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父が選んだ希望、私が向き合った葛藤

父が見つけた希望、私が抱いた葛藤

父はおそらく、藁にもすがる思いだったんだと思います。「これなら助かるかもしれない」「自分の力でなんとかなるかもしれない」そう信じたかったんでしょう。東京の「Tクリニック」を見つけて、予約を取り、ファスティングを始めた父。よくよく考えると、私と同じで「思い立ったら即行動」な性格なんです。w「そうだ!」と思ったら迷わず行動に移す。これが父らしいところでした。その予約日は水曜日だったので私も同行することになりました。

初めて訪れたクリニック

クリニックに着くと、父は早速いくつかの検査を受けることになりました。でも、その場の雰囲気は、いわゆる病院というよりも、「予防医学」を掲げた独自のスタイル。「医療」と「代替療法」の中間のような印象でした。診察を担当したのは、定年後の医師のような雰囲気のT先生。父と同年代か少し年上に見えました。

診察中、私は父の状態を少しでも記録しようと、スマホのメモ帳に書き込みながら話を聞いていました。すると突然、T先生に「何をしてるんだ!人の話をちゃんと聞け!」と怒鳴られました。その瞬間、私の中で感じたのは動揺というより、「は?」という感覚。w 何も悪いことをしていないのに、どうしてそんな言い方をされるんだろう?と思いました。ただ、「メモをしています」と伝え、その場は何とか流しましたが、心の中にはモヤモヤが残りました。

さらに先生のお話には、「食べ物がすべてだ」「今までの食生活が悪かっただけ」といった言葉がありました。その言葉自体は理解できます。私も「食べたもので体は作られる」と思っています。でも、その言葉の選び方や伝え方に引っかかる部分がありました。時折、母親を責めているようにも聞こえる言い方をされる場面があったからです。

母の心の声

父が検査を受けている間、母と一緒にランチに出かけました。その席で、母が「食生活が悪かった」と言われたことをすごく気にしている様子が伝わってきました。普段は明るく前向きな母が、先生の何気ない一言で、自分を責めているように見えたのです。

でも、お医者さんってそういうものなのかな…とも考えました。どうなんでしょうね?とにかく、その場で母が傷ついている様子を見て、私もどうすることもできず、もどかしい気持ちでした。私は絶対に母のせいだなんて思っていないし、父だってそう思っていなかったはず。それでも、先生の言葉が母の心を痛めてしまったのは事実でした。

検査後の父の姿

2~3時間にわたる検査が終わり、父が戻ってきました。その姿は、いつもの威厳ある父ではなく、どこか疲れ果て、小さく見えました。慣れないファスティングや、病気の影響もあったのでしょう。そんな父の姿を見るのが切なくてたまりませんでした。

ただ、父自身はT先生から「大腸の癌はほとんど消えているよ」と言われたことで、希望を持ったようでした。でも私は、その言葉をどうしても信じきれませんでした。期待を抱かせるようなことを軽々しく言わないでほしいと思う自分もいて、複雑な気持ちを抱えました。そんな複雑な感情が胸の中をぐるぐると回っていました。

その日は、父は「食欲がない」と言ってホテルに直帰。母と弟がご飯に出かける中、私は「なにもできない自分」が情けなく、悔しく感じました。

納得できない提案

Tクリニックで最終的に提案されたのは、独自の薬とファスティングスケジュール。父は「これで治る」と信じていたようですが、私はどうしても納得がいきませんでした。というのも、私自身、以前「ファスティングマイスター」の資格を勉強した経験がありました。その知識を持ってしても、「これで癌が消える」と断言することには大きな疑問が残ったのです。

父が信じる道…一方で、その場にいた私は、「もっと他にできることがあるんじゃないか」と思わずにはいられませんでした。けれど、父がその道を選び、自分の力で病気と向き合おうとしているのなら、それを全否定するわけにもいきませんでした。

父への複雑な想い

父の病気に関して、正解なんてきっと誰にもわかりません。ただ、Tクリニックでの出来事を通じて、父が必死に希望を探していたこと、その姿に私が抱いた複雑な気持ちは、今でも忘れられません。

父が信じた道を尊重しながらも、私はずっと葛藤していました。「もっとできることがあったんじゃないか」「他に選択肢はなかったのか」そんな想いが消えることはありません。

続く…

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