子育てエッセイ : 加害者側か被害者側かの何方か1つの発想しか持たない日本人 加害者も被害者も同じ1人の人間が演じているという発想
僕は20代後半から40歳手前まで企業の海外営業部でヨーロッパのお客様の担当をしていた。
ヨーロッパに出張に行き、ヨーロッパの人たちと話しをしていて痛感したことがある。
日本人は加害者側か被害者側かの何方か1つの発想しかしないが、ヨーロッパの人たちはこれプラス
加害者も被害者も同じ1人の人間が両方を演じているかもしれないという発想をするということだ。
これが日本人とヨーロッパの人たちの違いだ。
今SNS上で、コロナのワクチンの有害性が指摘されているのと同時に、接種した人はその情報に怯え、未接種の人たちは接種した人たちを馬鹿にし、差別までしているのを時々見かける。
つまりみんな、接種側か未接種側の何方か1つの立場からしか主張していないし考えてもいない。
1人の人間が、ワクチンの有害性を指摘する情報と映像を、そして、未接種の人たちの状況と映像の両方を流しているかもしれない、という発想がない。
もし1人の人間が両方の情報を流しているとしたら
それは何のために?という発想になる。
そして、その観点から考えて行けば、まるっきり別の何かが見えて来るかもしれない。
日本人は世界一扱いやすい民族と言われる所以は、
ここにあるような気がする。
日本人は何かの情報を流せば、その情報に踊らされ
また、違う情報を流せばその情報に踊らされる。
確かに、こんなに扱いやすい国民は世界中を探しても他にないかもしれない。
恋愛でも同じだ。
ある女性が彼に振られた。でもその女性は彼と別れたくて、振られるように彼に嫌われるようなことをしていたのかもしれない。
だとすると、失恋したのは彼の方ということにもなる。
つまり、この女性はその恋愛における被害者ではあるが加害者でもあると言えると思う。
学校の授業では教えてくれないことがある。
これもその1つだと思う。
学校の授業で教えてくれないのなら、僕たち親ひとりひとりが子どもにこの発想を教えなくてはいけないと思う。
何方か片側の立場でしか物事を考えないでいると
物事の本質まで辿り着くことは出来ないと思う。
物事は光の部分と影の部分の両方がある。
光だけの物も影だけの物もない。
光が当たれば必ず影が出来る。
人は影の部分を見ようとしない。
当たり前のことだが、人は自分の影を殆ど気にしない。道を歩いていても常に自分の影が出来ていることを、忘れてしまっている。
だが、全ての人には影がある、自分にも影がある
物事全てには光と影がある。両方が1つになっていることの方が自然だ。
子育ても教育も光ばかりではなく影も教えなくてはいけない。
自分の子どもに影を教えることは決して楽しいことではない。
僕は個人的に自分の子どもに影を教えるのは、父親の役割だと思う。