【タイで考えてみた】 現代消費シャブ社会を生きる。
前回タイに来たのが1990年代。
そこには「1960年代の日本の風景」があった。
それは「ノスタルジーが物質化して目の前にある」という現象で、誰がなんと言おうと「やはり日本は1960年代の方が圧倒的に魅力的だ」ということをハッキリとこの目で確認した。
目の前に現物があるのだから間違いないのだ。
そして、あれから30年が経った。
タイは「1990年代初頭の日本」すなわち「バブル期の日本」になっていた。
街には新車が溢れ(みんな私より遥かにいい車に乗ってる)、高層ビルがそびえ立ち、街にはアメリカ資本のチェーン店が軒を連ねる。
結論から言うと、かなり落胆した。
「資本主義というシャブ」が完全に蔓延し尽くして、貧しいけれども楽しいね、という「ノスタルジックな風景」は消えていた。
辛うじて、街には屋台やボロ食堂があり、少し街を離れればバラック小屋が建ち並んでいるのだが、これらは「最後のノスタルジー」となって消滅への道をまっしぐらであろう。
現在の日本から振り返れば自ずと分かる話だ。
そんな私が何故キューバに入れ込んでいるのかと言うと、
キューバは「最後の非麻薬中毒患者」だからだ。
資本主義消費社会シャブにやられてないから、新車を買う必要も無いし、建物を建て替える必要も無い。
「発展する経済」なんてもちろん不要である。
在るモノを利用し、在るモノだけで暮らしていく。
昨日も今日も明日も、さして変わらない。
資本主義消費社会シャブ中毒者には耐えがたい生活であろう。
しかし、「消費シャブ中毒者が失ったモノ」が確実にキューバにはある。
「それ」は、かつての日本やタイも持っていたモノだが、現金と引き換えに売っ払ってしまった。
「それ」は、一度売っ払ってしまっら二度と買い戻せない。
その売っ払った金で、新車や新築住宅や最新のモードや著名レストランやらの「消費シャブ」を買って打ちまくる。
打ち過ぎて効きが悪くなれば、野外フェス、三ツ星ホテル、泡で乾杯、ヴィーガン、SNSやらの「クラックやスピードボール」の様な新たなドラッグがプッシャーから回ってくる。
一度ハマったら消費シャブを抜くのは難しいだろう。
そんな私も消費シャブを打たれてしまっているし。
とはいえ、
その反動で「現代ヒッピー」みたいになるのも抵抗がある。
地方移住、ヘンプに無農薬栽培、髭に長髪で無国籍音楽、なんて「既存の定型」にスッポリとハマって安住できればこれほど楽なことはないのだが。
なかなか困難な時代であるが、
まあ、なんとか逃げ切るしかあるまい。
なんてことを最新のタイで思った次第である。
コップンカップ🙏