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あの朝 (掌握小説)

(597文字)

 青い空き瓶は、何の瓶だったんだろう。
 林檎小屋を改造した家の、流しの錆びた小さな棚に乗っていた。
 
 あの朝も様々なものが空中に弧を描いた。
 ベトナム戦争で壊れた米国人。
 田舎町にいた外人は指さされるのに疲れ、笑われるのに疲れ、職を失うのに疲れていた。
 小さな村で母はなぜか駆け落ちして不義の子を産んだことになっていた。不義の、混血児。
 朝日が瓶を透かすその移ろいだけを飽きもせずに見ていた子供。
 子猫はなぜいなくなったろう。確かにいたのに。

 幹線道路脇にあった小屋の裏手、雨ざらしの林檎箱に座らされた。壊れた目をした父親が去ってゆく言い訳を並べ立てる。
 わたしはただ、その瞳の抜けるような青さに見惚れていた。

    

 安ダイナーのパートに慣れ、わたしはビールサーバーを掃除し終えた。
 ホールに出ると正面から痩せた老人が、トイレに向かう。
 すれ違いざま「ちっ」と舌打ちが聞こえ、ぶつかった体が粘着質に揺れた。大戦の古傷から出たひゃっくりみたいな舌打ちだった。

 制服のまま駐車場に出ると空き瓶が影を落として転がっている。
 ぽつり、と呟いたような影だった。

 アパートに帰り蛇口から汲んだ冷たい水を飲む。
 駐車場の空き瓶は何色だったか。

 途端に4歳の子供と目が合った。
 放物線に分割された空間を、青い光が満たしてゆく。

 薄汚れた道路に打ち捨てられたままの子守唄みたいに、わたしはむせび泣いた。

 
 


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