聞院で代々記された日記)巻四五によると
伏見ヨリ五明二本来了、伏見酒二駄遣之、賃一斗四升遣之
(慶長四年正月二五日条)
おなじく『多聞院日記』巻四五に
甚八伏見迄同道、之酒買可申候、一斗二付三匁ツゝ、
常如院ノ酒一斗取候て遣候。
呑クラへ申候、二色ニ取可申候 (同年二月朔日条)
などと、「伏見酒」「伏見樽」などの名称が窺える。
今日は滅多に行けぬ憧れの地・伏見の酒に思いを馳せる。
月曜日だが、許せ。
伏見と云えば坂本龍馬と寺田屋事件。
お龍が駆け込んだ薩摩藩伏見屋敷。
その跡地には、月桂冠関連会社の松山酒造(大正一二年創業)が蔵を構えた。一度酒造としての生産を終えたが、二〇二三年正月から酒造りを復活させたそうです。
あたらしい銘柄「十石」が誕生していた。
まだ吞んだこと、ないですき。
伏見の酒は過去から現在、そして未来に繋がっていく。
いやや、たまるか。
ちくと伏見まで、一杯やりに行きたい気分になったがじゃ。
日本は季節を愛で花鳥風月を肴に盃を傾けられる国。
増税で酒が我が家の生活必需品じゃないから、妙に肝臓が不自然に健康。
寂しい限りですな……。。。