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『我が家の新しい読書論』8-2

網口渓太
 多読は可能な限りコンディションが良い時に始めたいね。落ち込んでいる
ときとか、悩んでいるときとか、何とかしなきゃって義務感に縛られている
ときだと、遊びになんないから。調子の良い時に、そこに何が足りなかった
のか、そこがスタートラインになる。ちょっと横になって、休息をとろっか。

EMちゃん
 そういえば以前、横になって心臓を休めることが大事って、坂口恭平さん
がX(前Twitter)で呟いていたわ。記憶しておきたかったからノートにとっ
ておいたんだけど、あ、これこれ。

女性21歳
 女「今、息が苦しくて」
 私「あのね、それ、悩みが問題じゃなくて、まずは息が苦しいんだよ」
 女「はい」
 私「それはね、発作と言って、発作ってことはね、一つしかないの、つま
  り、心臓が発作を起こしてるのね」
 女「はい」
 私「どうすれば良いかわかる?」
 女「わかりません」
 私「心臓が発作を起こしているときは、まずは横になるのね。横になって
  る?」
 女「いや、落ち着かなくて家をうろうろしてます」
 私「それをやると余計心臓困るから横になろうね」
 女「はい」
 私「どうかな」
 女「確かに少し楽です。でも、まだ落ち着きがなくて」
 私「心臓が横になるとポンプ役をしなくて良いから少しずつ楽になるから、
  さらに楽にしてあげる方法を教えるね」
 女「はい」
 私「次は深呼吸の方法ね。深呼吸の方法知ってる?」
 女「いや知りません。息を大きく吸うんですよね?」
 私「吸いすぎると過呼吸になっちゃうからまずはね」
 女「はい」
 私「ゆっくり長く、ファーって腹から声出すような感じで、息をながーく
  吐いてみよっつか」
 女「ファーー~ーー」
 私「もっとゆっくりながーく」
 女「フ
  ァ―~~~~~~~~~~~~~」
 私「そうそう。じゃ、吸ってみて」
 女「スー」
 私「で、またゆっくり吐いてみて」
 女「ファ~~~~~~~~~~~」
 私「うまいじゃん。どうかな?」
 女「なんか少し楽です。何でですか?」
 私「あなたの意識が今心臓を休ませようということに向いてるからだよ。
  そうしないと心臓は休めないから。心臓に意識もっと向けてあげてみて」
 女「はい」
 私「深呼吸が落ち着いたら、今度はね、考え方も心臓の負担になるから」
 女「考えかた?」
 私「そう。ずっと反省とか後悔ばかりしてるでしょ」
 女「だって、私何やってもうまくいかないし下手だし友達もいないしお金
  もないし」
 私「そうやって自分を攻撃すると心臓が危険を察知してまた動くからね」
 女「はい」
 私「ばくばくしてるでしょう」
 女「はい」
 私「心臓に負担をかけないようにするために、体調が落ち着いたら抱えて
  いる問題を解決するから、今は一切反省と後悔をやめよっか」
 女「でも自分を肯定できなくて」
 私「肯定なんか無理しなくても良いよ。そうじゃなくて、否定したり反省
  したりをやめるだけ」
 女「はい」
 私「反省はあとで一緒にしよう」
 女「はい」
 私「どうかな」
 女「あとで一緒にするならあ、確かに今はやめます」
 私「そうそう。やめて、まずは心臓を整えてからじゃないと問題は何も解
  決しないから、横になって深呼吸して反省やめてゆっくり休もうか」
 女「はい」
 私「寝なきゃと思うと休めないじゃん」
 女「そうですね。何かしなくちゃと焦っちゃって」
 私「そうじゃなくてね。寝なきゃじゃなくて、心臓を休めると考え方を移
  してみて。心臓を休めるためには横になることしかないから。だから自
  信を持ってたっぷり横になって心臓を休ませてみて。そう思うと寝てて
  も嫌じゃないよ」
 女「そうかも」
 私「どうせ治ったら、体が自然と起きるし、動機が激しいのも落ち着くか
  ら。そうしたら、何でも考えられるし、今みたいに全てが悪いことしか
  考えられないのは、心臓が休みたいからそうしてるだけだから、きっと
  いいアイデアも生まれるはず。とりあえず数日横になってみて。寝なく
  て良いから」
 女「はい」

ESくん
 なるほどね。横になっただけだけど、確かに息が楽かも。

EMちゃん
 楽ね。たしかにあの本を読んだんだったら、この本も読まなきゃって感じで、義務感に駆られてモチベーションがあがらない読書ってちょくちょくあるわ。

網口渓太
 学問の専門性を追求するのは専門家のお仕事だから。むしろ読書はお洒落するくらいの遊び感覚でいい。本は服だから。骨格にウェーブとかストレートとかナチュラルとかあるように、思考にもひとりひとりクセとかタイプがあるじゃない。自分の個性に似合う本を、洋服を合わせるように見つけようとしてみるともう楽しいんだよね。自分のクセに似合う本を探すの楽しそうでしょう?出来るだけ洒落た人になりたいじゃない。

