*4 ストレイシープ
忽然と夏は終わった。日曜日に目覚めた時はまだ空気が微熱を帯びていた筈が、翌月曜日の同刻の空気はすっかり冷えていて、思わず体を震わした。体を震わすと、それから鼻水が止め処なく垂れた。いやはや季節の変わり目というものはこれ程までに判然と訪れるとは思いもしなかった。まるでグラデーションに頼らなかった。御陰で季節の変わり目は風邪を引き易いと言う謂れを解明するに至ったが、幸い私は連日鼻を垂らすばかりでついぞ風邪には到達しなかった。日曜日の出店を終えて帰宅し、この文章を綴らんとした時などは何の前触れも無く鼻から水の代わりに血が垂れ流れて来たが、これも風邪には起因しない。恐らくは連日の過労による体の悲鳴である。明日の朝はせめてたっぷり眠ってやろうと決めている。血は依然止まらぬ。
九月も間も無く暮れる。九月に手を付けようと考えていた予定の内、幾つかが手付かずになっている。それだけを切り取れば生皮である。然し頭の内で歳月を遡った時、矢ッ張り九月一日が遠い日の事の様に思われて、時の進みが一向に早まらないのを再確認すると同時に、これで寝て迎える明日もまだ九月の内なのかと驚く。何だか既に九月は四十日と過ごして居そうな気でいるが、そうだとすれば手付かずの予定があるのは俄然生皮らしくなる。そうではなかった筈である。
上越で昔の仕事現場を観察し、和菓子を食ったのが一日で、その後に健康診断があって、出店があって、老夫婦のパン工房を訪れたのがその後で、秋祭りも二つ見て、伊豆は修善寺へ走って、多種多様の盛沢山な用事を経て迎えた今週、ドイツの弁護士と頻りに連絡を遣り取った。ドイツに残して来た銀行口座から不明瞭な金が再三出て行っていたのをどうにかする為であった。また一つ、取り分け異種な用事である。
これが判明したのは実は幾らか前の事であった。不図ドイツ銀行の口座を覗いたところ身に覚えの無い一定額の引き落としが定期的にあった。相手方の名義には見覚えがあったが、引き落とされる理由にはまるで心当たりが無かった。そうした時、さてどうしようかと考えた。何せ九〇〇〇キロの距離が間にある。解決方法をインターネットで検索すると、弁護士を介して引き落としの停止を申請するより他に無いという様な情報を得て愕然とした。その会社宛てに停止希望の書面を送ればそれで済む、というくらいな事なら即座に手を打てたが、間に第三者を立てるとなるととても一筋縄にいきようがない。第一日本にいながら海の向こうのドイツで弁護士を探せ、など屏風の虎を引っ張り出すのと一般である。そこで一度私は頭を抱えた。
そうして先日、とうとう上に書いたケースを得意とすると言う弁護士のホームページに行き着いた。然し海の向こうという条件は違わぬから、偏に安心するは余りに不用心になる。ページの形式からして信頼するに値しそうではあったが、それを幻覚と仮定し、いつになく念入りに重箱の隅まで目を通した。すると依頼する前にメールで相談が出来ると分かって、私は私の身に起こっている事象を正しく文字に起こして送信した。いざ書き始めるとドイツ語は依然すらすらと出て来て安心した。
然し万が一この弁護士が怪しいと決め付けた所で、愈々頼る宛がなくなるばかりで私としても不都合であったから、最初に連絡をした時点から私の方ではある程度腹が決まっていた。翌日、返信があった。怪しがろうと思えば幾らでも怪しがれるが、それから遣取を続ける内に信じても良いような気が起こって来た。もといこの弁護士を信じなければ仕方が無いといった所でもあった。私は結局、この海の向こうの弁護士に金を払って引き落としの停止申請を依頼する事にした。
週末、弁護士から連絡があった。果たして引き落としの停止は承諾された様であった。のみならず失った金が払い戻されるとまで書いてあって、これは流石にどうだろうかと訝しがるを禁じ得なかったが、「引き落としの停止、払い戻し、其々に確認が出来次第また連絡を差し上げます」と返信して、一先ずの安寧を得たのは日曜日の出店中の事であった。
さて、その週末は一過後に鼻血を垂らすくらいにはよく動いた。日曜日はもとより不断はカフェ営業に勤しんでいる土曜日もイベントに出店した。いずれのイベントも大変賑わう事が予想されたから前日までの仕込みにも労を要した。そうしてこの週末に初めてシャインマスカットのデニッシュを並べようという心積もりでいた。これ迄カフェでは二度並べていたから形は大方出来上がっていたが、客受けから価格設定、外出店における見映え等々、微調整を施すには実践を経験するより他に無い。それが果たして何の為の微調整かと言えば十月末に控えた特産品使用商品に限られたイベントである。これが大変な賑わいを予想されると言うから念入りに準備をしたいでいる。
土曜日は駅前に出店し、無事完売した。思えば昨年の十月に行われた同イベントにて、私の単独出店の歴史は始まったからこれで一年の成長がはかれると言うものである。まず単に用意したパンの数で言えば、大凡倍量であった。また種類も大いに増えた。それらが綺麗に売り切れた。有難い。見知った人の数も無論増えた。人の数は歴史の数である。一年前を思い返すと我ながら初々しい。旧い同級生も態々顔を見せに来てくれた。
翌日曜日は、温泉街での出店であった。初開催のイベントながら、大変和気藹々としたイベントであったのは主催者の人望が成す結果の様に伺えた。以前イベントで知り合い、私がカフェ営業を始めるきっかけもくれた蓬屋とも久し振りに一緒になった。こちらのイベントではシャインマスカットのデニッシュのみ数個売れ残った。その要因に価格は大いに関わるだろうと思案し、そうして隣の蓬屋に相談を持ち掛けると、もっともらしい助言をくれた。これも調整の一環である。そうしてイベント終了時には主催の女性がブース前に来て「シャインマスカットのデニッシュが一番早く売り切れると思っていたんですが」と自身の見解を披露した。私も私で、矢ッ張り価格が高過ぎたんですかねと、自虐的に、かつ建設的な考察を提供すると「変に御客の需要に媚びず、良い物はしっかり良い値段を付けて、それを目当てにした人が集まるイベントが私の理想なんです」と主催者が言うから、私は一つ心強かった。そうした見解も踏まえて、あと一ヶ月の間に調整を済ませて行く積である。
実を言うとこのイベントでの人との関りでもって、私は自分の精神を立て直す事に成功していた。反対に言えばこのイベントで人と関わる迄、大変不安定な心持で一週間を過ごした。ドイツ人弁護士との遣取に気を労す必要があった事も厄介であったが、己の活動や人生を肯定する事が難しい心持になっていた。土曜日のイベントで完売した事は喜ばしい事の筈が、却って自信を喪失しかねない程の駄目傷を及ぼした。
私の視線の先には一本道が伸びている。揺ぎ無く真っ直ぐな道である。その大通りで時折迷子になる。理由は多々ある。または一つを機に連鎖して増える。散々迷子になりながら、それでいて右にも左にも曲がろうとせず、真っ直ぐな道を決して見失わないのが私であった。それでいて態々迷子になる。何でも蚊でも考え過ぎる悪癖が齎す害である。そういうのが日曜日に見事に晴れた。迷い正され、正され迷う。傍から見てなんだか判然とせぬでも、自分の頑固な目には判然とする。ドイツの弁護士よりもずっと頼れる筈である。
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
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