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20世紀美大カルチャー史。「三多摩サマーオブラブ 1989-1993」第17話

我々のバンドはJBマナーに則り、
「まずMC(コヤマ)が登場し、ファンクの帝王(私)を召喚する」というスタイルを取っていた。

しかし、既にこの時期には、我々のバンドはJBのカバーは「1曲のみ」と限定し、P-FUNKマナーをベースに、ダンスホール・レゲエやGO-GOをも含めたオリジナル曲が大半を占めていた。

そして、いよいよ迎えた1991年の初夏の「頂上決戦」。
「パンティ・スキャット」とのクロコダイルでのガチンコ直接対決を前にして、私はとっておきの秘策を練っていた。

ライブ当日はもちろん「売れっ子」パンティ・スキャットがトリ、我々は「トリ前」である。

いつもは「JB風のファンファーレ&コヤマによるJB風(ダニー・レイ)のMC」によって私が登場する、というのが定型であったが、
この日はオープニングで「ミディアムテンポのクールなインスト・ファンク」をおよそ5分以上に渡って演奏した。

ベースがまず一人でフレーズを弾き始め、次にギター、ドラム、キーボードと一人、また一人と入っていき、最後にホーン・セクションが締める。

いつもと違う空気に客席はざわついたが、次第に、じわりじわりと高まるグルーヴに場内の熱気も同期して行った。

それでも「FUNKの帝王(私)」が出てくる気配は一切無い。

しかも、MCのコヤマも私と一緒にまだ楽屋に居た。

そのうちに、リハーサル通りに女性コーラス隊が客とのコール&レスポンスを始める、

「Say Yeah! 」「Yeah!」

バンドは完全にノリノリでグルーヴに乗っている。

完全にガソリンが溜まった。

「よし、今だ!」

私はコヤマに一声かけると、コヤマはステージ飛び出した。

「Say Hell Yeah!!! 」「Hell Yeah!!!」

コヤマの天才的煽りMCが炸裂し、たまりにたまったガソリンに着火する。

そしてコヤマの呼び出しで、私はゆっくり、ゆっくりとステージに登場した。

ステージ上から場内をぬめまわしながら、しばらくポーズを取り続けた。

刹那、後ろを振り向き、『RAP G13』という高速ミクスチャー・ファンクに切り替わる。

その後ライブは左とん平『ヘイ・ユウ・ブルース』のカバー、GO-GOとダンスホールレゲエをMIXした『酒強そうブラザー』、そして定番『魅惑のチンボ・チンボ』では”ジャズの守護神”井ノ瀬氏のソプラノ・サックスを大フィーチャーしてのイントロはどんどん長くなっていった。

そして最後は「1曲だけ」カバーのJB『セックス・マシーン』は、あえて「1986年日本公演」の高速ヴァージョンをぶつけた。

私は大いなる手ごたえを感じてステージを降りた。

私はもうパンティ・スキャットのステージは観なかった。

いつものように、一人でコッソリとライブハウスの外に出て煙草に火をつけた。

そして1991年の盛夏、次のクロコダイルのブッキングでは、
パンティ・スキャットを押さえて我々がトリを務めることになった。

ついに下剋上の時がやって来た。

前回とは真逆に、今度は敢えて「コテコテのスタイリッシュなJBマナー」で登場して勝負を賭けた。

JBスタイル・フィンファーレ🎵

コヤマのダニー・レイ・スタイルのMCが冴えわたる。

「これから紹介するのは、ソウルブラザーNo.1、業界イチの働き者、キングオブソウル、、、」

オトハくんには悪いが、こちらは「三多摩ファンク天才集団」である。

オトハくん個人の力は物凄くとも、我々の「バンド」はもはや全く負ける気はしなかった。

この、パンティ・スキャットとの二度目の対バンでも我々は異様な勢いのパフォーマンスを繰り広げた。

特に、ベーシストが二人いることを生かした「ベース・バトル」は、私とコヤマの「ZAPP ft. Roger」マナーによる左右客席煽りパフォーマンスを加味して大いに盛り上がった。

「ベースにチョットやらせるぞ!」

「yeah!!!」

「Hit me!!!」

そして本編最終曲のアウトロの途中で私一人、バンドを残して先にステージを去って楽屋に戻る途中の通路、

先に出番を終えた、あの!あの我がアイドル!パンティ・スキャットのコーラスの「トシコちゃん」が舞台袖に立っており、
「もう抱き着いてくるかのような勢い」で私に向かって拍手をしてきたのである。

その瞬間、

「ああ、もう死んでもいい、、、」

と思ったが、

ここで立ち止まる訳には行かなかった。

我らがバンドのクロコダイルでの活躍が業界に広まり、
遂に「渋谷クラブ・クアトロ」へのブッキング・オファーが来たのである。

(つづく)


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