ESくん
 しかもその線でいけば、本が集まってくると、洋服と同じように自分らし
いクローゼットができてくるよね。そして、本を持って出かけてみると。

EMちゃん
 「書を持って町へ出よう」ね(笑) それじゃあ、本屋さんで立ち読みする
のは試着ね。イエベな本、ブルべな本っていう風に色で見立ててみるのも面白そう。

網口渓太
 うん、良い感じ。フォーマルな場所や人に会うときは、そこに似合う本を
持っていくし、カジュアルな場所だったら、たとえば、みうらじゅんさんと
いとうせいこうさんの『見仏記』と仏像のイラストが入ったTシャツをクロ
ーゼットから取り出してきてみたいな(笑) 好きなものならなおさら楽しい
よね。

ESくん
 しかも、本ってだいたいTシャツより安いし。コスパもかなりいい。

網口渓太
 着るだから、買った本の内容を無理に頭に叩き込まなくてもいいんだよ。本に直接書き込んでマーキングしたり、付箋を貼ったり、角を折ったり、汚せば汚すほど、チェックが特別な目印になって、記憶が向こうの方から降りて来るよ。

EMちゃん
 汚せば汚すほど。ダメージジーンズみたいね(笑) だったら、あたしはデコりたいかも。

ESくん
 それって「依代(よりしろ)」っぽいね。降りてくるって何かいいな。

網口渓太
 横になってリラックスしてるからか、新しい読書文化を考えるに当たって、一番コアな話に触れてるな。家おすすめの読書術は浅田彰先生がかつて「ツマミ食い読書術」って紹介されていた方法と感覚が近いよ。

 「やっとチャート式受験参考書から解放されたんだ、これからはじっくり
と腰をおちつけて古典と対話することを心がけるように」なんてことをバカ
のひとつおぼえみたいに繰り返す教師がいて、なぜかそういうヤツにかぎっ
て受験体制に責任のある立場にいたりするから不思議なんだけど、これまた
不思議なことに、いるんですよねェ、そういうおコトバをありがたく信じち
ゃうヒトが。で、マルクスだのハイデガーだのを一時間に一ページって割合
で「深読み」しては、腕組みなんかして「ウウム、やっぱり古典は深い」な
んて言ってんの。ま、そんなのたいてい一か月とはもたないけどね。そうい
えば六月の今頃って新入生やなんかが一通り「挫折」しおわる頃合じゃない
かしらん。これじゃあどう見たって「解放された」ことになってないよね。
 むろん、チャート式受験参考書がいいってんじゃないよ。受験体制に即し
てあらかじめ範囲を限定されたインスタント公害食品から解放されて、森の
木の実でも毒キノコでも勝手にツマミ食いできるようになる。これは絶対に
必要なことだ。だけど、それ、あくまでもツマミ食いでいいんだよね。「じ
っくりと腰をおちつけて」なんていう必要はない、通りすがりで十分だ、た
だし毒がないか匂いを調べるなんて小心なマネなんかせず、ガブッと一口か
じってみること。で、これはイケルと思ったら、気軽にチャート化してカー
ドにしちゃうこと。
 ハイデガーが森に隠棲して推敲を重ねて書いた本だからといって、電車の
中で拾い読みして悪いことはない。マルクスの『資本論』なんて、どう見て
も寝ころがって読むようにできてる、しかも、そうやって拾い読みすると実
に面白いんだな、これが。
 むろん、そんな風だと、一文一句を味読し心に刻むなんてことにはならな
い。自分なりにパッとつかまえたものをチャート化して理解するわけ。いか
にもチャート式世代にふさわしい軽薄さだって言われそうだけど、いいじゃ
ない。ハッキリ言って、本なんかそうしないと使いものにならないんだよ
ね。で、プラグマティズムと混同される危険を承知の上で言えば、本ってのも結局は道具箱として自由に使うために読むものなんだと思う。
 そういうチャートをカードにしちゃうって言ったけど、「知的生産の技
術」とやらを勧めようって気は毛頭ないからね。知的生産は徹底した知的浪
費からしか生まれない。それを知らないから、あんな能天気なことが言って
られるんだ。むしろ、頭の中のカード、すぐにどっかへ行っちゃうけれど思
わぬときにヒョイと出てくるようなカードの方がいい。
 それはトランプのカードのように軽やかに扱ってみること。何もかもゴチ
ャマゼにシャッフルした上で、そこから新たにスゴイ組み合わせが出てくる
可能性に賭けること。これがチャート式《知のギャンブル術》の方法ならざ
る方法なのだ。何てったって、寝っころがったままできるんだもの、こんな
いい方法ってんばいんじゃない?

