ミステリー誌「ジャーロ」創刊秘話
note読者の皆様、こんにちは。
関東もいよいよ梅雨入りですが、いかがお過ごしでしょうか。
ジャーロ編集部は、ただいま次号の制作真っ只中!
同時に、6月新刊の見本完成を今か今かと待っています。
さて、初投稿で簡単に自己紹介をしたものの……
まだお伝えしきれていないことがあるのではと案じています。
そこで、何回かに分けて、引き続き自己紹介を続けることにしました。ジャーロの「謎」をテーマに、切り口を探っていくつもりです。
それでは、しばしお付き合いください。
「ミステリー専門誌」の謎
こちらは、初投稿の第一文。
早速この中から「謎」につながりそうなものを探してみます。
無理やり「ミステリー」に繋げるならば、3行目の「色々な紆余曲折」に”過去の因縁”や”動機”がありまして…と続けられそうですが、今回は措いておきましょう。
それよりも、「謎」を含んでいる部分が冒頭にあるんです。それは、なぜ2000年に光文社が新たな「ミステリー専門誌」を始めたのか? という疑問。これについては、公式サイトでも深く語られていません。
光文社の文芸作品といえば、たしかに、「カッパ・ノベルス」ブームに際して人気ミステリー作品を多く輩出してきました。
しかしそれらと親和性の高い媒体には、歴史ある小説誌「小説宝石」が既に存在しています。
また、ご存じのとおり、光文社の会社規模はそれほど大きくありません。(俗にいう三大出版社に比べて、知名度はぐっと控えめです)
近年、多くの方が抱く弊社イメージは、「VERY」に代表されるファッション誌や「女性自身」のような週刊誌、どちらも女性をターゲットにしたものが占めるのではないかと思われます。
そんな社内の文芸局において、ミステリー専門誌が突然、自然発生的に誕生したとは考えにくい。なにか理由があったと思いませんか。
書庫を探ると……
ジャーロという「ミステリー専門誌」は、いかにして始まったのか。
これを知るには、やはりバックナンバーを遡るのが一番でしょう。早速、編集部の書棚をご紹介します。
ここには、61号までしかなかった……。
続いて、同じフロアの原本室と呼ばれる書庫を覗いてみます。
バックナンバーが!
しばしバックナンバーを読み耽ってしまいましたが、ここで気がつきました。
あったけど、23号以前はここにもない……。文芸局の刊行書籍がすべて保管されている書庫のはずなのに。
【解決編】社内インタビュー
書庫に保管されていた最古の「ジャーロ」は2006年春号。
創刊は2000年9月ですから、約6年間の「ジャーロ」のバックナンバーがすっぽり抜けていることになります。
なぜ6年分のバックナンバーが置かれていないのか?
まさに「謎」が「謎」を呼ぶ展開。創刊に立ち会っていない者としては、完全にお手上げです。こうなっては歴史を知る人物に直接聞くしかありません。
「ジャーロ」創刊から立ち会っている、編集部の堀内さんに「謎」をぶつけてみました。
***
ーーよろしくお願いします。今回のnoteではジャーロ創刊の「謎」を明かそうと思っています。創刊時からジャーロにいらしたんですよね?
堀内 そう。正確にはジャーロ創刊の前から。創刊前に1年ほど準備期間がありましたから。
ーーなるほど。その準備期間に「ミステリー専門誌」にしようと決まったわけですか?
堀内 違う違う。ジャーロ創刊の20年以上前から「ミステリー専門誌」であることは決まってましたよ。
ーー20年以上前? それはつまり……
堀内 「EQ」です。
ーー「EQ」……。光文社が出していた雑誌ですね。
堀内 本国では「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」、通称「EQMM」。その日本版が「EQ」。これが休刊し、新たに生まれ変わる形で始まったのが「ジャーロ」です。2008年頃までは、表紙にも「EQ Extra」というタイトルが入っているでしょう。
ーーなるほど。「ジャーロ」は「EQ」の後継誌であって、突然始まったわけではないと。
でも、「EQ」は翻訳ミステリの小説誌ですよね?
