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「身の程知らずの何故」は捨てて「直接働け」。悟浄出世から学ぶ生き方とは
こんにちは、こんばんわ うみです。 今日もこの記事をお読みくださり有難うございます。
今日は、 悟浄出世 の簡単な紹介、私の体験を交えながら、生き方について 学んでいきたいと思います。
悟浄出世は、明治大学情報コミュニーケーション学部 2018年か2017年か の古典の入試問題としても出題されています。過去問を解いている時に一目惚れしました。
ということは置いといて、
悟浄出世 の簡単な本の紹介をすると、
主人公の悟浄(妖怪)が、心の病を患います。これは今で言う、”鬱”と同じです。自分に満足ができなかったり、何に対しても懐疑的になり、満足できなくなります。
今まで当然のこととして受け取ってきた全てのことが、不可解な疑わしいものに見えてきて、今まで纏まった一つのことと思われたものがバラバラに分解された姿で受け取られ、その一つの部分部分について考えているうちに、全体の意味がわからなくなってしまいます。
これは、人間のみが患う心の病であり、この病気にかかると素直に物事が受け止めることができなくなり、究極の、正真正銘の神様のみが知る「なぜ」を考えてしまいます。(妖怪はこの心の病にかからないのですが、人間を食べてしまうことで心の病になりうります。)
この病を医者は治すことができない、薬を飲んでも治らない、自分で治すしかない。と老いた魚怪が言います。しかし、悟浄は、この病を治そうと、様々な妖怪たちの元へ足を運びながら心の病について、学んでいきます。
そして、悟浄が最後に訪れた妖怪は、、このように言います。「時とは人の作用(はたらき)の謂(いい)である。世界は概観による時は無意味であるが、その細部に直接働きかける時、無限の意味をもつ。身の程知らずの"何故"は今後一切捨てること 。ただただ身を働かすことによってのみ自分を救うことができる」 と。
その後悟浄は、人間になり結局この心の病を治すことができませんでした。
全体の話はこんな感じです。
私の体験
自分が鬱になった時、苦しかった時の状態もまさにこれと同じでした。
両親が離婚した時、母親が毎朝自分の悪口を吐き出しているのを見た時、受験に失敗した時、高校の先生に嫌味、悪口を言われた時、友達に裏切られた時などなど
いつも当たり前にしている普通の生活が、一瞬にして崩れ落ち、何故だ何故だと考えているうちにどんどん何が何だか分からなくなってしまったことがありました。
いつも当たり前にできていたことが当たり前にできなくなった時に、人を信じることができなくなってしまった時に、自分の力ではどうしようもできなくなった時に、人は鬱になるのだと思います。
鬱になってしまったら、悟浄のように、どん底まで落ちに落ちてこれでもかってくらい落ちることもありだと思います。(この場合の落ちるとは、悩む、思慮にふけるといった解釈でお願いします。)そのような時には、他人に何を言われようが全く耳に入ってきません。二度と忘れないぐらい、自分の心の痛みを知ること、そして自分自身としっかり向き合うことが大事だと思います。
また、涙が枯れるくらい泣いて、愚痴を言いまくって、好きな食べ物を食べまくったり、好きな音楽を聴いたり、悪いものを外に出して、空いた心の穴を満たしていくように心の栄養となる自分の好きなものでいっぱいにして自分のために時間を使うことがいいと思います。
(一週間経っても、少しも前向きになれなかったり、死にたいとか、何故生きているんだ?とか思った時にはすぐに精神科に相談に行きましょう。
相談することは人に迷惑をかける行為ではないです。)
また、あれやこれやと常に頭にある人は、行動しましょう!!今の時代、沢山の情報で溢れかえっています。自分で見たもの、経験したものこそが正しい世界です。疑うより先に自分の目でみて、その時々、自分を適切な場所に連れて行ってあげることが大切です。
文章力が足りないのでなかなかうまく書けないですね
長い長いこの記事を読んで下さり有難うございました。 この記事を読んで、少しでも元気になってくださる方がいると嬉しいです。