『逃走論 スキゾ・キッズの冒険』浅田彰

ESくん
 まさに今ボクら、寝っころがりながら読んでんじゃん。浅田先生の影響で、渓太くんはよく家で横になりながら、本読んでんだ。

網口渓太
 いや、たまたまなんだけど。ちなみに勝海舟もよく横になって、活動してたらしい(笑)

ESくん
 へぇ、勝海舟って、たしか「急いでも仕方がない。寝ころんで待つ」みたいな名言があったよね。

EMちゃん
 ダンディね。浅田先生が幕末の志士に思えて来るわ。先生が言うなら、お
言葉に甘えて、もうちょっと寝ていましょ。

ESくん
 ボクはちょっと辞書で、ひらがなの「ゆ」の意味でも調べるか。浅田先生に肖って、ツマミ食い。

 語源説には自由な連想や思いつきもあるとしても、深層心理学にとっては
このような連想こそ重要な手がかりです。そこでこの、ユという音が意味す
るところを、漢語を構成して「ゆ」と読ませる漢字を並べて俯瞰してみるな
ら、面白い思想のあることが分かります。『日本国語大辞典』(小学館)か
ら「ゆ」の音で読まれる漢字をあげておきましょう。これは、「ゆ」の境地
に関する緩いが強力な例証なのですが、見たことがあっても、使ったことの
ない未使用の漢語では価値がないし、「ゆ」と読めないのでは意味がないの
で、知っていて読めるものしか引用しないことにし、三分の一くらい削除し
ました。読者がこれまで使われたものやこれ以上に知っているものが抜けて
いると感じられたなら、典拠は公刊の書物ですから読者が付け加えたらよい
と思います。

 (1)由の類
   「由」よりどころ。いわれ。わけ。「油」あぶら。「柚」みかん科
   の常緑樹。
 (4)兪の類
   「愉」たのしむ。たのしい。よろこばしい。「諭」みちびく。さと
   す。さとる。「輸」他へ移す。はこぶ。おくる。「喩」①おしえさ
   とす。さとる。さとす。②たとえる。たとえ。「揄」からかう。
   「癒」病気やきずがなおる。いえる。
 (5)その他
   「遊」あそぶ。自由に歩きまわる。

 このようにして「ゆ」や、加えて裕、優、雄、有、由など「ゆう」と読ま
せる漢字の意味を渉猟して得られる大きな発見は、人間や人間関係における
ポジティブな経験をカバーしていることです。これを私見で総合するなら、
根拠と余裕をもち自己中心的で、人目を気にしない「私」は内側から大きな
広がりをもって湧出して「ある」のです。これを支える「ゆるみ」「ゆるし」
が基本的条件になって揃うと、私たちは「私がいる」「自分がいる」と感じ、
時に「極楽、極楽」と言う人もいます。つまり、私たちは「ゆ」の中で生ま
れるこういう楽観的な感覚を基盤に、心の痛みや疲れを癒して生きているの
だと思うのです。

『意味としての心 「私」の精神分析用語辞典』北山修

 ほんと言葉って面白いな。意味がズレながらも、関係付けられている。

EMちゃん
 ちょっと貸して。あぁ、ここもいいじゃない。

 そして、この「ゆ」の境地が意義深いのは、それに冷める(覚める)とい
う現実回帰や覚醒があるからです。患者さんたちは、この「ゆ」の経験をい
けないもの、許されないものとしている場合や、遠ざけられていることが多
いのです。ゆるんだ状態を禁止されていると感じる多くの神経症者たちに共
通するのは、その自己中心性や尊大さが批判されるという心配や、覚める際
の恐怖が生じることでしょう。また、その身を収納する体(殻だ)や「心の
皮膚」がないために「ゆ」に近づけない人や、傷に滲みるために「ゆ」につ
かれない人もいて、それらは「ゆ」の剥奪や喪失のケースだと言えるでしょ
う。そして、「斎」を「ゆ」と読んで、神聖清浄を意味することがあり、そ
ういう「ゆ」とは畏怖すべき意味を持ち、「ゆ」が過剰になると「ゆゆし
き」となって非常事態となるようです。さらに「ゆゆしき」は例によって意
味がぶれる言葉で、賞賛の意味で使われることが興味深いところです。そし
て、臨床的には「癒(ユ)」が求められるのですが、ここに精神分析の言
う、退行regressionを経た進行progressionの意味で自然治癒や現実的な洞察
の可能性を想定できるのです。

『意味としての心 「私」の精神分析用語辞典』北山修

 まずは自分が誰かに着せられている制服に気が付くことが大事なんでしょ
うね。私は、自由なファッションを身に付けて、何度でも目を覚ます体験を
していきたいわね。

網口渓太
 コンディションが上がってきたじゃん。もうちょっと転がったら、起きましょうか

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