堀内 たしかに「EQ」は翻訳ミステリが中心でした。ただ、休刊する1999年頃には、国内ミステリーを少しずつ掲載し始めていたんですよ。
あの頃はミステリー界の過渡期だったように思いますね。それまで翻訳作品を受容することの多かった日本のミステリー、特に本格ミステリーが、90年代に入って翻訳作品に十分に匹敵するものへと成熟していった。第一に作家の皆さんによるところが大きいと思いますし、同時に読者も、どんどん高い水準の国内本格ミステリーを求めるようになっていき、「EQ」から変革する必要があったんです。
ーーだから「ジャーロ」と形を変えて、「EQ」を受け継いだと。
堀内 そう。「ジャーロ」を創刊して、日本人作家の作品を増やしていこうと。特に本格ミステリーを志す作家さんの作品でね。
ーー新創刊の「ジャーロ」で作品依頼をするのは特別な苦労があったのではないですか? 国内作家さんからすると、周りは翻訳ミステリーばかりになるような……。
堀内 たしかに創刊当時は掲載作品の半分くらいが翻訳ものだったかな。「EQMM」との契約は続いてたんで。巻頭に海外ミステリー作家のグラビアが載ってたりしたほどで。
でも、翻訳ミステリーがお好きな日本の作家さんは、むしろ喜んでくれた方が多かったですよ。僕自身、日本人作家さんに新規の依頼をするための人員として入ったようなところもあるし、依頼は楽しくしていました。
ちなみに当時でいうと、東京創元社が刊行していた『創元推理』『創元推理21』『ミステリーズ!』(後継誌は現『紙魚の手帖』)の一連の小説誌が、ライバル誌として一番テイストが近かったかもしれない。
ーー現在のように、「ジャーロ」に掲載される作品が国内ミステリーが中心になったのはいつごろからですか?
堀内 2005年頃には、そうなっていたんじゃないかな。どうだろう。
でも、「EQ」が「ジャーロ」になって、翻訳から国内ミステリーへ移行して完了、ではなく、そのあとも少しずつ変化していると思いますよ。
ミステリー界も10年単位で見ると変容し続けているものです。求められる作品が変わるし、同じ作者であっても読者と時代に合わせて作品の質が変わっていく。「ジャーロ」でいえば、創刊当時は本格ミステリー志向だったものが、近年では広義のミステリーに移り変わっていますよね。
ーーそうですね。初投稿でも「広義のミステリー」とお伝えしました。
堀内 読者とのやり取りを受け止めて示していくのが小説誌の役割だと思うんで、これからも「ジャーロ」は変化していけばいいと思うんですよ。
ーー積極的に変化する小説誌ということですね。
……ちなみに、書庫に創刊号が置かれていませんがが、この理由はご存じですか?
堀内 それはきっと、当時のジャーロ編集部が、日本の小説を扱う部門に所属していなかったからでは? 読者の皆さんには関係のないことで恐縮ですが、「ジャーロ」「EQ」は、もともと「翻訳編集部」という、日本の文芸とは別の部署から刊行されていたんで保管場所が違ったんでしょう。カッパ・ノベルスとは、まったく別の源流といいますか。
ーー翻訳編集部……。
堀内 機構改変で色々変わっているけど、現在でいうと「古典新訳文庫」を刊行している部署ですね。
ーー「ジャーロ」って「古典新訳」に関係があったんですか。
堀内 そうそう。だって「EQ」まで遡ればどちらも「翻訳」が仕事でしょう。だから兄弟っていうか、遠い親戚っていうか。
ーーわかるような、わからないような。
堀内 ちなみに、ジャーロ創刊号は別フロアの資料室に合本版がありますよ。
ーー資料室に行ってみます。ありがとうございます。
おかげさまで「謎」が解けました。
***
なぜ、ジャーロが2000年に「ミステリー専門誌」として創刊されたのか。
その答えは、前身となる「EQ」にありました。読書好きの皆様には、少し簡単な「謎」だったかもしれません。
資料たち
その後、資料室に原本を確認しに行きました。
当時を覚えている方はいらっしゃるでしょうか?
いかがでしたでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。