*6 記憶の鍵
返礼品を発送したその足で約束のあった新聞社へ向かった。到着すると軒先の、殆ど道端の様な所に立った男性が煙草に火を点けようと試みながら、訝しげな目で私の方を確かめていたから、車窓越しに軽く首を垂れて会釈をした。その人がこの新聞社の長老であるを知ったのは、私が建物の中に通されて、促されるままに椅子に腰掛けて淹れていただいた珈琲に最初の一口をつけると同時に、私が入って来たのと同じ開口をその男も潜って来て持ち場らしいデスクに腰を落ち着けたのを見た時であった。そのまま何かしら作業に勤しみ始めた。
机を挟んで私と対座したのはこの男ではない。机に向かう男の背中と私の目とがぶつかるのを阻むように担当の女性が私と向かい合いに座り、依頼内容の説明は忽ち始まった。聞けば正月版の新聞で頁数を増やすにあたって是非その内の一区画を埋めてくれという頼みであった。私は先週の電話口で行ったのと同様に二つ返事で頷くと、「それで、もし可能でしたら予定していた区画のみと言わず、その倍の範囲まで広げても埋められますか」と続いたから、間髪も入れずまた単簡に引き受けた。
それから文字列の流れる方向は横か縦か、字体はどうか、挿絵や写真は何処へ配置するか、細々した幾点かを実寸大の白新聞紙の上に写し、時に過去の実例とも照らし合わせて簡易に打ち合わせた。担当者は頻りに「お忙しいところ済みませんが」を繰り返し、私は「いえいえ暇人ですから」を同様に繰り返した。それから珈琲を飲み切る迄に少し雑談を捏ねてから、それじゃあ締切迄にはきっと原稿をお送りしますと挨拶をして、私はとうとう新聞社を後にした。
内容については先週に電話を受けた時点で頭の中に殆ど決まって出来上がっていた。あとは手を動かして脳内のそれをアウトプットするのみとなった時、まあ何時でも出来るさと呑気がった挙句、締切に際どくなるは私の悪癖である。実際、新聞社で「遅くとも十二月上旬には原稿をいただきたいです」と申された時、頭の中の自分はまだ九月を彷徨っている積でいて、家に帰って今が十月だと気が付いた時、ぐっと締切が近付いた様な錯覚を起こした。こういう誤差がよくある。まあ忘れぬ内、来週中にでも初稿を書いて送ろうと思う。
然し本業が別にある私は、工房にまた引き籠もった。返礼品を発送した月曜日には、また別の返礼品の発注があったからそれにもすぐ手を着けた。週末はカフェである。イベントである。すっかり行楽日和になった十月は毎週何処かへ走ってパンを売っているが、十一月になればシュトレンの準備も始めなければならない。雪が積もり次第駅でスキー客を相手にパンを売りたければ今の内に駅に申請して手を打っておく必要がある。それ以前には十月最後の週末に気合いの要るイベントが控える。水曜日あたりに、何か重大事項を失念して痛い目に合う夢などを見たのもどうも心配事の具象化である様に思われた。元来の心配症が故に、些かなる最悪の結末を危惧してか自ら夢の中で自分の尻を蹴る場合がある。私は案外己のこの不思議な絡繰を気に入っている。
初夏の頃に戴いた酸塊も間もなく尽きようとしている。リンツァートルテに換算しておそらくあと二回分である。尽きる前に自分でも今一度食っておかねばならないと思いながら、有難い事にカフェではいつも真っ先に捌けるからなかなか味見さえ出来ずにいる。その内の一つを今週もカフェ用に焼いた。これが或る物語を開く鍵になろうとは、この時の私は別段思う由もなかった。
三連休初日であった土曜日、店内の準備をしている内から「まだオープンではないですか」と尋ねる人がドアを控えめに開けて立っていた。「まだ準備をしていますが、店内に入っていて頂いても良いです」とその人を促すと、二人組で敷居を跨いだ。その二人を皮切りに、御客がどんどん見えた。常連の様に足繁く通う顔もあれば、以前イベントでパンを買って今日はカフェに来てみましたという男女もあった。この男女の内、女性の方がカウンターで興味深い事をぽろっと言った。
「スグリのタルトが気になって来ました。昔、絵本で見たスグリの御菓子に憧れていたんですが、まさかここで出逢えるとは思わなくて」と控えめに笑う。それならと「そうですか、実はこのスグリのタルトは世界最古のケーキと言われているんですよ」と私の方でも浪漫を付け足した。
話を聞けば聞くほど、確かに酸塊には西洋のメルヘンらしい要素が含まれている様に思われた。その絵本の題こそ聞かなかったが、第一に菓子の材料としての酸塊が日本ではそれほど一般でない事からも、「スグリのケーキ」や「スグリの菓子」が西洋文化と結び付き、西洋文化から絵本の世界へ直結するを納得するのは容易い。然し何より、この人の人生における物語の中で一つの憧れとして胸か天に浮かべ続けていたという酸塊菓子を、私の元に見付け出し、そればかりか彼女が温め続けていた憧れに対する一種の満足感までもを私の作ったリンツァートルテでもってどうやら与えられた様子であった事が頗る愉快であった。こうなれば、いざ私の口に入るよりも、まだ何処かに密やかに転がる憧れの元に行き着く方がリンツァートルテの為である。そしてまた、案外にして私の為でもある。
気の済むまで大変ゆったりと過ごしたらしいその男女が帰ると、それから暫く店内は私の独壇場であった。世は三連休である。思い返せば何時かの三連休にも喧しく鳴く閑古鳥の声に耳を塞いだ事があった。矢張り三連休となれば、もう少し遠方の、もう少し特別な所へ人は足を運ぶんだろうと納得して、新聞社から授かった宿題を進める事にした。メモ帳を取り出して文章を書き殴る。頭の中で組み立てていた分に加えて、こうして実際に手を動かしてみると思わぬ方面へ派生して、そうして文章は膨らんでいく。そうして気付けば四頁と埋めた時、入り口の硝子戸の向こうに見覚えのある人影が見えた。眼鏡を外していて顔の委細までは判然としなかったが、扉を開けたその人はすっかり交流も増えた常連の御客であった。つい三時間前に店を出たばかりのその人であった。
「両親を連れて来ました」と紹介された二人の大人に向かって会釈をする。そうしてパンとケーキの説明を通例通りする。カフェを目的地としたわけではなかろうが、それでも県外から御足労戴いた御客である。そしてまた足繁く来店する御客の親類である。私は「もう間もなく閉店ですから、是非遠慮せずに皆貰って下さい」と、アップルパイを二切れサービスした。
私は一旦厨房に下がってケーキを其々御持ち帰り用に袋詰めすると、今度はカウンター越しではなく表へ出て、母親にケーキを手渡した。「娘がいつもお世話になっている様で」と礼を言う様に畏まったから「いえいえ、私の方こそ来ていただいている側ですから、大変御世話になっております」と畏まって答えた。畏まると同時に、ドイツで働く最後の日、散々世話した見習い生のマリオの両親が態々職場へ駆け付けて、「息子の面倒を見て下すって有難う御座いました」と私に礼を言ってくれた事を思い出した。そうして少し、今更になって名残惜しい様な気が起こった。順当に行っていればこの九月からマリオも三年生、職業訓練最終年である。そうしてなお順当に行けば来年の七月頃には一人前の資格を与えられる。
「実技の最終試験でパンやディスプレイを作ったら写真を是非私に送れ。それで本当に一人前の資格があるかどうか、私の方でも判定してやる」と冗談を言って笑い合ったのも随分昔の事の様に思われた。
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
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