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母は不幸という罪悪感

母との生活はわたしにとっては修行だ。

わたしたちの共通の話題は
食べること、猫が好きなこと。

本当にそれだけ。

それ以外は見事に話が噛み合わない🈚

そして、味の好みも合わない。

今でこそ、母好みの味つけや料理を出すので
食べるようになったが
最初の1年目は
わたしの料理は精進料理と呼び、箸をつけず
スーパーの惣菜をおいしそうに食べていた。
傷ついた。


成人式の家族写真


基本的に、炊事・洗濯・掃除はわたしの担当で
母は細かく指摘、非難する。


そんな母の口癖はため息とともに
「大学まで行かせたのは意味がなかった」
「小さい頃はかわいかったのに。」
「ダンナに似て変わった子だねぇ」


わたしのせいで母は不幸せなんだ
無意識に
わたしは思っていた。


頑張っても認めてくれない母。


母に笑ってほしくて
母に喜んでほしくて
でも認めてくれない。

物心ついたときから
母が喜ぶ顔をみたことはなく、
いつも不機嫌で、顔を歪めて
わたしを困った子、疲れる子と呼ぶ。


母がいつも不幸せなのはわたしのせい。


そういう罪悪感があった。

そして、罪悪感を消すために
自分を犠牲にしてた


インドで一緒に過ごした心の友に言われて
ハッとした。

母親を幸せにしようって
傲慢な考え方だと。

え?!傲慢?😳私が?
最初は驚いたが

確かにそうだ。

母が幸せか不幸せか
誰にも分からない。
不機嫌そうに見えて幸せかもしれない。


ダラムサラのナムギャル寺に行く坂道には
道路脇にずらっと 物乞いたちが並ぶ。

「あの物乞いたち、自分のこと不幸だと思ってると思う?」

インド人と思しき四肢の無い彼らは
犬より身長が低い。
スケボーで移動し足で食事を食べる。

四肢がないから可哀想
なんて不幸な人生

その人の幸不幸はその人が決めるもの。
財産や見た目では分からないのだ。


ダラムサラの坂道

インドから帰って2ヶ月したとき、友人の話と母への思いが結びついた瞬間があった。

母がいつも不機嫌で文句タレなのは
わたしのせいではない。

母が幸せかどうかは本人がどう感じてるかだ。
母は可哀想ではない。
やっと理解した。

わたしがやることで
母が少しでも笑顔になればいい。
母が幸せそうじゃなくても、
わたしの好意を拒否したとしても
わたし自身の価値はある。
大丈夫。わたしはわたし👌

母が不幸そうなのはわたしのせいではない。
顔を歪めてわたしを非難するのも
彼女の生き方なのだ。

それに気づいた時、涙が止まらなかった。
小さい頃からだいぶ傷ついて来たんだなと。

ヴィパッサナー瞑想での気づきを
外側の世界で体感した。

インナーチャイルドが癒されたのかもなー。
ナムナム