*8 おいしいもの
隣村の総合文化祭に出店した先週末、この土地の米が美味いという話をつい先日御客から聞いたのを思い出して、早々に空いた自分の販売ブースを後に、並行して催されていたバザーに顔を出して一升の米を一袋買って帰った。まあ私の地元も米所と呼ばれていながらにして態々余所の米を買っていれば馬鹿だと思われそうであるが、折角日本に帰って来ておきながら近頃まるで米を食わぬ生活になっていたから、米を食い改めるに二つとないこの機を利用せんと躊躇なく買った。それで今週になって米を炊いて食ってみると、成程美味かった。比較が要ると思って昼の内にコンビニの弁当を食っておいたから御陰で際立った。別段米を評するも論じるも出来ぬ男であるから米が立つだの艶が違うだのも言えぬが、まんまと米を食うのが趣味と化したのが今週である。これが一つ私にとって物の美味さの指標であるかも知れない。
文化祭出店翌日の月曜日、返礼品の発送をした足で、今度は新聞社ではなく駅の観光局に出向いた。市の職員とふるさと納税に関する談合をする為であったが、指定された時間よりも早めに観光局に立ち入って別件について観光局職員に相談をした。用件は今年の二月以来の駅構内での販売について、である。それで前回の外国人スキー客の大波をすっかり過ぎた後に許可が下りて販売を開始した反省を活かして、大体どれくらいの時期に外国人が殺到するんだか、販売を始めるとした場合何時から始めるのが良いのか、その為の申請は何時頃までに済ませるべきかをゆめゆめと相談した。
暫くして市の職員も到着すると、冬の返礼品の打ち合わせに移った。無論、シュトレンの話である。内容の打ち合わせもそうであるが、予約期間や最大予約可能数の設定など、身分不相応の製造能力である私が請け負うのに不足が無いよう話を詰めた。また私個人の販路でも予約を受け付けるとなると、果たして生産が間に合うだろうかと幾許の懸念も脳裏を過ったが、こればかりは幾ら過ろうが答えは出ない。「一旦これでやってみましょう」と話を締めて、私は駅を出た。十一月初頭から予約受付開始となった。その足で駅近くの好きなカフェへ入ると例の如くカプチーノを頼んだ。
エスプレッソやカプチーノと言った類の珈琲を私が初めて知ったのはイタリアである。ドイツへ行く前の私は実に無知で世間知らずの若者であったから、ドイツにいってから知った事や覚えた事が珈琲以外にも山の様にある。そんな私にとって、このカフェのカプチーノはまさにイタリアで飲んだ―厳密に初めてのカプチーノと断言するは不可能であるが―カプチーノを彷彿とさせ、同時にドイツ生活の全般を思い起こさせる。そうして心なしか、身の回りに漂う空気にさえヨーロッパの風味が伺える。畏れ多くも、ドイツへ帰省する様な心持でただいまがりたい気分になる。それだから珈琲の、それもエスプレッソの類の珈琲の美味い醜味いは私の中で判然としている。このカフェのカプチーノは美味い。その美味いカプチーノを飲みながら、封筒から取り出した出店案内に目を落とした。来週末、上越で行われる縁日である。十一月は一日から忙しくなりそうである。
十一月以降の話がぱちぱちと決まっていく。一月迄の見通しが出来上がった。然しそれよりもずっと前、即ち直近つい数日後に大規模な出店が控えている。先ずはこれを乗り越えなければならない。そういう気持ちのある一週間でもあった。私のロゴを作成してくれたグラフィックデザイナーの人はこのイベントの運営側に所属していた。先日に注文しておいたシールを届けてくれた際に話を聞くと、何でも一万人の来場が見込まれると言った。さらに開催時間も夜十九時までと長いから、是非沢山の品物を用意して、間違っても昼過ぎには売り切れましたという状況にならない様にという主旨の話もした。早々に売り切れないのはイベントの為でもあるが、無論私の為でもある。それこそ先日の隣村文化祭の時の様に開始三十分で空になっては、残りの八時間手持無沙汰も良い所である。
