今井絵里子批判で本質を突くならば
今井絵里子批判をホンキで本質からやるならば
"今井絵里子が選ばれてしまう民主主義の在り方を根本的に考え直さねばならない"
しかないですよ。
今井絵里子を民主主義で選んだという事実を全く忘れた批判の多いこと多いこと。
「いやオレは(票)入れてない」?
あんたが入れてなくたって多数決で選ぶのが民主主義ですよ。
あんたが票を入れた今井絵里子対抗馬の掲げる政策がふがいないせいで負けたんです。
「女性だから何かやってくれそう」
「この人知ってるー(芸能人だから)」
「可愛い」
とかいう中身の一切ない候補者にすらね。
理由はともあれ負けたことは事実、今井絵里子が選ばれたこともまた事実。
もし対抗馬の政策がしっかりしてたのに負けたのだとしたら、それは広報の仕方が悪いとかそういう別の何かが悪かったから負けたんです。
それとも今井絵里子を選ぶような愚民どもが悪いせいにしますか?
直接国税15円以上納めた(高所得者になれるぐらいの学歴や思考力が期待できる)成人男性のみで選挙やってた時代に戻りますか?
僕はこういった愚民的な意味で民主主義の行き詰まりを感じていますが、それをどう変えていくべきかといった議論は為政者から自発的に出てきてしかるべき、つまり自分達政治家が時代に合わせてどうあるべきかを考えろと常々思っています。
しかしこれは本当に難しい課題です。
愚民だとしても、少数派だとしても、意見を汲まにゃならんのが民主主義です。多数決だけが民主主義ではない。
難しい課題ですが、それを考えるのが政治家(あるいはメディア)の本来業務のはずです。
それをやんないとあぐらですよ。
まぁ実際は、何十年もあぐらかきっぱなしなんでこの国オワってるんですが(あぐらという点ではメディアも同じ)。
メール・テレワークweb会議当たり前の時代に、フランスぞろぞろ現地視察(なんか東京五輪の前にも同じような視察あった記憶が蘇ってきた)、とか文書交通費毎月100万とか
バーーーーッカじゃねぇの!?
死ねよ全員
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