私は彼の助言も参考に、用意する品物の種類を通常出店よりも絞る事にした。そうして大凡主軸となりそうなアップルパイやプレッツェルを一際多く仕込む事にした。それからシャインマスカットのデニッシュやしめじのキッシュといった、市の特産品を盛り込む事、というそのイベントの出店条件を満たした商品を多めに用意する事にした。デニッシュはデンマーク、キッシュはフランス、君々ドイツは何処へ行ったんだねと指摘する人がいれば、是非ドイツへ行ってパン屋を見て来ると良い。ドイツのパン屋がライ麦パンしか扱ってはいけないのであれば日本のパン屋は悉く面目丸潰れである。私が持ち帰って来た物はドイツパンではなく、ドイツのパン屋やパン職人である事を折角なのでここに紹介しておく。
そのイベントが土曜日であったからカフェは休みにした。もとい休みにしなければ体が足りていない。ただでさえ体が五つ足りていない日々である。イベントとカフェが重なった時だけ都合よく体が二つになれば、とっくに、それでもカフェを休んでイベントの準備を分担してやっているに違いない。
それで金曜日はケーキの支度もする必要が無く、また出店の準備も粗方に片付いた所で早めに眠る事にした。世間がおやつを食う時間に例によって米を掻き込んで、夕方には布団に潜り込んで掛ける目覚ましは夜九時である。過去最大量のパンを焼かねばならないから起きる時間もこれまでにないほど早くなければならない。安直にそう考えて目を瞑った。所が不慣れな時間、そう簡単に眠れるものでもなく、結局目覚ましに鳴った音の一つとして耳に覚えず、随分な寝坊をした末に慌てて飛び起きた。取り返しの付かぬほどの寝坊では無かったのが不幸中の幸いであったが、ドイツで働いていた頃に案外に寝坊をしていたのを思い出した。
どうにかして時間内に焼き切ると、袋詰め出来る分だけを車に積むと、残りの袋詰めは頼んでそれで会場へ向けて出発した。会場は既に賑やかな雰囲気を醸していた。人目にイベントの規模や運営側の気合が伝わった。スタッフは皆、堂々とそしてぱきぱきと指示を出し合っていて気持ちが良かった。運営側がこうだと出店する側としても安心出来る。一年の間に色々なイベントを見て来てそういった良し悪しも判別出来る様になってきた。
そうしてイベントは始まった。隣の出店者は奇しくも以前、カフェに来て下さった洋菓子屋の男で一日を通して散々話した。大変興味深い話から、共感出来る話から、面白いアイデアまで好奇心はついに途切れる事は無かった。
肝心の売れ行きと言えば大変凄まじかった。九時間の長丁場であったから短時間に人が押し寄せる事でも無かったが、結局用意した三〇〇近いパンが殆ど売れて、残ったのはたった五つだけであった。これは有難かった。取り分けアップルパイの反応が頗る良かった。御客が一度買って行った後、美味しかったからと追加で買いに来てくれたのが一人や二人の話ではなかった。これについては全く予期していない事態であった。これほどまでに好評を得られるとは、無論私の背中は押され、自然胸は張られた。多くは語らぬが、私が自分のアップルパイに抱いていた漠然とした消極性がすっきり拭い取られた様な日になった。
夜八時過ぎに帰宅して、気絶する様に眠った翌日も朝三時に起きてパンを焼く積でいた私は、三時から立て続けに掛けられた目覚ましで一度は目を覚ますも、体までは起こせずにまた寝坊をした。だらしない。それでも起きた時間から工房へ行ってパンを焼き、道の駅へ配達を済ませると、前日の大量製造における攻防の余韻漂う工房の片付けをした後、己を労う為に蕎麦屋に入って天麩羅蕎麦を食った。子規も金之助も小説の中で散々蕎麦を食うから、見ていて私も近頃蕎麦を食いたくなっていた。米所であり、また蕎麦所でもある私の地元の、中でも有名な種類の蕎麦の名前を冠した店で、立派な値段の蕎麦を食ったら良い心持になった。
店の中では両親と十歳ばかりの子と、健全なコミュニケーションの元に一緒になって働いていた。なよなよとした言い訳がましいのが流行る現代において、絶滅危惧種とも言えそうな厳格な教えを真っ直ぐに口にして幼い息子に伝える父親の声がなんとも心地良く、また私にとっても間接的に己を律する機会となった。そういう要素で美味く感じる蕎麦もあった。
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
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